昔ながらの狭い道筋で一方通行の通りを歩いていると聞き覚えのあるメロディーが遠くから聞こえる。進むにつれそのもとは近くの幼稚園からだった。園舎前の広場、といってもお寺の境内には礼服姿の若い両親に手を繋がれた園児らのはしゃぐ姿が山門の奥に見える。そんな境内に「仰げば尊し」が流れている。
明治17年に作られた唱歌で、卒業式で歌われ親しまれていた。いたというのは、明治・大正・昭和、そして平成の始めころまでは多くの学校で歌われた。最近は歌われない卒業式も増えているという。この歌は学んだ校舎、教えを受けた師、ともに学び遊んだ級友、思い出ある学校生活を振り返る歌だと思っているので、どこに問題があるのかわからないが薄れているということは情けない。
歌詞や曲、生活環境の様変わりなどで今風の学校生活になじまない感を抱くことは理解できる。昔の人は蛍の光で学んだ、そういう苦労や思いをさせないために文化や科学が進歩し今を満喫できる。卒業から幾星霜、同窓会での語らいは、卒業後の進路がどうであろうと「級友」時代の顔を思い出し、その頃のあれこれから始まる。
最近、小学校区内で若い人が家を建て子どもの姿が増えクラスが増えているという。校区内の別の幼稚園でも卒園式が行われていた。園の門をくぐる礼服姿の若い姿に何かしら嬉しくなっていた。小中校とお世話になった担任は一人を除いて彼岸の人、音信のあるその師は今年百寿に、いつか訪ねてみたい。
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