TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

「高来」 

2016年02月06日 | 島原
先日の「家族に乾杯」。元気になって再登場された加藤茶さんが、趣味だったゴルフや麻雀を止め、今では習字を始めたと話されていた。
人の趣味は年とともに変わるもの。(あるいは周囲の環境で)
私の場合、これまで全く見向きもしなかった寺社仏閣に興味を持ちだした。
あと、大樹とか身近な歴史、方言などにも。
いろいろと調べ物もしているが、知らなかったことが分かるということはこの年になっても喜びである。
本ブログは地味で、人が見たらしょうもないことかも知れないが、その時々の自分の心のときめきを綴っている。前置きが長くなってしまった…



方言や地名を調べていて、自分なりのささやかな発見があった。

  天つ日よ 夏は来るとも 筑紫なる 高来の民に 障りあらすな

これは歌人吉井勇の歌だが、「高来の民」は、多良岳の麓の高来町の民と思っていたら、実は、雲仙山麓の民のことで、島原半島の暮らす人たちを慮っての歌だったのだ。

この歌は、歌集「天彦」の「羇旅三昧 筑紫中国」の中に登場する。島原を詠んだ歌の中に「高来」が混じっていたが、これまではあまり気にとめなかった。
ちなみに、次の順番で歌集に収めてある。

  眉山はながくわが目に残るらむゆふべ寂しと見たるものから
  天つ日よ夏は来るとも筑紫なる高来の民に障りあらすな
  島原は石垣の町木槿まち夕日のいろもほのかになるかも
  合歓の花ほのかに紅く咲き出でて雲仙みちの昼しづかなる
  雲仙の蓮華躑躅の樹蔭より紅毛童子馳せ出でにけり

「眉山」、「島原」、「雲仙」と島原の中に「高来」が混在しているわけだ。
ただ、「高来」には「たかく」とルビがふってあったが、これもあまり気にしなかった。

 

ところがだ、温泉神社について調べていたらいろいろなことが分かった。
まず、「筑紫」について。雲仙にある温泉神社四面宮はかって「筑紫国魂神社」と呼ばれていた。「筑紫」は、鹿児島の桜島が「筑紫富士」と呼ばれているように、昔はは九州の総称として使われていた。
次に「高来」だが、「肥前国風土記」に、雲仙の山に神がいたとして「高来津座」が登場している。そしてその麓の地方を「高来の郡」といい、後の「高来郡」の由来となっている。

「肥前風土記に昔者纏向の日代宮御宇天皇(景行天皇12年能襲御親征の時)肥後国玉名郡長渚浜之行宮に在りて、此の郡の山を覧て日く。彼の山之形、別島に似たり。陸に属るの山か、別在の島か、朕之を知らまく欲りす。仍て神大野宿禰に勅して遣はして之を看せしむ。往いて此の郡に致れば媛に人有り迎来りて日く『僕者此の山の神、名は高来津座、天皇の使の来るを聞き迎え奉る而巳』因って高来の郡と曰ふ。筑紫国魂神社記に是国魂の神、高来津坐神作り而現耳。」
(「温泉神社 南高来郡小浜町 - 神奈備にようこそ」のホームページより引用)

また、諫早市の「高来町」は、昭和31年に、湯江町、小江村、深海村が合併してできたときの新しい町名だ。もちろんこの「高来(たかき)」は、肥前国風土記以来の歴史ある地名「高来郡」に由来している。
(補足だが吉井勇がこれらの歌を詠んだのは昭和11年から12年で、「高来町」と命名される前。また、「温泉(うんぜん)」が「雲仙」に改められたのが昭和9年だから「雲仙」の表記はこれでOKということになる)

長くなってしまったが、「高来の民」に「たかく」とルビをふっていたのはそういうことだったのだ。
まあ、災害がないようにと祈った歌なのであまり理屈っぽくならず、高来町でも、高来郡でも地域を限定しないのがいいのかも知れない。

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