日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

図書館の100周年

2010年09月15日 | 町かど
           

岩国図書館は1910(明治43)年4月8日に創立て100年になります、という「あいさつ」が出迎えてくれる「岩国市中央図書館所蔵絵画展」が同館で開催されている。図書館に美術作品が所蔵されている事を初めって知った。

岩国図書館の設立は最初岩国小学校の付属として誕生した。明治26年ころ、校舎の新築にあわせ考えられていたが、日清・日露と続く戦争で夢を果たすことが出来なかった。しかし、それらの戦勝で計画が進められた。同41年春に起工式となり42年6月第1期工事が完了した、と岩国図書館50年史にある。

第2期工事に移るとき旧校舎の1部である3層楼(現在の岩国教育資料館)を永遠に保存することとなり、この2階を仮の岩国図書館として使用することになった。大正12年9月までここ3層楼2階が使用された。広さは40坪ほどで女子、男子それそれの閲覧室が設けられた、と記録にある。

所蔵絵画展には大正8年第1回帝展に出品された桑重画伯の作品など10展ほどが展示されている。いづれも高い評価を受けられた作品だろうが、その詳しいことは分からない。会場を威圧する迫力に圧倒される。

展示入口に図書館所蔵の本を提供する書き出しがあった。書名が岩国の歴史を知るうえで参考になる「古い本」。全部で9冊いただいた。その1冊「岩国文学百年史」(大岡 昇著、昭和45年発行)中に私の名前が載っていて驚いた。いつか紹介させてもらう。

(写真:図書館発足当初の建物、この2階が付属図書館として使用された:岩国図書館50年史より)
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さるすべり

2010年09月14日 | 生活・ニュース
           

裏通りにある家の垣根越しに百日紅の花を見あげることが出来る。手前の家が紅、数軒となりが白、申し合わされたのか1度に楽しめる。

子どものころ、隣の庭に植えられていた。この幹の皮はつるつるでよく滑る。猿も滑って登れないので猿滑と、口伝えに覚えていた。幹の途中に硬いキノコに似た物がついていた。滑るので猿が腰掛ける椅子、とも信じていた。

さるすべりは「猿滑」でなく「百日紅」と書くことは知っていたが、その意味までは気にしたことはなかった。「夏から秋にかけておよそ100日の間、花を咲かせる。その花の色がピンク色、だから百日紅と書くのだ」と教えられた。

100日も続けて咲くかどうか知らないが、確かに長い間咲いているように思う。裏通りの2本のそれも夏の入りくらいには咲き始めていたかも知れない。100日も咲き続けるとはすごい。今年の異常な暑さは大変だったろう。

朝夕は秋を感じ、昼間も少ししのぎやすい陽射しに変わった。百日紅はほっとしながらも花の終りが近づくのを寂しがっているかも知れない、そんな思いで見上げたら、気持ちよさそうに青い空と会話をしていた。

(写真:しばらくは楽しめそうな百日紅のピンクの花)







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おしめり

2010年09月13日 | 生活・ニュース
           

今朝は、出会う人みんなが「お湿りがよかった」「もう少し降って欲しかった」「今朝は花に水をやらなくてよかった」「風が気持ちいい」などと昨夜の降雨を喜んだ。それほど待ち望んでいた雨だった。

降水量は、というほどの雨量ではないが、久しぶりの雨らしい雨音に「久しぶり」と声をかけてみた。その音も一時とは持たなかったが、何かに苛立つ気持ちを抑えるような恵みにはなった。

錦川上流のダムでは工業用水の節水も始まったという。異常な夏が終わり息つくまもなく今度は渇水対策、最近は自然が人へ厳しい挑戦を仕掛けていっるようだ。人の知恵がどこまで自然に通用するのだろうか。

雨が上がると空は綺麗に晴れ渡る。今夜は虫たちもより秋を感じながら混声合唱に励むだろう。そろそろ涼しくなって欲しい。

(写真:雨上がりの公園)
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アサガオに癒された暑い夏

2010年09月12日 | エッセイサロン
           

2010年09月12日 毎日新聞「みんなの広場」掲載

 8月上旬、体調を崩して気分のすぐれない妻が「今朝もたくさん咲いて色もきれい」と見ていた。梅雨のころ、苗に添えられた写真を見て買った数株のアサガオ。それが盛りと咲いていた。その様子が妻の気分を癒やしてくれたようだ。

 「花からは、もの言わぬ生命力が伝わります」という病床記を読んだことを思い出す。妻は、それに似たことを感じたようだ。すると、自由気ままに伸びているように見えるアサガオのつるにも、何か力を感じる。

