夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

七月三十一日は、二人の『母親』の命日

2019-07-31 20:58:19 | 日記・エッセイ・コラム

七月三十一日は二人の『母親』の命日

  今日、七月三十一日は、夫と私の二人の『母親』の命日です。

私の母は、平成二年七月三十一日に67才と5ヶ月で急逝。

夫の母親は、平成二十八年七月三十一日に、88才と350日で、鬼籍に入りました。

 酷暑の中、ケビンに富士霊園と沼津市の実家のお墓参りに連れて行って貰いました。

 

  想定内ですが..

  無信心と言うか、何と言うか、神仏や自然界の営み等を畏敬する気持ち等全く持ち合わせていない

人物たち

 義父亡き後、三十七年間、

お盆や春、秋の彼岸だけで無く、

毎月のように富士霊園の墓参りをしている弟に向かって

 姑の納骨の時に、「父親のお墓の場所は解りますか?」と愚問を発する愚兄●

「よく舅の本家の家のお墓が解ったじゃ?」などと平然と口にする姑

でしたので、想定内ですが、

お墓には、私たち夫婦が前回墓参した時の造花が残っているだけでした。

  姑は、亡くなって僅か三年でも、もう過去の過去の人になっています。

 

土曜日、四十九日の納骨の後、両親の墓の前で、Гじゃ我々は此処で」と

別れた義兄からは、二日後の月曜日に、遺産相続の手続きの書類が届きました。

 

 

 

  お墓や花立て、線香立て等も綺麗に洗ってホッとしました。

生前Г富士霊園だったら、お金を払えば手入れをしなくて良いから。」と言っていた姑でした。

タオルで拭いたり、花殻を片付けたり墓の手入れをしたので、ご機嫌斜めかも知れません!!

 

  沼津のお墓には庭に咲く夏の花々が供えられていました。

花は、暑さの為に萎れかけていましたが、誰かがお参りしてくれていたのです!

母が亡くなって、もう二十九年も経つのです。

三十年も経つと、殆ど忘れ去られる昔、昔の人になるのが世の習いです。

 

 私は令和二年に、母親が亡くなった年齢になります。

せめて、後一年間入院や手術等しないで元気に恙無く過ごしたいと思っています。

私の父親も46才の若さで急逝しましたので、

せめて母親の年齢迄は生きたいと思っているのです。