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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

見ていたtwitter記事メモ:英語だけで研究しようとかなんとか

2017-07-26 23:07:12 | Weblog
 教員免許(歴史)についてだろう、こういうコメントがあった:



 …まあ、ナイスなアイディアなんか、そうは出ないわなあ、とか。

 アイディアとしては、「英独仏語(などの現代語)だけで展開できるようになったあとの言語学」みたいなもんだろうか。母国語のほかにギリシャ語・ラテン語をやって、さらに力があまって他の古典言語や諸現地語をやるような比較歴史文法だけが言語学だったような時代から、共時的研究へ力点が移ったように―とか。

 そういう具合に、”もうほぼ全部の古典は現代語に訳されてるんだから。それを使って研究すればいいじゃーん”という態度をとる=英独仏語(などの現代語)だけで研究する、とか。

 となると、”古典語(ギリシャ・ラテン)を読まない読めない古代(ギリシャ・ラテン)哲学の専門家”が発生したりする。

 更に進むと、英語だけでなにもかも済ませるということになる:



 興味深いお話なので、めもしていたのだ。

 こうして、英語原理主義的ではあるが、”各時代について専門教員を用意しなきゃいけない”状態は崩れる。既に先学が各時代の(哲学なり、歴史なりの)論文・概論を書いているだろう、それを使って”研究”すればいい―必要なことはすべて英語で書いてある! …と言う具合に。



 ということも、まあ、ある。
 しかしながら:



 それこそ、英米のアレコレを規範とする人たちがしばしば言う、多様性だのなんだのに引っかかるわけでもある。







 さて、ところで:



 というのが、少々話題になったようだ。
 問題の彼女は、要は英訳本だけでいくというのだろう。





「ラテン語が読めるってステキなこと!」とか、「ローマ法皇の勅書、よめるじゃん!」とかいう、そういうなんとはなしの憧れの気持ちなどが薄れているのだろうなあ、とか思える。なんかの社会的認知とか、そういうのの存在と関係しつつ肯定的な自己認識を得られるかどうか、というのは、ちょっと動機になるよねえ:




 示唆的である。

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2 コメント

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漢文 (hilowmix)
2017-07-29 09:53:15
とりあえず学校で一通り習ったはずなので七言絶句や論語ぐらいは一通り読めるようになりたい。
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Unknown ()
2017-07-29 23:09:21
論語はきっついんじゃないですかねー…(苦手)

いえ、ひとの趣味によるんだと思いますけど、私はプラトンよりイーリアスや神統紀のほうが読みやすかったです。アリストテレスは私の頭が悲鳴を上げた。

漢文なら、韓非子なんか、どうでしょう。
返信する

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