 盆過ぎに体調が戻ってからも、妻は起床するとアサガオを眺めた。アサガオも妻の視線に応えるようによく咲いてくれた。水当番の私は、いい花が一日でも長くたくさん咲くよう、気持ちをこめて水をまいた。 

 「来年は、このアサガオの種を植えたい」と妻は言う。それは花に癒やされたという感謝の気持ちからだろう。暑い暑い夏だったが、これまでにない、よい夏の終わりになりそうである。

(写真:一番多く咲いて見せてくれた色)
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夏の置き土産

2010年09月11日 | 地域
           

猛暑日、真夏日、熱帯夜、熱中症、局地的豪雨などいろいろな夏の記録を更新し、その影響で多くの被害も発生した今年の夏だった。暦のうえのでは白露も過ぎ朝夕は多少しのぎやすくなった。

いろいろな夏の思い出や忘れ物も気づくころかも知れない。午前中になすべき事は済ませ、午後は静かにすることを基調にした過ごし方で、さして暑さの影響を受けずにすんだ。毎日が日曜日のありがたさだ。

山を切り開いて作られたある幹線道路を走っていて気づいた。斜面の雑草の大方が枯れ、雑草の緑に取って代わった茶色が覆っている。暑くてもよく伸びる、とは雑草の強さをいいあらわすが、今年のそれには耐えれなかったのだろうか。

暑さだけでなく降水量も極端に少なく、斜面も渇きに乾いたのかも知れない。水量が少なく錦帯橋上流の川原が日に日に広くなっていくように感じる。その錦帯橋そばのさつきに枯れた株がいくつかある。これも暑さのせいだろうか。秋の観光シーズン、早く何とかして欲しい。

(写真:夏に負けたのか錦帯橋そばの枯れたさつき)
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広場欄 交流と知満載

2010年09月10日 | エッセイサロン
           

2010年09月10日 中国新聞「広場」掲載 

 私が中国新聞の広場欄へ投稿を始めて3年半。初めて掲載されたとき「読みましたよ」と町の中で声を掛けられ驚いた。そのとき、読者は内容とともに「誰の」投稿かにも関心があることを知った。

 それまでは読むだけで、投稿者の名前を見て「この人は知っている」くらいだった。それ以降投稿者の名前を意識し始めた。

 すると、この人はまた掲載された、前回の続編のようだ、子育てが楽しそうだ、地域活動を熱心にされているなど、投稿者を身近な人と感じるようになった。

 投稿者に知人の名前を見つけることもある。同じ住所の人だと親近感を感じる。また、元同僚の思いもしなかった活躍の場を知り、エールを送ったこともある。

 書いたり読んだりは衰えの防止になるという。楽しみながら投稿し、載れば喜び、メールや電話の感想でまた喜ぶ。知人らの活躍も知れる。

 広場とは「ひろびろと開けた場所」。広場欄はただの広場でなく、交流と情報と知の詰まった文字の世界だ。そんな思いで内容の備わった投稿を続けていきたい。
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語呂合わせ

2010年09月09日 | 生活・ニュース
           

昨日は白露で「秋がようやく加わるころ」、今日は重陽で「菊の節句」と暦のうえでは季節は秋へと移っている。台風は遠く離れた海上を東へ進み、上陸後は各地に大きな災害を引き起こした。雨乞いの願いもむなしくこの地にはさしたる恩恵はなかった。

奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれる、とある新聞のコラムで読んだ。面白いところでは「手巻き寿司の日」という。その意味は「くる(9)くる(9)」のゴロ合わせから。大分県九重町では「九重九湯」といい温泉の日として賑わうそうだ。

時は秋なのに「春夏冬」と書いて「あきない」と読ませ商売繁盛を表わす。5円で「ご縁がありますように」15円だと「十分ご縁がありますように」、カツ(豚)は「勝つに通じる」として勝負に日の膳に乗る。語呂合わせは遊び心として面白く、読み人の知恵をしる。

ゴロ合わせで忘れてはいけないのが「救急の日」。救急業務や救急医療について一般の理解と認識を深め、救急医療関係者の士気を高める日、とされている。この救急業務、全国では6.2秒に1回の割合で出動しているそうだ。

救急業務も通報から現場到着、さらに医療機関に患者が収容されるまでの所要時間が年々遅くなる。昨年は記録が残る1984年以降最悪を更新というありがたくない記録となった。出動件数の増加が原因のひとつにされている。出動の51%は軽症ともある。

いつお世話になるかしれない救急、恐れずでも慎重にプッシュしよう。

(写真:台風後の秋の空はどこか行きたくなる爽やかさ)
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アーク灯

