日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

畑の造形家

2019年06月10日 | 生活・ニュース

 家から30分ほど車で走った盆地の農園に通い始めて9年目に入った。農園はある団体の会員が親睦と農産物収穫を楽しむ約一反ほどの畑で、毎月1回、午前中畑仕事で体を動かす。予定の作業が終わると休憩兼早めの昼食になる。昼食は代表夫人の手作りでむすびや寿司など、おかずは数種類以上が詰められている。カープから社会、政治に地域と多彩なテーマ話題をフリーに話す。

 イノシシに畑を荒らされ囲いをしたがその囲いは難なく破られた。ホームセンター推奨の農獣除けという金網を畑全周に張って以降は侵入しなくなった。値は張るが備えとしては良かった。防獣ネットも雑草の繁茂には効果なく、毎月の作業のいくばくかは除草になる。除草が終わると畝のお奥まで日が差し込み野菜は喜んでいるだろうと思う。

 植えたり蒔いたりしたものが育てば次は収穫、大方が高齢者だが収穫の時はどんな出来具合か育ち方が気になる。畝の中で育った物は掘り出すまで分からず、最初のひと鍬に関心が集まる。出来不出来、大小、悩ましい姿となった大根や人参、どれも畑の芸術作品で、、見えない土中の芸術家素養に笑いを貰う。

 先日は玉ねぎの収穫、ここ最近では最もよく育ち収穫量の多さを喜んだ。土中の芸術家は見るのが少々恥ずかしい玉ねぎを作った。植え付けはサツマイモの苗数十本を植える。来月はピーマンやナスが収穫できるとリーダーの話し。ピーマンとナスの畝を、周囲の刈り取った雑草でしっかり覆った。この効果やいかに、ひと月先が楽しみ。
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梅雨への備え

2019年06月09日 | 地域

 気圧配置の悪戯か、梅雨入りと思われた雨は初の「警戒レベル4」を発動させながら、梅雨入りを遅らせてしまった。梅雨入りは予想より1週間ほど日延べになったようだ。こんな自然の悪戯は笑って許せるが、W選挙のための会期延長策が永田町では策されているというが、こうした日延は歓迎しない。

 とは言っても梅雨は来る。それへの備えは欠かせない。身近なところでは道路側溝の清掃がある。各家庭にヤーン袋が配布されその時期が知らされる。排水の流れは良くなり蚊の駆除対策にもなり欠かせない。コンクリートの蓋は年寄りには無理で業者に委託する人もある、ブログで対策を訴えた声がある。

 側溝へ流れこむゴミは、世界で問題視されているプラスティック類。対策として食べ歩き飲み会歩きを禁止すれば側溝などへの溜まりは減少するのではないだろうか。小さな公園にある数本の桜がその季節には楽しませてくれる。先日その場所を通ったら、落ち葉が綺麗に掃除されていた。これで桜の葉が排水口を塞ぐ心配はない。葉を詰めておかれた袋の下にポリ袋が押し込まれている。何とも悲しい仕業にあきれる。

 梅雨は農産品への恵みの雨のはずが、最近は大洪水など災害誘発の基になっている。こうした梅雨の日数は約40日くらいという。こうした被害から命を守るのは、日頃からの備えが肝心と言われる。気象情報や自治体からの連絡をよくチェックし、万一に備えての準備は怠れない。我が家は山からの被害は受けないが、道路の冠水や河川の氾濫への心づもりは欠かせない。2階に避難くらいで済むことを願ってきたが、今年はどうだろうか。
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事故は起こしたくない

2019年06月08日 | 生活・ニュース

 高齢者の車運転についてキャンペーンかと思うほど高齢者が加害者になる重大事故が連続している。報道、特にTVでは高齢者だから起きた事故だと決めつけられるようで、今一度気を引き締めなければと思いながら、運転を続けている。免許取得から今日まで、反則金も行政処分も受けることなく来たゴールドを守りたいという気持ちがそれを支える。

