日経 技能訓練の専門大学、高専など移行 就職後押しへ新制度 2015/2/15 2:00
「政府は企業の即戦力になる人材を育てるため、簿記や金属加工など専門的な技能を習得する新たな大学の制度をつくる。今の専門学校や高等専門学校(高専)、私立大学などが移行できるようにする」
すでに改革案はでき、早ければ来年の通常国会で審議する―模様。
BLOGOS 高校の「専攻科」って何? 大学編入を認める答申も ‐ 斎藤剛史 2015年02月16日 10:00
「中教審は、教育内容や教員資格など高校専攻科の基準を新たに設けて教育の質を保証したうえで、高校専攻科での学習成果を大学教育の単位として認め、大学への途中編入を可能とするとしています。文部科学省は、早ければ2016(平成28)年度から高校専攻科修了者の大学編入を可能にする予定です」
端的には、まずは(同業者の利害関係的に)短大卒程度の質を保証できるだけの教員の質確保が求められる。現実にはかなりアレであろうとも(某短大が大学に改組する際の話を思い起こしつつ)、設置の際には一応仮にもそろえるべきものがある(科研費機関認定のための各所属研究者の研究業績基準を想起し、それと我が校の現状を対比しつつ)。
…今現にいるひとの「なまくびきり」は、まあ、ないだろう(と信じることにする)けど…ちょっと人事が動く可能性があるなあ。
東洋経済 「冨山和彦氏、大学教員の「選民意識」にモノ申す 日本の大学教育は大多数者の役に立たない」杉本 りうこ :週刊東洋経済編集部 記者 2015年01月26日
「僕は地方のバス会社など中小企業を経営しているからわかる。中小企業で働く人の現実と、大学が教える内容はまったく合っていない」
地方の中小の大学の現実は、すでに大分動いてしまっているので、実際に現場を見ればよいと思う。学会に行ったり研究会に行ったりして、大大学ではない、ちっちゃい、経営に苦しむ諸々の中小の大学に属する人の声を聞けばいい。
自分自身がやったこともない、企業訪問をやるのは当然のことだろう。学生の教育実習先にご挨拶に行くとかも同様だ。学生のSNS関係をチェックもする(ろくでもないことを書いている・書く可能性がある!)。
公募で人を採る際に、業績と講義とのマッチングを重視する、講義ができなければ我々にとって死活問題だ!
当然、研究論文は書かねばならない。ただの論文ではいけません。その中に科研費を当てるに値するもの、財団等からお金を引っ張ってこれるテーマ、外部機関から寄付金をもらえるような技術があったらいいなさい!
冨山氏が非難されるのは、典型的な二流(以下)の論法を取る点であろうか。つまり、「論敵」のレベルを自分ないし自分以下の何ものかに設定し、そういうものしか相手にしない。
(自己検閲)とかいう漫画家や彼とつるんだ人々などを思えばよい。彼らは、「敵」のうち、真実に強力なひとびとを避けて、彼らでも理解できる、三流(以下)程度のひとびとを「学者」と認定し、その水準で「大勝利を獲得する」のだ。
「私はアカデミックを否定しているわけではまったくありません。高等教育は、アカデミックスクールと実学を教えるプロフェッショナルスクールの「二山構造」にするべきだと言っているのです。日本以外の先進国はどこも基本的に二山構造です。日本だけ実学の山がないというのは、ある種の職業差別といっても過言ではありません」
「なぜ大学教員が僕の提言にものすごく反発するかというと、彼らの中に上下があるからですよ。大学人は職業訓練なんか二流、三流のものだと思っている」
ほんと、そうらしいわ。
職業訓練学校状態のところに勤めているひとは、そうやって自分たちが二流だとかいう意識を持つし、大大学のひとは『ははん、三流以下の分際で、よく学会に出てきた。そこはほめてやってもいい』みたいな意識を持つ人がいるらしい。
…いや、相手を見てから話をしろよ、とか思うが。学者は個人営業の色合いがあってですね、そこは。
……まあ私は見かけが低脳無能に見えるらしいからしょうがないけど。
「そしてプロフェッショナルスクールで生きていける自信もないんですよ」
地方の小さいところのひとは、すでにそーいう状況で仕事しているようだから、まあ良いのではないか。問題は都市部の大規模な中堅大とかじゃないかなー、しらんけど。
それができるのは、人材の一部らしくて。
同じ学校で同じように先生と呼ばれていても、”就職できたんだからもう安泰だ”と研究しなくなっちゃうひととかいたりして、なんというか、差は広がるばかり、のように思えますね。
…まあいいか。私は「研究業績叩き出し」用の教員なんだろうから、とにかく研究業績を出して外部資金をいただいてくることに力を注げばよいか。行政任務や今後の戦略を構想する任務は他の人にお任せしよう。
なのです。
ただまあ私のような外様はどうも身動きがとりづらいし。譜代の皆様方はどうも情勢の理解を我々とともにはして下さってないようであるし。困ったことなのであります(日記)。
「政府は企業の即戦力になる人材を育てるため、簿記や金属加工など専門的な技能を習得する新たな大学の制度をつくる。今の専門学校や高等専門学校(高専)、私立大学などが移行できるようにする」
すでに改革案はでき、早ければ来年の通常国会で審議する―模様。
BLOGOS 高校の「専攻科」って何? 大学編入を認める答申も ‐ 斎藤剛史 2015年02月16日 10:00
「中教審は、教育内容や教員資格など高校専攻科の基準を新たに設けて教育の質を保証したうえで、高校専攻科での学習成果を大学教育の単位として認め、大学への途中編入を可能とするとしています。文部科学省は、早ければ2016(平成28)年度から高校専攻科修了者の大学編入を可能にする予定です」
