吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。
今回は諏訪神社です。
諏訪神社(地元の人は「おすわさん」と呼んでいます)
明治40年、「五足の靴」の一行は諏訪神社を訪ねていますが、そこから見える長崎の眺望に心奪われたようです。
吉井勇は「与謝野寛先生等と長崎に遊びてより、既に四十年に近き歳月を経たり。その頃を思へば懐舊の情に堪へず」と、歌集「旅人」の「長崎曾遊」に次の歌を詠んでいます。
年経れどいまも目離れず白秋とはじめて見たる長崎の街
白秋はつぶら眼をしてゐたりけり諏訪山の上に海を見るとき
白秋が「つぶら眼」になったという海が見える場所に立ちたくて、諏訪神社横の高台を探しました。
駐車場になっている広場に出ました。ここかな?
残念ながら木が生い茂っていてよく見えません。
100年前なら、ここからも海が見えたと思いますが、もう少し上の方まで行ってみることにしました。
大きな木(クスノキ)を残して道が続いていました。
木が中央分離帯になっています。
だいぶ見えてきました。
でも、電線が邪魔
もう少し上へ
ありました!
一行のリーダーであった与謝野寛は感嘆して次の歌を残しています。
長崎の円き港の青き水ナポリを見たる眼にも美し
この眺望は、白秋だけでなく全員を「つぶら眼」にしたことでしょう。
諏訪の山から海が見えたことに満足して帰ろうとしていたとき、諏訪神社横の公園にある石碑が目に留まりました。
これです。
「郷土先賢紀功碑」
長崎の発展に貢献した人の名前が刻んであります。
シーボルト、即非、隠元…
説明版に
「この種の碑で外国人がまとまって顕彰されている例は珍しく、全国に、さらには世界に誇れる国際交流都市長崎ならではの碑といえる」
と書いてありました。
長崎探訪の1日目はここ諏訪神社で時間となりました。
続きは先ほどの碑に名前が出ていた隠元、逸然等と関わりの深い唐寺を訪ねました。
今回は諏訪神社です。
諏訪神社(地元の人は「おすわさん」と呼んでいます)
明治40年、「五足の靴」の一行は諏訪神社を訪ねていますが、そこから見える長崎の眺望に心奪われたようです。
吉井勇は「与謝野寛先生等と長崎に遊びてより、既に四十年に近き歳月を経たり。その頃を思へば懐舊の情に堪へず」と、歌集「旅人」の「長崎曾遊」に次の歌を詠んでいます。
年経れどいまも目離れず白秋とはじめて見たる長崎の街
白秋はつぶら眼をしてゐたりけり諏訪山の上に海を見るとき
白秋が「つぶら眼」になったという海が見える場所に立ちたくて、諏訪神社横の高台を探しました。
駐車場になっている広場に出ました。ここかな?
残念ながら木が生い茂っていてよく見えません。
100年前なら、ここからも海が見えたと思いますが、もう少し上の方まで行ってみることにしました。
大きな木(クスノキ)を残して道が続いていました。
木が中央分離帯になっています。
だいぶ見えてきました。
でも、電線が邪魔
もう少し上へ
ありました!
一行のリーダーであった与謝野寛は感嘆して次の歌を残しています。
長崎の円き港の青き水ナポリを見たる眼にも美し
この眺望は、白秋だけでなく全員を「つぶら眼」にしたことでしょう。
諏訪の山から海が見えたことに満足して帰ろうとしていたとき、諏訪神社横の公園にある石碑が目に留まりました。
これです。
「郷土先賢紀功碑」
長崎の発展に貢献した人の名前が刻んであります。
シーボルト、即非、隠元…
説明版に
「この種の碑で外国人がまとまって顕彰されている例は珍しく、全国に、さらには世界に誇れる国際交流都市長崎ならではの碑といえる」
と書いてありました。
長崎探訪の1日目はここ諏訪神社で時間となりました。
続きは先ほどの碑に名前が出ていた隠元、逸然等と関わりの深い唐寺を訪ねました。
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