なんかまた、”きっと自分が嫌うあの無能文科相がナアナアで認可してしまうであろう、なんとお友達人事の国権私物化であろうか!”みたいな憂国痛憤の情をぶちまける人たちが発生するような感であるが、あいちトリエンナーレ補助金内定取り消しと同様、まあまずは形式でぶったぎるのがお役人・お役所というものでもありまして。大臣があまりにやらかそうとするなら、田中真紀子氏のように追い落とされるリスクもですな、という思いは多少ある。
記事は消えているのだが
日刊スポーツ「幸福の科学大の設置認可を再申請へ 14年に不認可 - 社会(2 日前)」
「学校法人「幸福の科学学園」が2021年春に「幸福の科学大」の開学を予定し、大学設置認可を申請する方針であることが27日、幸福の科学グループへの取材で分かった。」
なんて報道があったようだ。
まあ、審査が通るような用意はちゃんとできましたか? とわたしは思う。
せめて五年前の醜態と惨状を繰り返さない程度の作戦はできましたかねえ、と。そろそろ「大学準備室」に、ちょっとしたランクの学者をそろえておく必要がありますよ、きっと(雑誌の様子をみると、できてねえんじゃねえかなあと思う)。
関連:「たぶんある意味純粋公募(2014-08-15)」
「「募集期間 Deadline for applications 2014年08月10日から 2014年08月20日まで
着任時期 Starting date 2015年04月01日から」
重要なのでもう一度:「募集期間 Deadline for applications 2014年08月10日から 2014年08月20日まで」」
関連:「大学不認可対応(2014-11-24)」
「1) 学長予定者(旧)に学問的業績がない
2) 学長予定者がくるくる変わる(私が知っている限り、今年度始まって以来、3名)
3) 教員の数が揃っているかどうか極めて疑問
3.1) 揃っていなかったろう証拠としては、2015年4月開学予定のはずなのに、2014年8月9日開始で8月20日〆の公募を4件、発していることを上げることができる(「たぶんある意味純粋公募」)。
3.2) ちなみに絶望的なのは、宗教法人が元締めの学校のはずなのに、宗教学(あと、あえていえば心理学)の先生の募集をここまで差し迫った時期に、『ええと、どうでもいいからとりあえず応募する気があるかどうかだけ教えてください!』という本音もろだしにしている点。
3.3) さらに言えば、哲学担当の公募をこんな時期にしているのもマズイ。文科省とやりあう際の、理論闘争用の人材として哲学・法学あたりを早期に押さえておくべきだった。
4) 3)の状況から、シラバス等々ができているはずもないと推定される=少なくとも4年間の教育システム構築ができていないと推定される
4.1) なお文書作成能力に疑問がある」
ところで一応、『人間幸福学』という雑誌は立ち上げ、とりあえずそこそこ発刊はしているのだが、2009年創刊で2014年に第6巻、2018年に第7巻、2019年に第8巻というのは、あのねえそこは間を空けちゃあだめでしょうという気がかなりする。
2014年に「ふざけんな」判定を喰らって、まあ5年間は再審査もなにもしないからな、と言われてたはず。だからこの間にもできるだけ、最善をつくして「学術」らしくしなければならなかったんだ。
超具体的に言うと、学会の大物を高額の原稿料で拝み倒して雑誌にやまほど書いてもらう、とか。
その紹介で、いまは就職先がないが有望である若手・中堅を大量に確保、やはり大量に論文を書いてもらう、とか。
関連:「見ていた記事メモ(2014-12-12)(見ていた記事メモ(2014-12-12))」
関連:「自己の行動に他者が如何様に反応するかということへの意識が薄い=その世界観に真の他者を含んでいない(2014-12-12)」
「ところで、先の弁明書には、どんな先生がどれだけいて、どれだけの学問的業績があって、どれほどの高度な教育を展開できるものか―そんな具体的な説明は例示さえされていないような気がするが(全文くまなく見る気はしない)、その点は大丈夫だろうか。いや、幸福の科学教学については心配しないこととして、ほかの学問領域について」
…まあその、紀要自体はまあ、分野ごった煮状態でいいんだ。だが、筆者をそろえないと。自派教団のひとに自派教団運営の雑誌にひたすらかかせるだけ、じゃダメで、あの、それなりにはばひろく存在を認知された学者ですよー、ということを説明できるようにしないと。「よその雑誌にも採用される水準のひとです」ということをちゃんと見せないと。せめて、国内学会トップ誌に採用されて…とか、実績を積まないと…!
