記事タイトルは皮肉
Kojii.net Opinion Opinion : ピースボートはツンデレ団体 ? (2009/5/18)
それはそれでそうなんですけど。
より根本的な問題点があろうとも。
今回のクルーズ企画を企画構成,諸方面連絡し始めた時点ですでにソマリア沖はろくでもない状況に立ち至ってたはずで(具体的にはシリウス・スターやウクライナのMV Fainaの件),
そもそも,なんでその海路を変更しなかったのか。
いやほら,喜望峰回ればいいじゃないですか。経費は掛かるし寄港地も少なくなるかもだけど,マダガスカルとか南アフリカ(こっちはワールドカップ開催国をちょっとみてみようよ!って理屈も立つ)とか,まあないでもない。
そしたら,危険を冒してアデン湾通る必要はなく,自衛隊に泣きつく必要も一切ない。今回みたいな格好悪いざまをさらすことも,当然なかったはず。西アフリカの海賊? …まあ,その,遠洋航行しっぱなしってことで,ひとつ。
彼らがアデン湾を通る意味がわからない。そりゃあ寄港地は増えるだろうし,つまりその意味では集客効果はあろうけど,でも必然的に護衛が必要になるわけですし。『軍隊なんかキライ,キライ!』で通すはずの団体の旅行としては,興ざめでしょうに。
彼らが喜望峰を回るコースの利点はどれほどでしょう! 『ほら,コースを選べば安全に航行できるんです!』『私たちのように行動すれば,軍隊に護衛頼むなんてこと,しなくて済むんです!』『必要なのは,軍隊の派遣ではなく,暴力によらない解決方法を探ること―私たちが示した通り,海はどこでも通れるのですから』。
まあ現実的にはこうした主張はコスト等々の面から反論されましょうが,ともあれ恐らく表面上,言行一致を取り繕うことができます,彼ら的には。
なのに,何でアデン湾コースを強行したんでしょう。なぜアデン湾コースを放棄しなかったんでしょう。そんなにもアデン湾を自衛隊と一緒に通りたかったんでしょうか。それなんてツンデレ?
理由が分からない。
諸方面へのキャンセル料が怖かったか。
喜望峰回りでは日程的問題をクリアできなかったか。
自分たちの航行までには海賊問題は沈静化すると見込んだのか。
どこかの海軍艦艇が(たまたま彼らの航行時に近くにいて)海賊活動を抑止してくれると思ったのか。
参加者へのコース変更・契約変更の連絡等々の手間などを惜しんだか。
わからない。
とりあえず,彼らが実際自分たち自身が当事者として事に当たる場合,『日本国憲法9条パワーが世界を光被しミラクル平和ハレーションがあらゆる人々を感動させなおもまつろわぬ者たちには非武装ネビュラチェーンが《非武装が一番合理的》緊縛をかますのでビバ9条』なんてことは思わないらしいのは収穫でしょうか。
こんな心ない言葉をかけられずにすむ,さえたやり方の一つが「喜望峰回り」だったわけですが,なんでそれを選択しなかったか真剣に謎。
あるはずではない恐れがちらりと頭の片隅をよぎるのですが,『担当スタッフの多く(または有力者が,もっとあって欲しくない場合を挙げればスタッフの全てが)国際情勢新聞記事さえ読まず,国際情勢(この場合ソマリア沖情勢)に無知なまま国際交流クルーズ企画を立てていた』可能性も,必ずしも捨てきれないなあと。
まーいずれにしても,ピースボートが世界情勢の見極め・情報収集について非常に能力が低いらしいことは,まず明らかなんではないかと思われるんですが,『そんなことはないゾ!』という反例を御存じの方はお教えいただきたいと思うのです。
いや割と真剣に。
今現在,私の「ピースボート」スタッフに対する感想は「無能」「低能」程度でしかないので。
でまあ。「平和と軍事の関係が一目でわかるピースボートの写真」(「リアリズムと防衛を学ぶ」zyesuta氏)なんてものを見かけたのでトラックバック送ってみるテスト。本来なら大本の大石氏のところに言及すべきところ,行ってみたらなんか意識が拒否反応起こした。
まあ別件で本屋さんに行ってろーるずとかあまるてぃあ・せんとか纏めて仕入れてきた今日この頃(7/16日記)。
