今朝は雨であったか~い。
午前5時起き本堂にて坐禅、月1度の参禅でした。
この時期の6時前は真っ暗、堂内は一本のろうそくだけの静寂、途中で外が明るく
なる過程は、なんともすがすがしい気持ちを増幅させます。
3月までは寒いけど、この明けの変化がたまらない。
坐禅といいますと、「眼を閉じ、夢想無念」と思う人が多いと思いますが
(私も始めはそうするものと思っていました)
この1回座るのを「一柱(いっちゅう)」と言いますが、外からの雑音が入
らないだけに、心の動き葛藤は、仕事のこと家族のことなどなど、多くが頭をよぎります。
本当はこれはバツ。
本来、静かに姿勢を整え、両足を組み「端座(たんざ)と言います」手は両指を組み
「法界定印(ほっかいじょういん)」、眼は細く開け、閉じない。
心は、結んだ両手のヒラに置き、姿勢や静かな息が正しく出来ているか、のみ
に徹するのです。
始まりの3つの鐘に始まり、2つで終わる、この間40分。
私は足が太いので、両足を両ももへ乗せられなく、片方のみを乗せる
(「半跏趺坐」はんかふざ)方法も作法とか。
3年もなると、足の痛さは感じなく座れるようになっています。
福井県には、曹洞宗の総本山「永平寺」があり、その直系の末寺「義宣寺」で
本ものの坐禅に参加させてもらっている。
TVなどで見るその作法にも、宗派によりいろいろあるようです。
午前5時起き本堂にて坐禅、月1度の参禅でした。
この時期の6時前は真っ暗、堂内は一本のろうそくだけの静寂、途中で外が明るく
なる過程は、なんともすがすがしい気持ちを増幅させます。
3月までは寒いけど、この明けの変化がたまらない。
坐禅といいますと、「眼を閉じ、夢想無念」と思う人が多いと思いますが
(私も始めはそうするものと思っていました)
この1回座るのを「一柱(いっちゅう)」と言いますが、外からの雑音が入
らないだけに、心の動き葛藤は、仕事のこと家族のことなどなど、多くが頭をよぎります。
本当はこれはバツ。
本来、静かに姿勢を整え、両足を組み「端座(たんざ)と言います」手は両指を組み
「法界定印(ほっかいじょういん)」、眼は細く開け、閉じない。
心は、結んだ両手のヒラに置き、姿勢や静かな息が正しく出来ているか、のみ
に徹するのです。
始まりの3つの鐘に始まり、2つで終わる、この間40分。
私は足が太いので、両足を両ももへ乗せられなく、片方のみを乗せる
(「半跏趺坐」はんかふざ)方法も作法とか。
3年もなると、足の痛さは感じなく座れるようになっています。
福井県には、曹洞宗の総本山「永平寺」があり、その直系の末寺「義宣寺」で
本ものの坐禅に参加させてもらっている。
TVなどで見るその作法にも、宗派によりいろいろあるようです。