…まあ私だってそんなに掲載誌の幅が広いわけではないが、出身研究室の学会と、国内トップということになってるらしい所が主戦場で、あとは別分野の学会のところと知人のいる研究室のところの雑誌と…。ばらけはするんでなあ。
記事は消えているのだが
日刊スポーツ「幸福の科学大の設置認可を再申請へ 14年に不認可 - 社会(2 日前)」
「学校法人「幸福の科学学園」が2021年春に「幸福の科学大」の開学を予定し、大学設置認可を申請する方針であることが27日、幸福の科学グループへの取材で分かった。」
なんて報道があったようだ。
幸福の科学月刊誌「ヤングブッダ2019年9月号
— 幸福の科学の職員は【ダークネス】肘鉄が得意 (@darkness96969) 2019年9月28日
HSU教員が語る魅力
「HSUで教鞭をとっていたらガンの数値が良くなった」
「教学や信仰生活が病気が治る」
「大川総裁の宇宙人リーディングなどからヒントを得て研究」
こんなのを認可させていいのか。https://t.co/AUFC07N0a1 pic.twitter.com/932rFConbq
まあ、審査が通るような用意はちゃんとできましたか? とわたしは思う。
せめて五年前の醜態と惨状を繰り返さない程度の作戦はできましたかねえ、と。そろそろ「大学準備室」に、ちょっとしたランクの学者をそろえておく必要がありますよ、きっと(雑誌の様子をみると、できてねえんじゃねえかなあと思う)。
関連:「たぶんある意味純粋公募(2014-08-15)」
「「募集期間 Deadline for applications 2014年08月10日から 2014年08月20日まで
着任時期 Starting date 2015年04月01日から」
重要なのでもう一度:「募集期間 Deadline for applications 2014年08月10日から 2014年08月20日まで」」
関連:「大学不認可対応(2014-11-24)」
「1) 学長予定者(旧)に学問的業績がない
2) 学長予定者がくるくる変わる(私が知っている限り、今年度始まって以来、3名)
3) 教員の数が揃っているかどうか極めて疑問
3.1) 揃っていなかったろう証拠としては、2015年4月開学予定のはずなのに、2014年8月9日開始で8月20日〆の公募を4件、発していることを上げることができる(「たぶんある意味純粋公募」)。
3.2) ちなみに絶望的なのは、宗教法人が元締めの学校のはずなのに、宗教学(あと、あえていえば心理学)の先生の募集をここまで差し迫った時期に、『ええと、どうでもいいからとりあえず応募する気があるかどうかだけ教えてください!』という本音もろだしにしている点。
3.3) さらに言えば、哲学担当の公募をこんな時期にしているのもマズイ。文科省とやりあう際の、理論闘争用の人材として哲学・法学あたりを早期に押さえておくべきだった。
4) 3)の状況から、シラバス等々ができているはずもないと推定される=少なくとも4年間の教育システム構築ができていないと推定される
4.1) なお文書作成能力に疑問がある」
ところで一応、『人間幸福学』という雑誌は立ち上げ、とりあえずそこそこ発刊はしているのだが、2009年創刊で2014年に第6巻、2018年に第7巻、2019年に第8巻というのは、あのねえそこは間を空けちゃあだめでしょうという気がかなりする。
2014年に「ふざけんな」判定を喰らって、まあ5年間は再審査もなにもしないからな、と言われてたはず。だからこの間にもできるだけ、最善をつくして「学術」らしくしなければならなかったんだ。
超具体的に言うと、学会の大物を高額の原稿料で拝み倒して雑誌にやまほど書いてもらう、とか。
その紹介で、いまは就職先がないが有望である若手・中堅を大量に確保、やはり大量に論文を書いてもらう、とか。
関連:「見ていた記事メモ(2014-12-12)(見ていた記事メモ(2014-12-12))」
関連:「自己の行動に他者が如何様に反応するかということへの意識が薄い=その世界観に真の他者を含んでいない(2014-12-12)」
「ところで、先の弁明書には、どんな先生がどれだけいて、どれだけの学問的業績があって、どれほどの高度な教育を展開できるものか―そんな具体的な説明は例示さえされていないような気がするが(全文くまなく見る気はしない)、その点は大丈夫だろうか。いや、幸福の科学教学については心配しないこととして、ほかの学問領域について」
…まあその、紀要自体はまあ、分野ごった煮状態でいいんだ。だが、筆者をそろえないと。自派教団のひとに自派教団運営の雑誌にひたすらかかせるだけ、じゃダメで、あの、それなりにはばひろく存在を認知された学者ですよー、ということを説明できるようにしないと。「よその雑誌にも採用される水準のひとです」ということをちゃんと見せないと。せめて、国内学会トップ誌に採用されて…とか、実績を積まないと…!
…まあ私だってそんなに掲載誌の幅が広いわけではないが、出身研究室の学会と、国内トップということになってるらしい所が主戦場で、あとは別分野の学会のところと知人のいる研究室のところの雑誌と…。ばらけはするんでなあ。
つまり、①既に基幹人員は用意してある可能性がある、が、前回の様子をおもうに②そもそも出してもいない可能性もまた大いにある。
…いやほんと、信者に、学校運営のうの字くらい、触った人はいるだろうに。とにかくそういう人を雇うんだよ! そして関連規定をチェックするんだ!
よその雑誌に書いてないっぽい。
ふつー、こういう資格審査のときには、紀要論文の評価はものっそい低いのが普通で(当然、ないより遥かにましだが)、せめて他所さんの雑誌に多数発表している…とか、『その分野では評価がたかい』という客観的な指標が求められるのではないか。