2010年09月08日 | 町かど
           

郷土で誇れる人は多い。今日はそんななかのひとり「藤岡市助」。岩国駅と錦帯橋を往復するバスに「いちすけ号」がある。これは、西日本で初めて古里の岩国で電車を走らせた当時の電車を模したロマン漂う車両で、錦帯橋観光への足になっている。

藤岡市助の業績は岩国小学校運動場そばの「岩国教育資料館」へ豊富に揃っている。その資料館のそばに1本のアーク灯が立ち、「藤岡市助博士記念灯」という銘版がある。そこには次のようにその業績が記されている。

藤岡市助は、安政4年(1857)岩国で生れ、養老館、岩国英国語学所で学び、東京の工部大学(東京帝国大学工学部の前身)に入学した。在学中の明治11年3月25日、日本最初のアーク灯を点火し(後に電気記念日に制定)、卒業後同校教授となり、大学教育、発電機等の発明、学会創立など科学者として目覚しい、活躍をした。さらに続く。

29歳で東京帝国大学の職を辞して実業界に転じ、東京電灯株式会社(東京電力株式会社の前身)や東京市街鉄道株式会社(東京都交通局の前身)の技師長となり、日本の電力及び電鉄事業を開拓し、その礎を築いた。

また、数多くの電気機器を発明し、これを同郷の三吉正一が三吉電機工場で制作し、更に電球製造の白熱舎を創立した。白熱舎を東京電気株式会社(株式会社東芝の前身)に改組した藤岡市助は、技師長に同郷の新荘吉生を招いてタングステン電球等の先端技術を開発し、世界屈指のハイテク企業に発展させた。

このアーク灯は「日本の電気界の父」と仰がれ、「日本のエジソン」と親しまれた博士の偉業をたたえて設置されたものである。こう藤岡市助博士顕彰会は称えている。

毎夜灯される灯は暖かみのあるオレンジ色で育った街を見つめている。バスの「いちすけ号」もその下を通る。どんな気持ちで見下ろしているのか聞いてみたい。

(写真:教育資料館横に建つアーク灯)
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雨の音

2010年09月07日 | 生活・ニュース
           

今年は太平洋赤道直下で生まれた台風が来ない。日本近海というか沖縄の南方海上で熱帯性低気圧が台風へと成長している。沖縄を通過して東シナ海を北上し余波はこうむるが大きな被害はなかった。

接近中の9号は進路を急に東に変え山陰沖を進み、今、県内は強風域にある。身勝手な思いをすれば「被害のない程度に雨が降って欲しい」と願っている。雨らしい雨の音を忘れるくらい聞いていない。

今朝、ウオーキングに出かけるのに玄関を出て「お、夜中にちょびっとぱらついたのか」とアスファルトのお湿りで感じた。台風の風らしくなまあたたかく、べとつく。最近になく汗をかいた。

台風の予想雨量は100ミリを超えるようだ。雨は欲しいが収穫直前の米に影響があっては困る。あちら立ててればこちらが立たずということになる。

先ほどからポツリポツリと雨音がする。夕方から用事があって出かける。荒れないうちに帰ってきたいのだが。

(写真:ポツリときはじめたころの雨雲はまだ幼い)
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準備進む岩検

2010年09月06日 | しっちょる岩国
           

新聞6紙とTV1局で報道紹介された「岩国検定」。岩国市と同教育委員会が後援ということもあり、先日は「広報いわくに」でもその要領が周知された。各報道や広報いわくに、自作のポスターやチラシなどの効果か、事務局へは問い合わせの電話が増えた。

問題の専門家による校閲が終了するなど大きな準備は整った。試験を確実に公平に行うための細部の打ち合わせや調整が進んでいる。来月にはメンバー全員による試験会場の下見とその日の具体的な行動を決めることになっている。

そんな準備のひとつ、合格者へ交付する「認定証」のデザイン検討が進んでいる。こちらもポスター同様に試験実行委員会のメンバーが苦労しながら考えている。メンバーもこういったことは素人、パソコンを開いて「ああだこうだ」と議論百出、これがまた面白く楽しい。

合格した人に喜んでもらえてそこへ岩国らしさも織り込む、デザイナーになった気分でちょっと高揚する。20種類くらいあった案から、それらしい「認定証」が固まった。次回委員会で結論が出るだろう。

未知の分野への仲間入りで岩国のいろいろを知る機会をえた。「岩国の歴史・文化・自然などの魅力を市内外の人によく知ってもらい、岩国に愛着を感じてもらうと共に、市民には郷土岩国に誇りを持ってもらう」という岩国検定の目的に自信が持てる。

(写真:認定証案の数々、さて交付はどんな仕上がりか)
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