七月十四日は一年中で一番不安な日
令和元年七月十四日(日)自宅庭先プランター 雨の中咲く五輪の朝顔
せっかく美しい花が咲いたのに…
朝顔の花たちも、晴天の夏空の下で咲いたらもっと輝いてГ綺麗だね~」
と愛でられたのに
雨降りだから仕方がありません…
七月十四日は
令和元年七月十四日が、何事も無く終わろうとしている。
七月十四日は、私にとっては一年中で一番不安な日です。
今度は一体どんな不吉な報せが、舞い込んで来るのか、
朝から気が気ではありません。
毎年毎年、家の黒電話が鳴ると、青天の霹靂。
義父が末期癌で余命一ヶ月の報せ
昭和55年7月14日
9月始めに第二子の出産を控えていた私に、姑の気の触れたような異常な第一声の電話。
泣き喚く姑。終わらない電話。
昭和56年2月4日義父60才(男の大厄)で死去。
昭和、平成と姑と義兄の異常な言動を見続けた四十年の日々。
私の人生で一番最初の悲しい出来事が13才で、46才の実父の急逝。
義父の発病により違った悲しみが始まった日が、7月14日。
私は27才でした。
母親がクモ膜下出血で倒れた
平成2年7月14日夜
実家の兄嫁から、母がクモ膜下出血で倒れたとの電話。
救急車で運ばれましたが、僅か18日間の闘病生活で
7月31日に67才で死去しました。
私は37才でした。
街中のお盆と言う事もあって、7月14日前後は
その後の29年間も大小様々、色々な事が起き続けました。
私が50才の時に不整脈で心臓発作を起こしたのは7月13日でした。
幸い14日から一日ズレていましたので、静岡の病院で入院手術。
66才の今も何とか生き延びています!
子供たちにも『7月14日はケビン家にとっては特別に不吉な日だから注意して』と毎年電話をして、
言い聞かせていましたが、『不吉な日のこと』は
子供たちにはもう忘れさせて解放しようと思っています!!
私たち夫婦だけの要注意日として、心の内に留め、病気の早期発見、健康管理に努め
双方の亡き両親の供養に勤めたいと思います。
雨の中誰にも見られずに足元で咲く、螢袋、デルフィニウムの二番花