なんというか、強弁の方向性によってそのひとの限界やなんやかやがいろいろあぶりだされるなあと思う今日この頃。
残念ながら存在すべきでないものを焼却処分する、焼却してなかったこととするという文脈に強く印象付けられてしまっているものであり、ちょっと擁護としては筋が悪い。
連隊旗奉焼なんてもんもありまして、余人の手にふれさせるべきでない尊いもの、我らの統合の象徴たるものであり敵手にゆだねるなど言語道断、というものを焼き清めるということもありまして、必ずしもケガレを焼くだけではないのである。
とまあ、会期が終わったところで纏めてキャンプファイアー的に燃やしてしまい、奉焼ということにすれば納得感が出よう。哲学なり思想的立場なりでいえば、昭和天皇の像は、特に戦前の日本人にとって原像のひとつであり、我が血肉のひとつでもあった。慰安婦も、特に兵卒階級からみれば、貧乏のせいで家族から売られた姉ちゃんや叔母ちゃんや…に重なる存在であって(特に東北からすれば)、これも我らが原像のひとつである。そうした我々を構成する諸要素を纏めて展示し、纏めて奉焼してしまえば、それをみなで見送れば、我らの中の戦前的なものの存在を改めて確認し、かつての被害に思いをよせ、未来へ向けて思いを新たにすることになろう。
焼いちゃいけないはずのものを、あえて焼いてしまうことによって、非常な情動がおこるのだと、まあそこまで単純化してもよい。
そうまでして焼いてこそ、おお、なんだかよくわからんが、それこそが現代アートだよな! ロックバンドのギタリストがギターを叩き折るようなもんだよな! と納得がいくかもしれない。
んで、なんで慰安婦像は焼かないんだ?
まあ、そこで思想的な一貫性のなさをつっこまれることになろう。
いや燃やすという行為は、祈りなんです。神社で自分の願いを書いたお札を燃やすのも祈り。神に自分を近づける行為は痛みを伴う喜びとされている。東洋哲学の天空逍遥の一形態なんです。 https://t.co/KHcJt3FpOk
— 上山信一 (@ShinichiUeyama) 2019年9月18日
残念ながら存在すべきでないものを焼却処分する、焼却してなかったこととするという文脈に強く印象付けられてしまっているものであり、ちょっと擁護としては筋が悪い。
無知無学な身で、先生に返信頂いた事に恐縮しております。
— nagi (@flymoon_nagi) 2019年9月18日
哲学で納得できません。
お守りは神社で神職によって浄められた炎で焼却されるもの。
陛下の肖像には陛下の魂が宿る。作者の祈りの為に、陛下が不浄の火で痛んだと考えます。
チベットの僧は?身を焼き、神に近づいたと喜んでるのですか?
ここ、重要だと思います。
— ひろみょん♪ (@kumamushiahan) 2019年9月28日
ここを「東洋哲学」で説明して欲しいですね。
火で存在を消してしまう、浄化するのは、その存在が不浄だからというのが普通の理解でしょう。
「地獄の業火」を連想すると土葬にこだわる人たちは多い。
連隊旗奉焼なんてもんもありまして、余人の手にふれさせるべきでない尊いもの、我らの統合の象徴たるものであり敵手にゆだねるなど言語道断、というものを焼き清めるということもありまして、必ずしもケガレを焼くだけではないのである。
燃やすのが祈りと強弁するのであれば、まず真っ先に「戦時性暴力の悲惨な被害者の象徴たる慰安婦像」を燃やして踏みつけにすれば宜しいのでは? https://t.co/O6hoNrQvo1
— ユーリー🔨 (@Yuriy_Julius) 2019年9月29日
とまあ、会期が終わったところで纏めてキャンプファイアー的に燃やしてしまい、奉焼ということにすれば納得感が出よう。哲学なり思想的立場なりでいえば、昭和天皇の像は、特に戦前の日本人にとって原像のひとつであり、我が血肉のひとつでもあった。慰安婦も、特に兵卒階級からみれば、貧乏のせいで家族から売られた姉ちゃんや叔母ちゃんや…に重なる存在であって(特に東北からすれば)、これも我らが原像のひとつである。そうした我々を構成する諸要素を纏めて展示し、纏めて奉焼してしまえば、それをみなで見送れば、我らの中の戦前的なものの存在を改めて確認し、かつての被害に思いをよせ、未来へ向けて思いを新たにすることになろう。
焼いちゃいけないはずのものを、あえて焼いてしまうことによって、非常な情動がおこるのだと、まあそこまで単純化してもよい。
そうまでして焼いてこそ、おお、なんだかよくわからんが、それこそが現代アートだよな! ロックバンドのギタリストがギターを叩き折るようなもんだよな! と納得がいくかもしれない。
んで、なんで慰安婦像は焼かないんだ?
まあ、そこで思想的な一貫性のなさをつっこまれることになろう。
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