 最近は各局が交通事故発生の状況としてドラレコとCGを駆使した映像を見せる。取材によるのだろうが、ドラマのような映像とナレーションに、それは絶対なのか、という疑問を感じる時がある。そうした放送の先には「高齢者は免許返納を」という落ちのようなひと言が多い。事故を起こそうと運転する人はいない。高齢という身体機能の衰えが事故を引き起こすことを心配し返納の発言になる。

 しかし、その説得の仕方はあるだろう。車が運転出来なければ日常生活できない人や地域がある。在京のTVスタジオでは理解できない地方の実態を把握しないのだろう「高齢の人は加害者になる前に免許返納すべきだろう」と名前は知らないが40代くらいの出演者、私には叫ぶように聞こえた。それについうて同調発言の無かったことにほっとした。 

 免許証の自主返納をすれば、公的な身分証明書として一生涯使える「運転経歴証明書」の交付が受けられる。自動的に交付されるのではなく手数料を添えての申請が必要だそうだ。昨秋、私の免許更新手続きをしてる傍で、自主返納手続きされる高齢のご夫婦の姿が今も目の奥に残っている。「これで乗れないのですね」、それに黙ってうなずくご主人、その寂しそうな横顔からこれまでの車生活のあれこれが蘇っているのだろう、そんなことを想像した。
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出た警戒レベル4

2019年06月07日 | 自然 季節

 何時だろうと思いながら、何かざわめくような音で目が覚めた。目覚ましは午前3時ころを指している。こんな夜中にと思いながら耳を澄ますと雨の音と気づいた。予報では大雨に注意の呼びかけをしていたことを思い出す。しばらく音の様子をうかがっていたが、起きて確認するほどではないと思い寝付く。スマホのメール受信音が鳴る。今度は4時過ぎ。

 大雨・浸水・洪水注意報の発令で内容は「明け方ごろまでに1時間最大雨量40㍉」とある。それから矢継ぎ早に雨量や河川やダムの水位や放流についてメールが入る。NHKの朝ドラが終わるのを待っていたかのように錦川上流域に避難勧告発令、これは新しい基準で「警戒レベル4」で全員が避難せよという厳しい状況を示す。

 市内西部の盆地を囲む高台に知人が住んでいる。その高台の雨量は夜明までに150㍉ほどに達していることを県の情報で知る。洪水を誘発するような雨の時はいつも驚くような雨量を記録しているが、今回も「雨の勢いは怖かったが岩盤なので大丈夫です」ということだった。1時間で100㍉に相当する雨量を数年前に経験した。ただ、短い時間で道路の冠水で済んだが恐怖を感じた。

 梅雨時の豪雨は、その末期が定説の様に思っていたが、しとしとと降る梅雨は消え、降れば土砂降りで大きな災害を引き起こす、最近はそんな梅雨に変わった。幸い大きな被害は報道されていないようで、湖底の見えるダム湖や地割れした稲田などには恵みの雨の到来ということだろう。ただ、登校の児童らには少し気の毒だったがこれも経験の一つになるだろう。
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雨待つ紫陽花

2019年06月06日 | 自然 季節

 当地も「梅雨に入ったもよう」というという気象庁の発表が明日か明後日かに近づいたと複数の気象予報士が、TVの天気予報で解説する。気象予報については気象衛星からの映像、高・低気圧の進路予想のCG、梅雨前線の移動状況など、人の目には見えない観測結果から教えられる。その精度は日進月歩、国民から信頼を得られる世になった。

 雨は万物の命を握っており、その量は多すぎても少なすぎても生物の存亡に関わる。昨年は西日本を中心に豪雨により多くの人命と共に、これまで築き上げてきた富を失った。自然も破壊された。この反省から、防災情報が警戒レベルで発表されることになりこれまでより避難については明快になった。警戒レベル3で高齢者は避難、同4では全員避難となった。避難所までの道路状況は把握しないと安全には避難できない。

 しとしとと降り止まない雨、長引くと気が塞ぎがちになり外出も控え気味になる。そんな憂鬱な気分を紛らわせてくれる一つに紫陽花がある。七変化の名のように雨に濡れ楽しませる。花ビラの様に見える萼の色変わりも風情がある。そう、「紫陽花は雨に濡れた姿が一番美しい花」と古の人はめでたという。

