空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

拉孟の慰安婦たちのこと

2018-05-27 21:28:17 | Weblog
 いつぞや「伝「中国雲南遠征軍の1944年9月15日付の作戦日誌」の件(2016-11-09)」なるメモを書いた。私にとっては,WWII趣味のうち,ビルマ戦線趣味の一環であったが,この界隈の話をチェックしてたらこんなtweetが見つかったりした:



 なので品野実『異域の鬼 拉孟全滅への道』(谷沢書房1981年+)から印象的な文章を多少引用(メモ)しようと思い立つ。思い立って,しばらく経つ。ともかく講義用資料とする可能性もあるし,メモしておこう。

 まずはミイトキーナで壊滅した水上源蔵少将の部隊のお話:

これら見捨てられた将兵のなかに若い秋水允義薬剤少尉(当時見習士官・福岡県三井郡出身)もいた。母のツルと親一人,子一人だった。彼は龍陵駐屯中に恋仲になって,自分の子を孕んだと信じた[p.82]身重の朝鮮人慰安婦を妻ときめ,跡継ぎができたと,母あての手紙を添え,金を与えてさきに日本に帰らせていた「跡継ぎはいる。俺は残ろう……」彼は最後の舟を兵に譲って消えた」(op.cit. 81f.)

 包囲下にあり,どうしようもなく全滅以外に道はなく,かつ某超有名T大佐から”水上少将は現地を死守するように”と個人名で命令を出されたため,”つーことは俺が死ねばいいんだなwww”と命令を(恐らく超有名某T大佐も意図しただろうことを)忖度し,曲解し,部下を可能な限り多数脱出させ,当人はそこで『”残存兵力”で死守を試みたが失陥したため,一死をもって大罪を謝』した水上少将であればこそ,のおみごとな覚悟の部下である。

 なお後続個所は

朝鮮人慰安婦は,欺されて連れてこられた純情な素人娘が多かった。その慰安婦が,母にうけいれられたかどうかを知る者はいない」(op.cit. p.82)

 また,朝鮮北部出身の慰安婦のひとり「ヨシ子たちは,一〇名ほどの慰安婦の一行で,朝鮮出身軍属らしい男に引率されていた」(op.cit.p.200)。「引率者」についての言及は,不確かだが,メモしておこう。

 課題である雲南遠征軍と対峙した拉孟駐屯部隊に追随していた慰安婦について「このほかに慰安婦が,日本人四,五名。源氏名のわかっているのは,前記の「双葉」「誠」「君子」ら。朝鮮出身者は十四,五名合わせて約二〇名いた。抱え主は危険を察して,はやばやと引き揚げている」(op.cit.p.218)

 …この点,”抱え主”の足の速いことは,私の狭い読書範囲でも共通事項であるなあと。

 さてこのような純情娘たちだが,それだけにいじらしいというべきほどに奮闘敢闘する:

このとき,本当に頭の下がることがあった。それは,砲弾と雨のなかをくぐり乾麺麭の空缶にいれた将兵の握り飯を,二人一組になって運ぶ朝鮮人慰安婦の姿だった」(op.cit.p.267)

 敵将にしてなお「逆感状」を書かしめたという不退転の孤軍奮闘,帝国陸軍の下級将兵の敢闘精神の範たるがごとき守備隊の背後を守ったのはまさしくこうした人々だったりするので,そこらで口先指先でウヨクやってるよーな諸君はこの朝鮮人慰安婦の姿を思って頭を垂れたりするとよいとおもう。さらに:

全滅の一日か二日前だった。吉武伍長は慰安婦たちに大声で泣きつかれた。慰安婦たちは看護婦がわりに働いている。手足のもげた兵たちが呻き毎日々々死んでいく。彼女たちの神経がもてている方が不思議なくらいだ。
「どこでもいい,この場から一緒に連れて逃げてェ」とすがりつくが,どうにも仕様がない。そのときまで二〇名の慰安婦はみんな無事だった
」(op.cit.p.322)

 慰安婦は慰安婦で炊事はやるし看護婦代わりをつとめるし,全滅一歩手前まで逃げもしない。吊り橋効果がどうこうという余地もあろうが,それなりに”一丸となって”いたわけだろう。また兵の方もできるだけ慰安婦をかばっていただろう。そうでもなければここまで損失なしではいられまい。だいたい,たしかこの時点で大隊長は壕ごと生き埋めになっている。慰安婦の(流れ弾による)事故死さえないというあたり,幸運と保護の手とがあったというべきだろう。

 とまあ,今日のメモはこの辺で。
 私としては,こういう事例を知っているために,ネットのそこらで―最近めざめた―ウヨクだのサヨクだのというのが慰安婦を「単なる売春婦だ」「軍国主義日本による強制売春の被害者だ」とプロパガンダするのに気分を悪くする。個人的には,とりわけ秋水少尉に思い入れが深い。こーいうところで慰安婦が産んでくれる子というのは特別なんだということ,そのへんの無礼なウヨクにはきちんと将兵に思いをいたしてほしい。


 関連,他に:「たぶん拉孟・騰越の戦いの生き残りたちだろうなあと思うのだが(2017-07-06)」

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