a letter from Nobidome Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

あと3日。

2013-08-24 17:07:39 | 東京公演

モルドバ・キシノウの市場にて
前日の公演を見てくれた、日本語学校の生徒さんや、
ウクライナの日本文化を研究されている方と、
偶然町で出会って記念写真。


それでは、
演出補として稽古場にいる代表の旅の報告です。



演出補=志賀澤子(しがさわこ)


在ウクライナ坂田大使と

2013年6月とうとうルーマニア、シビウの国際演劇祭に参加。
同時にモルドバ、キシノウでの日本フェスティバルにも。
『桜の森の満開の下』は広渡常敏が坂口安吾の小説から戯曲を書き、演出、
1963年俳優座劇場で初演、1984年渋谷パルコパート3から現在の、屏風破りからはじまる舞台なった。
今、女は原口久美子、山賊は公家義徳、どちらも3代目。
この芝居の海外の旅は、ニューヨークからはじまり、
ソウル、ロンドン、ウラン ウデ、ベルファウスト、ダブリン、コーク…とアジア、
ヨーロッパの多様な劇場での上演だった。
出演する役者は12人、女と山賊は舞台で、他の役者は舞台裏でも息継ぐ間がないほど忙しい。
裏方専門のスタッフは15人から20人、
仕込みから本番片付けまで、すべて総がかりで舞台をつくりあげて上演する。
そういうわけで旅が終わるともう2度と『桜』の海外公演はやめてほしいという雰囲気になる。
今回も帰ってからしばらく私もボーっとしている。
本当にお疲れさまでした。以下旅の報告の一つとして。


キシノウのイオネスコ劇場前にて

行きの飛行機はすっと昼を飛ぶ。いつの間にか雲が切れ眼下が鮮やかに緑色にひろがる。
ところどころに、大きな街がみえる。
サンクトペテルブルクを見のがすまいと窓から覗き込んでいたら、思いがけず大きないつまでも続く大都会!14年前 ウラン ウデに同じ芝居をもっていったこと、10年前『かもめ』でモスクワ、タガンローグに飛んでいったことを思い出す。
ミュンヘンを経由して、モルドバのキシノウへ着いたのは夜。
そこはルーマニア語とロシア語の国だった。
1991年にロシアから独立し、モルドバ共和国になった。
そこにはソ連邦解体直後のロシア公演で味わった、崩壊した社会主義大国の香りがのこっていた。
ウジェーム・イオネスコ劇場はペトル・ブトカレウさんが政府から提供されたクラブを劇場に何年もかけてつくり直している途中。
『桜』の手の込んだ仕込みに、劇場スタッフの目は輝いた。
東京演劇アンサンブルの50年続けてきた、学校体育館を劇場にという仕事は、
世界に誇る技術をもっていることが、キシノウでも、シビウでも立証され、
アンサンブルの舞台技術を研修させたいので、舞台監督の浅井や入江をキシノウに又派遣してほしいと真剣に要望された。
社会主義ソ連が遺した街、広い通り、のびやかに育った街路樹、
戦いの勝利の女神と民衆の銅像。モスクワで5年間の演劇学校を卒業して、
キシノウに帰ってきたペトルさんは、まだ残っているソ連の体制の香りを一掃しなければ、
モルドバは良くならない、演劇は駄目になると情熱をもって語った。
その彼がこれまで来たどの日本の芝居よりも『桜』が素晴らしかったと言ってくれた。
哲学がある、ジャポニズムではない、世界の人間共通の永遠のテーマが凄い、美しい芝居だと。
仕込みの日、初日、ばらし、毎日夜になると劇場のロビーには、
白いテーブルクロスがかかった長いテーブルに、シャンペングラスが飾られ、私たちを待っていてくれた。
シャンパン、ご自慢のワイン、自家製のパリンカ、チーズやパンや木の実が並んだ。
最後、バラシの日は仕事が終わらないメンバーを待ち続けている間ペトルさんは、
キシノウで劇団をつくって、エジプト、カイロでのフェスティバルに車で参加したときの話をしてくれた。
限られた条件の中で、車で宿泊しながら自分たちの演劇の場をつくっていった若者たちの姿は、
今モルドバに旅して、夢中になって舞台を創りあげた東京演劇アンサンブルの姿、日本での仕事に重なる。
日本週間の初日として私たちを迎えてくれたのは、まさしくペトルさんの‘劇団’だったと感謝する。
初日の舞台は素晴らしかった。客席に居た私は胸が熱くなった。
今やれることしかやれない。でも芝居の1時間は、予測できないところへ役者を運び、観客の心に飛び込んでいく。
『桜』の舞台は一度走り出したら、引き返すことができない急斜面を行く、そこに作品行為が生まれる。
演出家広渡常敏が『銀河鉄道の夜』『走れメロス』と繰り返し役者を投げ込むコールサックへの道。
演出の席に座る私は、祈るしかない。
それぞれの役者の闘いを信じた。
ブラボーの声とスタンディングオベーションに全身の力が抜けた。