 そんな紫陽花、予報に合わせるかのように姿を現して来た。人手の加わらない茂みの中から何十もの萼が一斉に梅雨入り前の陽ざしを浴び輝いている。教わることもなく営みを伝承する不思議さにいつも感心する。今日は二十四節季の「芒種」、元々は稲などの穂が出る穀物の種を蒔くという意味で農家が忙しくなる時期を指すという。稲に雨は欠かせない、しとしとと降る梅雨らしい雨を待っている。
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認知検査の高得点対策

2019年06月05日 | 社会 政治

 重軽を問わず起きてはならない交通事故、残念なことに大きな事故が頻発している。その際、高齢運転者の加害事故が発生すると報道の取り上げ方が大きくなる。各方面で高齢に関する諸問題が社会問題化していることの一環かもしれないが、知りあいが免許返納し始めると、報道をうっちゃっておくことはできなくなる。免許は昨年秋に更新したので、事故なければ80歳の坂は越せる。

 高齢者の事故多発という背景を背負いながら、来週「認知機能検査」を最寄りの警察署で受ける知人がいる。検査通知が届いてから出合うたび私の経験を聞く。検査にのぞむ前から大緊張状態にある。先日は「高齢者講習認知機能検査高得点対策」という市販本を開いて話が始まった。丁度、検査を高得点で終了した人が傍にいたので、最新の情報を折り込んで、高得点対策への策を教わっていた。

 最も気にしているのは「16枚の絵を記憶する」記憶力検査のこと。この結果によってその後の講習内容が変わるなど、重要な検査になる。昨秋の検査(自動車学校)ではOHPで1度に4枚の絵を4回、計16枚の絵を映し出した。警察で受けた人は絵を1枚づつ見せられた、と話す。方法が変わったのだろうが、4パターンある絵の組み合わせは変わっていないようだ。

 高得点対策本を繰って見た。図柄をふんだんに取り入れ、大きめの文字と行間の広い編集はまさに高齢者対策にふさわしい。検査を通過した経験から言えば少し詳し過ぎるという印象だった。こうした指南書は何種類もあるようで次回の私の免許更新に参考にしたい。しかし、高齢者への規制が緩むことは無い、さらに厳しい検査になるかもしてない、返納か更新か、その時に悩もう。
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下絵付け

2019年06月04日 | 陶芸

 予報ではまもなく梅雨入りになるようだ。その前兆だろうか夕刻から小雨になった。水不足の稲田で地割れが発生している報道写真がある。昨年のような水害は御免だが、稲田に水不足というのは困る。昼間、海抜500㍍に在る施設で今月最初の陶芸教室。周囲は新緑に囲まれ、ウグイスの鳴き声も聞こえるロケーション、環境は申し分ない。

 粘土で作品という形を作るのが第一のステップ。それを素焼きし釉薬で色付けするのが第2ステップ。第一も粘土に遊ばれ難儀をする。木工とは違い作り直しや手直しは容易だが、作品全体が均一の厚さに出来ないことが作品のたわみや歪みになる。第二では釉薬を2度3度とぬり目的とする色合いを試みるが難度は高い。

 絵ごころの持ち主は専用の絵具で素焼きに直接描きつける。これが本当の絵付けだが、これも思うよう考えるようにはいかない。塗り損ねるとどうにもならない。そこで簡便な釉薬の組み合わせになる。そんな苦労をせずに下絵付けする方法もある。陶芸にふさわしい下絵を印刷した転写紙が商品としてある。上手に使いこなせば見栄えのいい器が完成する。

 転写紙を素焼きに転写すればいい。それには細やかで丁寧な操作を何度か繰り返さないと色が薄かったりずれたりと完全な転写は出来ず、仕上がりも見苦しい。そんな転写紙を少し大きめの皿1枚に始めて使った。出来栄えが分るのは本焼きの窯出し後になる。絵のつもりで描いても何かの図形にしか見えない難題の解決策ではあるが、頼るのはほどほどにしておこう。
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そら豆

