7月30日(木)
この日は常念岳を越えて蝶ヶ岳ヒュッテの予定だったが…
未明の常念小屋
午前4時、山頂でご来光を見ようと、懐中電灯を頼りに登り始めていた人も少なくなかった。
やや遅れて、近くでそれを見ようと体調を崩した妻と小屋を出る。
何人もの人が既にスタンバイしていた。
槍ヶ岳の山頂に朝日があたり、静かに山の夜があけていった。
「雲一つない絶好の…」と言うよりも、こんなに遠くの山々がクリアに見える日が年に何回あるだろうかと思えるようなアルプス日和…。
午前6時半、あまりにも青すぎる空が恨めしかったが…、計画を断念する。
私はこれまで自分が好きなように生きてきたが、その罰があたったのだと思った。今回は自分が好きなことをがまんして、これまで迷惑をかけた家内のために一番近いルートで下山することにした。ただ、下山するにしても1200mを一気に下らなければならない。まずは、山小屋の横にある信州大学医学部の診療所に連れて行きドクターに診てもらった。
頭痛、吐き気、全身の倦怠感を訴えるのだが、一番困っているのは吐き気で、ご飯も食べることができないでいる。これでは下山もままならない。そこで、吐き気止めを処方してもらい、山小屋のチェックアウト(?)ぎりぎりの8時半まで部屋で休ませてもらった。山の朝は早く、7時も過ぎればほとんどいなくなり静かな時間が流れていた。その静寂の中で、何度も「あなた一人で常念岳に登ってきたら」と言う妻の言葉が蘇ったが、「それはできない」と自分に言い聞かせていた。
はたしてチェックアウトの8時半。薬が効いたのか「だいぶ元気になった」と言う妻。しかし、それは一時的なものであって蝶ヶ岳への縦走は無理、一ノ沢への下山は変わらない。ただ、妻の体調もいくぶん回復したのでカラ荷で常念岳にピストンすることにした。そう思わせる外の天気であった。
(続く)
この日は常念岳を越えて蝶ヶ岳ヒュッテの予定だったが…
未明の常念小屋
午前4時、山頂でご来光を見ようと、懐中電灯を頼りに登り始めていた人も少なくなかった。
やや遅れて、近くでそれを見ようと体調を崩した妻と小屋を出る。
何人もの人が既にスタンバイしていた。
槍ヶ岳の山頂に朝日があたり、静かに山の夜があけていった。
「雲一つない絶好の…」と言うよりも、こんなに遠くの山々がクリアに見える日が年に何回あるだろうかと思えるようなアルプス日和…。
午前6時半、あまりにも青すぎる空が恨めしかったが…、計画を断念する。
私はこれまで自分が好きなように生きてきたが、その罰があたったのだと思った。今回は自分が好きなことをがまんして、これまで迷惑をかけた家内のために一番近いルートで下山することにした。ただ、下山するにしても1200mを一気に下らなければならない。まずは、山小屋の横にある信州大学医学部の診療所に連れて行きドクターに診てもらった。
頭痛、吐き気、全身の倦怠感を訴えるのだが、一番困っているのは吐き気で、ご飯も食べることができないでいる。これでは下山もままならない。そこで、吐き気止めを処方してもらい、山小屋のチェックアウト(?)ぎりぎりの8時半まで部屋で休ませてもらった。山の朝は早く、7時も過ぎればほとんどいなくなり静かな時間が流れていた。その静寂の中で、何度も「あなた一人で常念岳に登ってきたら」と言う妻の言葉が蘇ったが、「それはできない」と自分に言い聞かせていた。
はたしてチェックアウトの8時半。薬が効いたのか「だいぶ元気になった」と言う妻。しかし、それは一時的なものであって蝶ヶ岳への縦走は無理、一ノ沢への下山は変わらない。ただ、妻の体調もいくぶん回復したのでカラ荷で常念岳にピストンすることにした。そう思わせる外の天気であった。
(続く)