「温泉」と書いて「うんぜん」と言っていた。
お山「うんぜん」を「温泉」から「雲仙」に表記を変更したのが昭和9年のことである。
今でも「温」と書いて「うん」と発音する例はある。「温州みかん」(うんしゅうみかん)、「温気」(うんき)等。
それはさておいて、「温泉山」について調べていたら、吉田松陰が温泉山に登った記録が、「西遊日記」に残っていた。
「十一月十七日晴れ、温泉山に登る。一老翁を請いて従う。(中略)嶽に登れば寒気十倍し雪花名飄々たり。(以下略)」
旧暦の11月だから今の12月のことだろう。「嶽」がどの山なのかは分からない。今でも雲仙岳というと普賢岳や国見岳、妙見岳などの総称として使っているからだ。「寒気十倍」という表現が冬山の厳しさをよく言い表している。今のような防寒具がなかった時代だっただろうから。ましてや稜線上を吹く北風は体感温度をさらに下げる。
「雪花」は梢の雪か霧氷なのだろうが、風に吹かれながらも凜とした様が窺える。
以下は、普賢岳の霧氷(H24.2.8撮影)
今、普賢岳山頂からは平成新山が見える。
吉田松陰が登った嘉永3年(1850年)にはなかった山なので、さぞや松陰先生も驚きのことだろう。
まだ終わらない。
「千々石(ちぢわ)deその日暮らし~長崎県雲仙市千々石町」さんのブログを拝見していたら、私と同じようなテーマの「「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ 蛇足(だそく)でおしまい」を書いておられた。その中で国土地理院の地図を取り上げていらっしゃったが大変参考になった。
私もさっそく地図を広げてみた。
(「地形図 NI-52-11-12-2・4 うんぜん」、「地形図 NI-52-11-12-1・3しまばら」)
ある、ある。「温泉岳」の表記が。
さらに北の九千部方面にも「温泉岳」が!これで合計3ヶ所。
温泉山・雲仙岳は、普賢岳、国見岳、妙見岳の主峰だけでなく広く野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳も含めての総称だった。
確かに、「三峰五岳の雲仙岳」と言われている。
お山「うんぜん」を「温泉」から「雲仙」に表記を変更したのが昭和9年のことである。
今でも「温」と書いて「うん」と発音する例はある。「温州みかん」(うんしゅうみかん)、「温気」(うんき)等。
それはさておいて、「温泉山」について調べていたら、吉田松陰が温泉山に登った記録が、「西遊日記」に残っていた。
「十一月十七日晴れ、温泉山に登る。一老翁を請いて従う。(中略)嶽に登れば寒気十倍し雪花名飄々たり。(以下略)」
旧暦の11月だから今の12月のことだろう。「嶽」がどの山なのかは分からない。今でも雲仙岳というと普賢岳や国見岳、妙見岳などの総称として使っているからだ。「寒気十倍」という表現が冬山の厳しさをよく言い表している。今のような防寒具がなかった時代だっただろうから。ましてや稜線上を吹く北風は体感温度をさらに下げる。
「雪花」は梢の雪か霧氷なのだろうが、風に吹かれながらも凜とした様が窺える。
以下は、普賢岳の霧氷(H24.2.8撮影)
今、普賢岳山頂からは平成新山が見える。
吉田松陰が登った嘉永3年(1850年)にはなかった山なので、さぞや松陰先生も驚きのことだろう。
まだ終わらない。
「千々石(ちぢわ)deその日暮らし~長崎県雲仙市千々石町」さんのブログを拝見していたら、私と同じようなテーマの「「温泉(うんぜん)」から「雲仙」へ 蛇足(だそく)でおしまい」を書いておられた。その中で国土地理院の地図を取り上げていらっしゃったが大変参考になった。
私もさっそく地図を広げてみた。
(「地形図 NI-52-11-12-2・4 うんぜん」、「地形図 NI-52-11-12-1・3しまばら」)
ある、ある。「温泉岳」の表記が。
さらに北の九千部方面にも「温泉岳」が!これで合計3ヶ所。
温泉山・雲仙岳は、普賢岳、国見岳、妙見岳の主峰だけでなく広く野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳も含めての総称だった。
確かに、「三峰五岳の雲仙岳」と言われている。
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