
母校でもある近くの小学校の入学式から10日、上級生にサポートされるように登校していく1年生、黄色の交通安全ランドセルカバーが光って見える。時にはお父さんやお母さん、おじいちゃんと登校も見かける。みんな楽しそうな登校に見える。自分の1年の登校風景は全く記憶に残っていない。
私の小学校入学は終戦直後の昭和22(1947)年。赤紙の召集令状が届いたときのために、父が手縫いで準備したというランドセルを背負っての入学だった。そんなランドセルに入れた教科書などはわずかとおもうが、その中の国語の教科書の最初のページを今もはっきり記憶している。自分でも不思議でならない。
見開きの最初のページにはレンゲの花の輪飾りのような周りで子どもが遊んでいる。そこに書かれていたのは、今だから詩だとわかる短い文章だった。
みんないいこ
おはなをかざる みんないいこ
なかよしこよし みんないいこ
きれいなことば みんないいこ
入学までに自分の名前は書けるように、覚えた字は「カタカナ」だった。それが「ひらかな」に変わり親は心配したそうだが、記憶の中には苦労が浮かんでこない。その懐かしい教科書に出会った。ガラスケースに収められたその教科書は77年の歳月で茶色に変わり、何カ所もテープで補修されていた。
(今日の575) 記憶する頁に出会い言葉なく