
山あいで野菜作りを楽しまれている人と、いつからか通りがかりに出会うと話をし始めた。会話から同期くらい、退職後の話しが主だったが何を話してもよく通じあった。菜園は退職後に健康と実益を兼ねて始めたそうだ。
あるとき「そろそろ野菜作りを卒業したいが、地主さんが認知症で施設に入られ、返却の話が進まないで困っている」と聞かされたが、耕作は続いていた。地主さんとの話しはどうなっただろう、思いながらも尋ねはしなかった。
しばらく出会わなかったら、段々畑の法面は雑草が伸び、猪よけの柵の内側、野菜は収穫済なのか見当たらず、除草シートの敷かれていない所は雑草が生えている。見るところ野菜作りは終えられたようで、荒れていく様子が隣の畑からうかがえる。隣の広い畑は耕作放置されてしばらく経っており、雑草や小木が背丈ほどに伸びている。その畑の栗の落ちた実は「猪の餌になる」と聞いていた。
人の手が入らなくなった山あいの耕地は、こうして自然に戻っていくのだろうか。かつての人らは、苦労して切り開き、耕地にし、食料を確保されたのだろ。そう思うと何か忍びない。段畑の一番高いところに手作りされた物置小屋がある。その屋根の樋から配管し、散水用の雨水を溜めるタンク、これも手作り聞いているが、それがポツンと置き去りになっていてむなしさを誘う。
(今日の575) 雑草も繁茂しすぎりゃ息苦し