空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「奉焼」と言う概念も存在するので、適宜利用してもよいのでは

2019-09-29 22:05:34 | Weblog
 なんというか、強弁の方向性によってそのひとの限界やなんやかやがいろいろあぶりだされるなあと思う今日この頃。



 残念ながら存在すべきでないものを焼却処分する、焼却してなかったこととするという文脈に強く印象付けられてしまっているものであり、ちょっと擁護としては筋が悪い。




 連隊旗奉焼なんてもんもありまして、余人の手にふれさせるべきでない尊いもの、我らの統合の象徴たるものであり敵手にゆだねるなど言語道断、というものを焼き清めるということもありまして、必ずしもケガレを焼くだけではないのである。



 とまあ、会期が終わったところで纏めてキャンプファイアー的に燃やしてしまい、奉焼ということにすれば納得感が出よう。哲学なり思想的立場なりでいえば、昭和天皇の像は、特に戦前の日本人にとって原像のひとつであり、我が血肉のひとつでもあった。慰安婦も、特に兵卒階級からみれば、貧乏のせいで家族から売られた姉ちゃんや叔母ちゃんや…に重なる存在であって(特に東北からすれば)、これも我らが原像のひとつである。そうした我々を構成する諸要素を纏めて展示し、纏めて奉焼してしまえば、それをみなで見送れば、我らの中の戦前的なものの存在を改めて確認し、かつての被害に思いをよせ、未来へ向けて思いを新たにすることになろう。

 焼いちゃいけないはずのものを、あえて焼いてしまうことによって、非常な情動がおこるのだと、まあそこまで単純化してもよい。
 そうまでして焼いてこそ、おお、なんだかよくわからんが、それこそが現代アートだよな! ロックバンドのギタリストがギターを叩き折るようなもんだよな! と納得がいくかもしれない。


 んで、なんで慰安婦像は焼かないんだ?
 まあ、そこで思想的な一貫性のなさをつっこまれることになろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハッピーサイエンス大学再申... | トップ | 参加者10万人予定で主催者発... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事