前回の続きである。
大貝彌太郎の「飛行兵立像」は長野県上田市郊外にある「無言館」に寄付されたという。
無言館の存在は知っていた
かれこれ20年以上前のことだが、私が中学校の時の美術の先生が書かれた戦没画学生に関係する一文を娘の育友会新聞で発見したのだ。この美術の先生には親子2代にわたりお世話になったのだが、物静かでとても几帳面な方だった。「文は人なり」というが記事には先生のお人柄がにじみ出ていた。以下はその記事の抜粋である。
「展示品が、先の日中戦争、太平洋戦争で亡くなった画学生たち約40名の遺作、遺品となったこともあり、館内の雰囲気も何となく暗く、来館者には年配の方が多かったように思います。五十余年前に画家への道を志しながら、やむなく戦地に行かされ、生還の望みも薄いなかで、最後まで絵筆を取り描いた作品の数々。どこまで伸びたか未知数の才能が、戦争によって無残にも断ち切られてしまったことが、私にはとても悲しく思われました。これまでいろんな美術館を数多く見てきましたが、今回の戦没画学生「祈りの絵」の中に「戦争」という時代下にありながらもけっして最後まで絵筆をはなそうとしなかった画学生たちの描くことへの無垢な情熱にとても感動させられました。」
また、昨年夏に、長崎で無言館所蔵の戦没画学生たちにの作品展が開催された。「無言館・祈りの絵」展だ。行くつもりだったが忙しさにかまけて気づいたら終わっていた。
その無言館に寄付された大貝彌太郎の作品。
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平和な時代だったら、もっといろんな絵を描きたかっただろうに… 戦争に行くための飛行機乗りの指導などしたくなかっただろうに… ましてやその学生の軍服姿など描きたくはなかっただろうに… 顔や服をごちゃごちゃと塗りたくったのはどうにもやるせない心の表現だったのだろうか。
前回紹介した自画像でも、飛行機乗りの帽子をかぶった自画像の目は鋭さというより怒り,あきらめ、最後は狂人のそれにも見える自虐的なものへと変わっていっていた。

大貝彌太郎は昭和21年に結核のため諫早で逝去した。大貝は戦地には赴かなかったが、戦時下にあって自由に描くことのできなかった画家としての苦悩を誰よりも間近で見てきた夫人は、彼の作品を戦没学生の絵が納めてある無言館へ寄付された。終生画家であった夫への、そして作品へのせめてものレクイエムになればとの思いからであろう。
大貝彌太郎の「飛行兵立像」は長野県上田市郊外にある「無言館」に寄付されたという。
無言館の存在は知っていた
かれこれ20年以上前のことだが、私が中学校の時の美術の先生が書かれた戦没画学生に関係する一文を娘の育友会新聞で発見したのだ。この美術の先生には親子2代にわたりお世話になったのだが、物静かでとても几帳面な方だった。「文は人なり」というが記事には先生のお人柄がにじみ出ていた。以下はその記事の抜粋である。
「展示品が、先の日中戦争、太平洋戦争で亡くなった画学生たち約40名の遺作、遺品となったこともあり、館内の雰囲気も何となく暗く、来館者には年配の方が多かったように思います。五十余年前に画家への道を志しながら、やむなく戦地に行かされ、生還の望みも薄いなかで、最後まで絵筆を取り描いた作品の数々。どこまで伸びたか未知数の才能が、戦争によって無残にも断ち切られてしまったことが、私にはとても悲しく思われました。これまでいろんな美術館を数多く見てきましたが、今回の戦没画学生「祈りの絵」の中に「戦争」という時代下にありながらもけっして最後まで絵筆をはなそうとしなかった画学生たちの描くことへの無垢な情熱にとても感動させられました。」
また、昨年夏に、長崎で無言館所蔵の戦没画学生たちにの作品展が開催された。「無言館・祈りの絵」展だ。行くつもりだったが忙しさにかまけて気づいたら終わっていた。
その無言館に寄付された大貝彌太郎の作品。
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平和な時代だったら、もっといろんな絵を描きたかっただろうに… 戦争に行くための飛行機乗りの指導などしたくなかっただろうに… ましてやその学生の軍服姿など描きたくはなかっただろうに… 顔や服をごちゃごちゃと塗りたくったのはどうにもやるせない心の表現だったのだろうか。
前回紹介した自画像でも、飛行機乗りの帽子をかぶった自画像の目は鋭さというより怒り,あきらめ、最後は狂人のそれにも見える自虐的なものへと変わっていっていた。
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大貝彌太郎は昭和21年に結核のため諫早で逝去した。大貝は戦地には赴かなかったが、戦時下にあって自由に描くことのできなかった画家としての苦悩を誰よりも間近で見てきた夫人は、彼の作品を戦没学生の絵が納めてある無言館へ寄付された。終生画家であった夫への、そして作品へのせめてものレクイエムになればとの思いからであろう。
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