長崎県内にある吉井勇の歌碑は8基と思っていました。
これまでに7基訪ねていたので、先日の平戸行きで県内の吉井勇歌碑巡りは終わりだと思っていました。
ところが、9基あると書かれた書籍を見つけました。
「島内八郎めもあーる」という本です。
昭和52年に出版された本で、筆者の島内氏は吉井勇と長年交遊のあった方です。
島内氏が紹介されている9基は次の通りです。(順番は私が訪ねた順に変えさせてもらいました)
① 古賀の行仙岳詠
② 長崎のじゃがたらお春詠
③ 〃 稲佐岳詠
④ 〃 道ノ尾蓬莱池詠
⑤ 〃 黒龍詠
⑥ 諫早の蛍塚詠
⑦ 雲仙の湯元詠
⑧ 平戸河内峠の平戸詠
⑨ 多良岳の狙仙の猿詠
①~⑧までと思っていたら、なんと多良岳にもあると書いてあるのです。
「狙仙の猿」詠は、
多良嶽の摩尼の山路のゆきかへり狙仙の猿に会ふよしもがな
ですが、この歌碑があるとは知りませんでした。
多良岳にはよく行っているだけに、「灯台もと暗し」とはこのことです。
島内氏がご存命ならお尋ねもできるのですが、残念ながら昭和58年に亡くなられています。
ひょっとしたら碑ではなく、多良岳広域林道沿いに立っていた案内板のことかなあと思ったりしているのですが。
でも今はその案内板はありません。(間違いが多かったからでしょうか…)
ひょっとしてこれのことでしょうか?
多良岳の歌碑は今後調べるとして、長崎県に9基、全国で100を超える歌碑が建てられています。
歌碑が吉井勇の全てではありませんが、歌碑の一つ一つは吉井にとっては意義深いものであり、碑が建つその地は吉井と関係の深い地です。その地に行けば吉井の感動の追体験や吉井とその土地の人との結びつきが発見できます。そういった意味で吉井勇調べの第1弾として長崎県内の吉井勇歌碑巡りをしているわけです。第2弾で「五足の靴」、第3弾で四国・瀬戸・九州の「大歌行脚」のそれぞれの足跡を訪ねようと思っています。
これまでに7基訪ねていたので、先日の平戸行きで県内の吉井勇歌碑巡りは終わりだと思っていました。
ところが、9基あると書かれた書籍を見つけました。
「島内八郎めもあーる」という本です。
昭和52年に出版された本で、筆者の島内氏は吉井勇と長年交遊のあった方です。
島内氏が紹介されている9基は次の通りです。(順番は私が訪ねた順に変えさせてもらいました)
① 古賀の行仙岳詠
② 長崎のじゃがたらお春詠
③ 〃 稲佐岳詠
④ 〃 道ノ尾蓬莱池詠
⑤ 〃 黒龍詠
⑥ 諫早の蛍塚詠
⑦ 雲仙の湯元詠
⑧ 平戸河内峠の平戸詠
⑨ 多良岳の狙仙の猿詠
①~⑧までと思っていたら、なんと多良岳にもあると書いてあるのです。
「狙仙の猿」詠は、
多良嶽の摩尼の山路のゆきかへり狙仙の猿に会ふよしもがな
ですが、この歌碑があるとは知りませんでした。
多良岳にはよく行っているだけに、「灯台もと暗し」とはこのことです。
島内氏がご存命ならお尋ねもできるのですが、残念ながら昭和58年に亡くなられています。
ひょっとしたら碑ではなく、多良岳広域林道沿いに立っていた案内板のことかなあと思ったりしているのですが。
でも今はその案内板はありません。(間違いが多かったからでしょうか…)
ひょっとしてこれのことでしょうか?
多良岳の歌碑は今後調べるとして、長崎県に9基、全国で100を超える歌碑が建てられています。
歌碑が吉井勇の全てではありませんが、歌碑の一つ一つは吉井にとっては意義深いものであり、碑が建つその地は吉井と関係の深い地です。その地に行けば吉井の感動の追体験や吉井とその土地の人との結びつきが発見できます。そういった意味で吉井勇調べの第1弾として長崎県内の吉井勇歌碑巡りをしているわけです。第2弾で「五足の靴」、第3弾で四国・瀬戸・九州の「大歌行脚」のそれぞれの足跡を訪ねようと思っています。
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