2019年06月03日 | 自然 季節

 「ジャックと豆の木」。ジャックが見知らぬ老婆に会い、金貨と交換した豆を母親は怒って窓の外に投げ捨てた。翌朝、ジャックが目を覚ますと窓の外には太い蔦が天に向かって伸びていた、というお話。もしそんな豆があったら天までのぼれる、一体何の豆だろう。子どもころにはチラッと頭をかすめたかもしれないが、その答えは今も知らない。

 豆の種類は幾つもあるが、戦後の一時期、畑でとれた豆、名前は分からないが、それを使って正月餅の餡を母が作っていた記憶がある。小豆もあったが、そうでない代用品の餡だった。餅でくるめば何餡か分からない、色変わりの餡餅も気にせず食べていた。

 何年か前になる、仲間と楽しむ農園でそら豆の収穫をしながら名前の由来を尋ねた。すると「さやが空に向かってつくためそら豆という」、私だけが知らなかったようで、「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」という諺を思い出した。欧米では「聞くと愚かに見えるが 聞かなかったら実際に愚か者になる」とある。洋の東西を問わず諺の表現は違うがその芯は似ている。

 先日、そら豆を頂いた。本を読みながらそら豆を肴にウイスキーの水割りを飲んでいた。気づいたら肴はなくなっていた。ふと、「えんどう豆とそら豆とカツオは食べすぎるとお腹をこわす」という歌があることを思い出した。どれも今が旬の物、何でも食べすぎれば良くないが、それほど美味いということだろう。それを実感しながら一日の終わりに感謝をした。
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児童の心理ケア必要

2019年06月02日 | エッセイサロン
2019年06月02日 中国新聞「広場」掲載

 近くの小学校の運動会振り替え休校の翌朝、登校する児童らを見送りながら「今日も一日安全に」と願った。私の日課の一つで、明るい話し声からいつも元気をもらっている。
 それから1時間もたたずに川崎市で登校中の児童を襲う凶悪な事件が報じられた、先ほどまで見ていた児童と重なり、身震いすると同時に強い怒りを覚えた。
 犯人の自殺で動機の解明は困難だろうが、再発防止に向けた関係者の最善策を願っている。
 急がれる一つは児童へのケアだろう。ショックを受けた子らには急な腹痛や頭痛、無表情や不眠など、これまでとは異なる様子が現れるという。事件現場に居合わせた児童はもちろん、全校生へ細やかな対応を図ってほしい。
 また、事件現場で手を合わす子を含む大勢の姿を映像で見ながら、被害児童の学校以外の子どもらにも、ケアの必要が発生していないかと心配している。
 翌日の児童の登校には付き添いの親が増えている。
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梅の実

2019年06月01日 | 生活・ニュース

 九州南部は梅雨入りしたという。県内の梅雨入りは5日頃とかわっていないようだ。これから梅の収穫時期になるはずだが、少し色づいた梅が何個か道に落ちている。高いブロック塀を越えて2本の枝が「これ見て」というように覗いている。梅はこれから収穫の時期なのにすでに黄いろくなりかけている。ほかの枝の実も同じようだ。

 「腹をこわすから青い梅を食べてはいけない」、これは子どものころに言い聞かされた。柿やビワなどは貰って食べていたが、注意を守り青梅には手を触れなかった。梅は腹薬のようないわれをしているが、交通信号の青とは違うらしい。調べれば回答は即出るだろうが、知らないままでいるほうが、思い出としては味があるかと思う。

 梅雨になると雨や湿度の高い日が続き人は気分が晴れず不快な日が続く。しかし、この気象が梅の収穫時期になり梅は喜ぶ。だから、昔の人は、つゆを「梅雨」と書くことにしたのではなかろうかと想像する。梅の花をめでる詩歌は多いいが、その実を愛でる文には出会ったことが無いように思うが、薬効を思えばどこかに埋もれているのだろう。

 梅の実が落下するのは実を育てるエネルギーが不足している、畑の畔に数本あった梅の木を見て隣の畑から「昔は人糞を使った。それは畑の畔にもわずかでも効いていた。鶏糞を撒いて見んさい」と教えられ実行した。翌年は花も実も充実した。要領を覚えたところで公共用地として買収され埋め立てられ、わが家の畑が消え梅も採れなくなって何十年になるだろう。
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