初日のお手製の歓迎会。

シビウに到着する前2日かけて国境をこえ、羊や馬や荷馬車のいる草原を走り、
ヤシ、ブラショフ、プラン村を通り、ホテルに泊まったり、コンビニやレストランに入ったり。
ルーマニア公国の歴史に思いを馳せながらのバスの旅。
シビウに近づくにつれて町並みや屋根が古いドイツの街づくりを思わせる。あのちょっと腫れた、半開きの眼が、屋根から覗いている家が見え始めた。シビウに着いた。
フェスティバル前日に仕込み、初日に2回の公演だ。
また2日間悪魔のように働いて、その日のうちに撤収した。
最後の公演の前には、バケツ、をひっくり返したような雨が1時間も降り、
劇場のオクタビアン・ゴガの体育館の入り口は川のよう。
そしてすべてが終わったころには、フェスティバルの初日を祝う花火があがっているのが屋根を越してわずかに見えた。
芸術監督のコンスタンチン・キリアックさんは、記念すべき20周年のフェスティバルの初日に上演することを祝福してくれた、
これほど中身の濃い演劇フェスティバルは世界にないと、殊にこの年の成功に賭けたとのこと。
たしかに昨年までの数年間とは雰囲気が違ってきている。
こわれかけた屋根や壁がきれいに修復され、
あの眠そうな‘目’が減っている。道のカフェのテントはどんな雨にもまけないように頑丈になった。
でも中心の劇場ラドウ・スタンカの役者たちが、
大劇場、小劇場、カフェ、本屋、トラムの中、テントなどあらゆるところで次々に芝居をし、
その合間には外国から来た芝居を観、
夜は劇場の隣の野外クラブで飲み、踊り、語り合う、
このフェスの中心には劇団がいるという貴重さは、まだ失われていなかった。
自分たちの公演が終わったあと、私たちもそれぞれ意欲的な海外の舞台を勢力的に観て歩くことができた。
参加したフェスティバルの全容とはいかなかったけれど、沢山の刺激をうけたと思う。
演劇の多様性と演劇人の自由、誇りが自然に顕われている。
演劇による共通言語で観客と語り合っている。
それを求め、発見しようとしている人たちが集まっている。
ダンス、音楽、大道芸、広場での大ページェント、シビウの街全体を舞台にくりひろげられている表現芸術のフェス、
その核に演劇があることが素晴らしいと私は思っている。
規模が大きくなるにつれて、たくさんのスポンサーの名前が並びはじめた。
コマーシャリズムに覆いつくされ、支配されないことを願っている。
フェスティバルのテーマの一つは、現代演劇と伝統、キシノウでもシビウでも同じ質問をうけた。
私たちは現代日本の矛盾そのものだと思う。
演劇界のエリートでない、自身を見つけられない人間が、
芝居をすることではじめて、自身の姿を知る、そんな集団ともいえる。
経済大国に生きて、そのおかげで文化庁から助成金をもらうことができ、海外公演をすることができた。
第2次大戦中の日本人の生き方を問う『堕落論』や『白痴』を書いた坂口安吾の小説による芝居『桜の森の満開の下』で、
伝統演劇のしばりから自由に山賊と女を生かすことで、現代日本、現代世界の人間を描いた。
その手ごたえはあった!



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東京演劇アンサンブル公演
桜の森の満開の下

作=坂口安吾
脚本・演出=広渡常敏
音楽=池辺晋一郎
演出補=志賀澤子
照明=大鷲良一
効果=田村悳
衣裳=小木節子
舞台監督=浅井純彦
制作=小森明子・太田昭

前売一般3800円
前売学生3000円
当日4500円

全席自由
上演時間1時間(遅れると入場できません)

8/27(火)19:30
8/28(水)19:30
8/29(木)19:30
8/30(金)休演
8/31(土)14:00
9/1(日)14:00

ブレヒトの芝居小屋
(西武新宿線・武蔵関駅より徒歩7分)

公演詳細HP

東京演劇アンサンブルウwebチケットサービス