「各時代について専門教員を用意しなきゃいけない」っていう意識をどうやれば解体できるか。結構前から考えてるけど、ナイスなアイデアが出ない。
— igshrmshk (@igshrmshk) 2017年7月5日
…まあ、ナイスなアイディアなんか、そうは出ないわなあ、とか。
アイディアとしては、「英独仏語(などの現代語)だけで展開できるようになったあとの言語学」みたいなもんだろうか。母国語のほかにギリシャ語・ラテン語をやって、さらに力があまって他の古典言語や諸現地語をやるような比較歴史文法だけが言語学だったような時代から、共時的研究へ力点が移ったように―とか。
そういう具合に、”もうほぼ全部の古典は現代語に訳されてるんだから。それを使って研究すればいいじゃーん”という態度をとる=英独仏語(などの現代語)だけで研究する、とか。
となると、”古典語(ギリシャ・ラテン)を読まない読めない古代(ギリシャ・ラテン)哲学の専門家”が発生したりする。
更に進むと、英語だけでなにもかも済ませるということになる:
この先生の本が届いたのだがhttps://t.co/z7hwrsqIZr一寸ギョッとした。オックスフォード大の先生で、カントが専門らしいのだが、引用文献が全て英語だからだ。カントも英訳。原典からの自訳の引用それ自体が一つの研究成果という観点がないということだろうか。英語圏には。
— 田上孝一 (@tagamimp) 2015, 6月 25
興味深いお話なので、めもしていたのだ。
こうして、英語原理主義的ではあるが、”各時代について専門教員を用意しなきゃいけない”状態は崩れる。既に先学が各時代の(哲学なり、歴史なりの)論文・概論を書いているだろう、それを使って”研究”すればいい―必要なことはすべて英語で書いてある! …と言う具合に。
思想哲学系だけじゃない。あらゆる分野の学問が英語もできないと最先端には行けない。日本史でさえ、日本国外では「日本語の文献に学術的価値は無い」と言われてるくらいなんだから→https://t.co/k2vTmiWJeg。https://t.co/tROKF25oXJ
— 朝日歌壇鑑賞会事務局長 (@asapykadan) 2017年3月19日
ということも、まあ、ある。
しかしながら:
これは、ケネディスクールの政治思想のドイツ人の教授が言っていた。政治思想の分野でも、査読論文や本という世界での英語の優位が強すぎて、読むのも書くのも英語で済ませて、英語以外の原典にあたらない研究が増え、本当に思想家の考えを理解できているのかと。
— ポポポポ~ン (@popopopaun) 2015, 6月 25
それこそ、英米のアレコレを規範とする人たちがしばしば言う、多様性だのなんだのに引っかかるわけでもある。
グローバル世界で活躍できる日本人は1%もいないだろう。最優秀な外国人留学生が日本に来ることもないだろう。そこで僕は「スパーグローバル鎖国」というのを考えた。日本人の圧倒多数が、日本語で先端の学問を学ぶ。外国語の先端理論や文化は学者が全部翻訳する。断言するが英語は日本で定着しない。
— オッカム (@oxomckoe) 2016年7月15日
物理とか、英語化すると、学生はまず英語の勉強から始めて、おっさんになってからようやく物理の中身を勉強する。これ陰謀でしょ、アメリカの。日本人に物理勉強させないために、英語英語云うんだよ。逆でしょ。まず物理勉強して、そのあと英語で論文書けばいい。科学英語なんて簡単なんだから。
— オッカム (@oxomckoe) 2016年7月15日
それ、これまでやってきたことじゃ、、、。 https://t.co/MfBGnYw4jw
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2016年7月17日
さて、ところで:
バイト先の子(21)が、古代ローマ史を専攻してるらしくて「えー素敵♡、古代ローマの何ですか?」と食いついたところ、ラテン語と古代ギリシャ語の授業の必要性なんて感じないのにテストを受けなければならないという愚痴を聞かされたんやけど、どう考えても必要ですよね?
— ゆーか (@yuhka624) 2017年7月26日
というのが、少々話題になったようだ。
問題の彼女は、要は英訳本だけでいくというのだろう。
「だって現代の誰ともコミュニケーション取れないんですよ?」って、あなたの専攻は、ラテン語等の文献から古代ローマを考察することでは…古代ローマはギリシャの影響受けまくりなんやからどちらも必要やろと思いつつ、そんなこと言ったら相手が馬鹿だと言っているみたいだから言えませんでした
— ゆーか (@yuhka624) 2017年7月26日
「聖書読めるじゃないですか」と言ったら「宗教は弱い人のものなので、私には必要ないです」と言われた。
— ゆーか (@yuhka624) 2017年7月26日
いやいやギリシア神話や、キリスト教の理解なしに古代ローマなんて絶対理解し得ないやん何勉強してるつもりなの?と思ったけど、これも相手を馬鹿だと言っていることになるのでやめた
「ラテン語が読めるってステキなこと!」とか、「ローマ法皇の勅書、よめるじゃん!」とかいう、そういうなんとはなしの憧れの気持ちなどが薄れているのだろうなあ、とか思える。なんかの社会的認知とか、そういうのの存在と関係しつつ肯定的な自己認識を得られるかどうか、というのは、ちょっと動機になるよねえ:
ボカロ衰退を考える背景には、「プレーヤー(特に新人)にとって必要な承認量を得ることができない場」になったという認識が現実に即しており、言葉の意味で言う衰退(勢いや活力が衰え弱まること。衰微。凋落 )の示す環境状況と合致している。
— ろんず@今年は筋肉を鍛える (@athlonz) 2017年7月24日
示唆的である。
いえ、ひとの趣味によるんだと思いますけど、私はプラトンよりイーリアスや神統紀のほうが読みやすかったです。アリストテレスは私の頭が悲鳴を上げた。
漢文なら、韓非子なんか、どうでしょう。