Kojii.net Opinion Opinion : ピースボートはツンデレ団体 ? (2009/5/18)
それはそれでそうなんですけど。
より根本的な問題点があろうとも。
今回のクルーズ企画を企画構成,諸方面連絡し始めた時点ですでにソマリア沖はろくでもない状況に立ち至ってたはずで(具体的にはシリウス・スターやウクライナのMV Fainaの件),
そもそも,なんでその海路を変更しなかったのか。
いやほら,喜望峰回ればいいじゃないですか。経費は掛かるし寄港地も少なくなるかもだけど,マダガスカルとか南アフリカ(こっちはワールドカップ開催国をちょっとみてみようよ!って理屈も立つ)とか,まあないでもない。
そしたら,危険を冒してアデン湾通る必要はなく,自衛隊に泣きつく必要も一切ない。今回みたいな格好悪いざまをさらすことも,当然なかったはず。西アフリカの海賊? …まあ,その,遠洋航行しっぱなしってことで,ひとつ。
彼らがアデン湾を通る意味がわからない。そりゃあ寄港地は増えるだろうし,つまりその意味では集客効果はあろうけど,でも必然的に護衛が必要になるわけですし。『軍隊なんかキライ,キライ!』で通すはずの団体の旅行としては,興ざめでしょうに。
彼らが喜望峰を回るコースの利点はどれほどでしょう! 『ほら,コースを選べば安全に航行できるんです!』『私たちのように行動すれば,軍隊に護衛頼むなんてこと,しなくて済むんです!』『必要なのは,軍隊の派遣ではなく,暴力によらない解決方法を探ること―私たちが示した通り,海はどこでも通れるのですから』。
まあ現実的にはこうした主張はコスト等々の面から反論されましょうが,ともあれ恐らく表面上,言行一致を取り繕うことができます,彼ら的には。
なのに,何でアデン湾コースを強行したんでしょう。なぜアデン湾コースを放棄しなかったんでしょう。そんなにもアデン湾を自衛隊と一緒に通りたかったんでしょうか。それなんてツンデレ?
理由が分からない。
諸方面へのキャンセル料が怖かったか。
喜望峰回りでは日程的問題をクリアできなかったか。
自分たちの航行までには海賊問題は沈静化すると見込んだのか。
どこかの海軍艦艇が(たまたま彼らの航行時に近くにいて)海賊活動を抑止してくれると思ったのか。
参加者へのコース変更・契約変更の連絡等々の手間などを惜しんだか。
わからない。
とりあえず,彼らが実際自分たち自身が当事者として事に当たる場合,『日本国憲法9条パワーが世界を光被しミラクル平和ハレーションがあらゆる人々を感動させなおもまつろわぬ者たちには非武装ネビュラチェーンが《非武装が一番合理的》緊縛をかますのでビバ9条』なんてことは思わないらしいのは収穫でしょうか。
こんな心ない言葉をかけられずにすむ,さえたやり方の一つが「喜望峰回り」だったわけですが,なんでそれを選択しなかったか真剣に謎。
あるはずではない恐れがちらりと頭の片隅をよぎるのですが,『担当スタッフの多く(または有力者が,もっとあって欲しくない場合を挙げればスタッフの全てが)国際情勢新聞記事さえ読まず,国際情勢(この場合ソマリア沖情勢)に無知なまま国際交流クルーズ企画を立てていた』可能性も,必ずしも捨てきれないなあと。
まーいずれにしても,ピースボートが世界情勢の見極め・情報収集について非常に能力が低いらしいことは,まず明らかなんではないかと思われるんですが,『そんなことはないゾ!』という反例を御存じの方はお教えいただきたいと思うのです。
いや割と真剣に。
今現在,私の「ピースボート」スタッフに対する感想は「無能」「低能」程度でしかないので。
でまあ。「平和と軍事の関係が一目でわかるピースボートの写真」(「リアリズムと防衛を学ぶ」zyesuta氏)なんてものを見かけたのでトラックバック送ってみるテスト。本来なら大本の大石氏のところに言及すべきところ,行ってみたらなんか意識が拒否反応起こした。
