TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

天祐寺 冬

2016年01月27日 | 諫早


上山の北口すぐの所にある天祐寺。
諫早家の菩提寺として、秋には紅葉の名所として有名である。
秋の紅葉については本ブログでも紹介してきたが、雪の天祐寺にはまた別のよさがあった。


天祐寺入口  先客の足跡が…、先を越されて残念!



背くらべ地蔵

昔の子ども達は岩を必死でよじ登り、地蔵さんと背比べをしていたそうだ。
今そういうことをしようとすると、「危ないから止めなさい!」と、お母さんから叱られるそうだ。


大門に通じる参道



「大門」 天祐寺で最も古い建物(築500年) 離れているので、二度の火災を免れている



大門に掲げられている青地に金文字の「鎮海勝境」の額 

中国の黄檗宗僧侶の独立(どくりゅう)の書


大門をくぐり参道を進む



山門(三門、仁王門ともいう) 入母屋造りの風格ある門






「坤松山」の額  天祐寺は曹洞宗の寺で、坤松山天祐寺という



仁王像



本堂 山門をくぐると目の前に飛び込んでくる。広い中庭を囲むように回廊がめぐらされ右に庫裡、左に修行堂を配置している。

私の前に先客があったのだが、この純白の石参道には足跡はついてなかった。
私もここに足跡をつけるのをためらい、遠くより拝観した。それぐらい威厳ある光景だった。


回廊と鐘楼



鐘楼  鐘は戦時中に提出され今はないまま



回廊






雪景色の修行堂



諫早家墓所



以前は自由に参拝できたが、悪戯があって現在は立ち入りできない。白塀の外より撮影



石造五輪塔

高さ6.2mの美しい塔
鍋島初代藩主の菩提を弔うために建てられたもの


諫早義挙殉難者の霊碑

「寛延3(1750)年の諫早一揆の時、諫早領を救い、農民を助けた若杉春后は、一揆の指導者として磔上の露と消えましたが、後に諫早義人、救世主と仰がれ、現在では高城神社境内に若杉霊神として祀られています。」(諫早市公式ホームページより」
これはその慰霊の碑で、若杉春后をはじめ家老、家来、側用人、百姓、侍足軽等の名を刻んだ受難者全員の慰霊碑である。


島原の乱戦没者供養碑

島原の乱の折、諫早は小藩ながら400名の負傷者を出している。
碑文に「木星三十有三たび移り」とあるので三十三回忌の供養碑


雪に埋もれた石仏群















天祐寺はそもそも、伊佐早地方を治めていた西郷氏の菩提寺であった。西郷氏を滅ぼした新領主龍造寺(後の諫早)氏もこの寺に帰依し、菩提所として今日に至っている。
奈良のお寺を彷彿させる回廊に囲まれた伽藍は、質素ではあるが風格に満ちている。
静かな境内は、諫早の歴史を見守ってきた慈愛の空気に満ちている。


【境内案内板】




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