端的には、まずは(同業者の利害関係的に)短大卒程度の質を保証できるだけの教員の質確保が求められる。現実にはかなりアレであろうとも(某短大が大学に改組する際の話を思い起こしつつ)、設置の際には一応仮にもそろえるべきものがある(科研費機関認定のための各所属研究者の研究業績基準を想起し、それと我が校の現状を対比しつつ)。
…今現にいるひとの「なまくびきり」は、まあ、ないだろう(と信じることにする)けど…ちょっと人事が動く可能性があるなあ。
東洋経済 「冨山和彦氏、大学教員の「選民意識」にモノ申す 日本の大学教育は大多数者の役に立たない」杉本 りうこ :週刊東洋経済編集部 記者 2015年01月26日
「僕は地方のバス会社など中小企業を経営しているからわかる。中小企業で働く人の現実と、大学が教える内容はまったく合っていない」
地方の中小の大学の現実は、すでに大分動いてしまっているので、実際に現場を見ればよいと思う。学会に行ったり研究会に行ったりして、大大学ではない、ちっちゃい、経営に苦しむ諸々の中小の大学に属する人の声を聞けばいい。
自分自身がやったこともない、企業訪問をやるのは当然のことだろう。学生の教育実習先にご挨拶に行くとかも同様だ。学生のSNS関係をチェックもする(ろくでもないことを書いている・書く可能性がある!)。
公募で人を採る際に、業績と講義とのマッチングを重視する、講義ができなければ我々にとって死活問題だ!
当然、研究論文は書かねばならない。ただの論文ではいけません。その中に科研費を当てるに値するもの、財団等からお金を引っ張ってこれるテーマ、外部機関から寄付金をもらえるような技術があったらいいなさい!
冨山氏が非難されるのは、典型的な二流(以下)の論法を取る点であろうか。つまり、「論敵」のレベルを自分ないし自分以下の何ものかに設定し、そういうものしか相手にしない。
(自己検閲)とかいう漫画家や彼とつるんだ人々などを思えばよい。彼らは、「敵」のうち、真実に強力なひとびとを避けて、彼らでも理解できる、三流(以下)程度のひとびとを「学者」と認定し、その水準で「大勝利を獲得する」のだ。
「私はアカデミックを否定しているわけではまったくありません。高等教育は、アカデミックスクールと実学を教えるプロフェッショナルスクールの「二山構造」にするべきだと言っているのです。日本以外の先進国はどこも基本的に二山構造です。日本だけ実学の山がないというのは、ある種の職業差別といっても過言ではありません」
「なぜ大学教員が僕の提言にものすごく反発するかというと、彼らの中に上下があるからですよ。大学人は職業訓練なんか二流、三流のものだと思っている」
ほんと、そうらしいわ。
職業訓練学校状態のところに勤めているひとは、そうやって自分たちが二流だとかいう意識を持つし、大大学のひとは『ははん、三流以下の分際で、よく学会に出てきた。そこはほめてやってもいい』みたいな意識を持つ人がいるらしい。
…いや、相手を見てから話をしろよ、とか思うが。学者は個人営業の色合いがあってですね、そこは。
……まあ私は見かけが低脳無能に見えるらしいからしょうがないけど。
「そしてプロフェッショナルスクールで生きていける自信もないんですよ」
地方の小さいところのひとは、すでにそーいう状況で仕事しているようだから、まあ良いのではないか。問題は都市部の大規模な中堅大とかじゃないかなー、しらんけど。
企業も大学も経験した立場で言うと。大学の研究面での価値は、企業ができない基礎的・ぶっ飛んだ研究を行う他に、企業では「理屈はともかく、できたから良い」という部分を深堀して「知」に高める。体系立てて、後世に伝えることが大切。理論体系ができていないと、最終的に産業としても広がらない。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2015, 1月 25
それができるのは、人材の一部らしくて。
以前は中学受験で御三家に入って大学受験で東大に入り、大企業に就職というような人は、一生安泰なので段々勉強しなくなったと思う。ところが、最近の若くて高学歴な人は、できる人ほど拍車をかけて自分を鍛える続けている印象。逆転どころか、一度立ち遅れたら差は広がるばかりに。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2014, 12月 17
同じ学校で同じように先生と呼ばれていても、”就職できたんだからもう安泰だ”と研究しなくなっちゃうひととかいたりして、なんというか、差は広がるばかり、のように思えますね。
…まあいいか。私は「研究業績叩き出し」用の教員なんだろうから、とにかく研究業績を出して外部資金をいただいてくることに力を注げばよいか。行政任務や今後の戦略を構想する任務は他の人にお任せしよう。
大学改革の政策が出てきました。少子化で教育マーケットが縮小する一方、財政難だから淘汰が必要なのでしょう。しかしシステムを変えただけではイノベーションは生まれない。むしろ問題はマクロよりミクロ。私たち大学教員一人一人が頭をふり絞ってアイデアを出し実行しなければ何も変わらない。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2014, 12月 18
なのです。
ただまあ私のような外様はどうも身動きがとりづらいし。譜代の皆様方はどうも情勢の理解を我々とともにはして下さってないようであるし。困ったことなのであります(日記)。
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