まあ別件で本屋さんに行ってろーるずとかあまるてぃあ・せんとか纏めて仕入れてきた今日この頃(7/16日記)。
参加者「ソマリアは海賊が出て危険と聞きますが」
主催者「責任を持って安全な運行を心がけます」
参加者「そうですか、よろしくお願いします」
この場合、参加者は主催者に無限の責任能力があるように「勝手」に考えて、安心する。
なお、参加者がなぜ主催者に全幅の信頼を寄せ、日本などの政府に強い不信を抱いているかは参加者それぞれの「勝手」な理由のためしかとは申せません。
ところで、個々人で「非武装無抵抗」を主張する方については、それはそれでありとも思います。実際「その主張に基づいて自分や家族が殺されてもかまわない」とおっしゃる覚悟のある方もいる。そのすべてが、ピースボートのようなヘタレばかりとは限らない。
自分の意見とは相容れませんが、それはそれで一つの筋だろうとは思うのです。
ですが
>「その主張に基づいて自分や家族が殺されてもかまわない」とおっしゃる覚悟のある方
これは些かどうかと今の私は思います。
自分(及びその家族)は非武装無抵抗を貫き,ということは暴力なる悪から完全に解放されることでしょうが,その一方では相手側に(場合によっては無制限の)暴力行使を許してしまってます。
自分から完全に暴力の影を排除し,(絶対非暴力ということで暴力を世界から完全消去する方向に進むならともかく)他の誰かに暴力行使の主体たるを押し付ける。
理念的にか,宗教的にか,些か納得し難い感を持つのです。
私は思いますが,殺害が罪であるなら,殺してはならないし,殺させてもならないはずです―例えそれが「敵」であろうとも。
ちょっと整理がつきません。「非武装」ならともかく,「無抵抗」となるとどうしてもガンジーを思い出してしまい,結果宗教思想関連の観念・価値基準が流入してしまうからではないかと思うのですが。
マサダとか、アラモとか、硫黄島とか。
あるいは、闇市の利用を拒否して餓死した法律家とか。
他人から見たら、それがいかに非合理であろうとも、筋が本人の中で通っている以上、説得は難しいでしょう。
なにか法学や社会学やが原理原則論的に関わる気がしたら,脳裏にあったのはこれです:
>おおやにき ある心性
>http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000577.html
現実社会的にはなんらかのフリーライダーになるんじゃないかと批判可能だし,宗教的には『はあジャイナさんですか。商売してるから不殺生であると。で商ってるものに一切"殺されたことのあるもの"はないわけですね?』みたいな。
自分と自分の家族の命を犠牲にしてでも護りたい主義主張。それはそれで結構な覚悟ですが,「自分たちが殺される」ことで「殺す誰か」を作り出してしまうことへの恐怖,反省を求めたい感があるのです。
あるいは,ソクラテスの「刑死」とか。
>他人から見たら、それがいかに非合理であろうとも、筋が本人の中で通っている以上、説得は難しいでしょう。
ですね。
とりあえずは直接当人と議論しているわけでもなく,私としては理念的存在として,思考実験として思考し,で考えが纏らないところです。
…こうした方向の論文までは書きたくないけども,一般向けの話としてはアリですねぇ…。
そんなこんなで一通り思考したところ,「ピースボート」は
A.新聞もよーよまん集団である
でなければ,
B.事情を知った上で自団体の日頃の主張と抵触する事態の出来可能性に思い至らぬ集団である
または
C.事情を知った上で適切な判断を下せぬ集団である
くらいならいいが
D.事情を知った上で諸々のコスト負担を恐れて適切な行動を取らなかった(罵倒言辞自粛)な集団である
と,いくつかの可能性があろうかと。何れにせよ,このアデン湾回避をしなかった「不行動」の謎は深く,この不行動から派生する損害は非常に大きかろうと思われるところ。呆れて見る気も失ったが,たしか昨日あたりの段階でピースボートウェブページに当該問題への言及なし。