TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

記録的な大雪 ~ 序章

2016年01月24日 | その他
昨日はJRの最終便で長崎に帰りました。
正解でした。もし、博多に一泊していたら今日の動きが大変でした。
朝起きたら、この雪です。

ベランダのドアを開けると…


家に居ながらにしての銀世界




枇杷の木ですが、葉っぱを下に向けて積雪に耐えています。多良岳のシャクナゲもこうしてじっと耐えているのでしょう…


チェーンを巻いて備えていたアトレー君。私の出動要請を今か、今かと待っているようです。


ウッフッフッ… まもなく出動します。
今日は大雪の日曜日!
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この冬一番の寒気の中… 同期会

2016年01月24日 | SUWV
「数十年に一度の強い寒気 西日本を中心に大雪や暴風などに警戒」とニュースの見出しが躍る中、ベトナムに行ったTの帰国に合わせ、同期7人が博多に集まった。
昼過ぎ、天気を心配して、Iから「本当にあるのか?」と電話がかかった。
(さすが、Iはワンゲル時代は遭対(遭難対策)担当だった。)
山なら即中止なのだが、街中なら何とかなるだろうと予定通り決行。

実に愉快な時間だった。





みなさん、お疲れ様でした。
次は7月に会いましょう。
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寒波来襲

2016年01月19日 | 
日本は今、大変な寒波に見舞われています。
雪による災害も発生しています。

前日の天気予報では、平地でも降雪が予想されていましたので、私はアトレーにチェーンを巻いてスタンバイしていました。



氷解スプレーも


一昨年の、「アトレーキャンピング、雪道を行く」以来のチェーン着用でした。
備えはしていましたが、幸い積雪はなく、アトレーの出動はありませんでした。

ところで、今週末も天気予報では雪マークがでています。
みなさん、防寒対策をお忘れなく。
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冬の奈良紀行4 「奈良公園」

2016年01月14日 | お出かけ
奈良、3日目。
この日、観光の予定はなかったが、急に猿沢池を見たくなった。
伊丹空港行きの高速バスの出発時刻は10時45分。
時間までホテルでゆっくり休養をと思っていたが、朝食もそこそこ8時前に、カメラだけ持って散歩に出かける。(元来ゆっくりできない性分である)

ホテルのあるJR奈良駅から猿沢池を目指して歩いていく途中に鳥居を発見


街中に平気で古墳がある。さすが古の都・奈良と感心する。


湖面に映える五重の塔。これこれ、奈良に来たからにはやはりこの猿沢池を見ないことには帰れない。


興福寺に向かおうとしたら、朝の散歩中の鹿に出会う。これこれ、神鹿と称される鹿に出会わないと…


興福寺 五重の塔

初日の山辺の道で、廃仏毀釈で絶滅した内山永久寺跡に立った。50を越える伽藍が徹底して壊され池が一つ残るのみだった。この興福寺も一つ間違えば同じ運命だったろう。この美しい五重の塔が、明治の初め、25円で売られ「薪」として処分されようとしたのは周知の事実である。同じく薪にされようとして、一カ所に寄せられた仏像の塊の写真にに、阿修羅が平気で横たわっていた。
風雪に耐え、難を逃れて現存する建物や仏像を目の当たりにすると、自然と有り難いという思いがわいてくる。

さらに、東大寺を目指して歩いて行っていたら…


消防の出初め式と思っていたらさにあらず。”POLICE”の文字が。

警察の訓練があっていた。


そして、東大寺


南大門の金剛力士像


さすがにデカい!


下から見た南大門


中門


持国天


中門のすき間から見た大仏殿

大仏殿は8時から開いているのだが、ゆっくり拝観する時間がなかったので入らなかった。

「道」と刻まれた石碑 


南大門から大仏殿を写そうとしていたら、突然鹿くんが顔を出す。
「ボクも写してよ!」



約2時間あまり、ゆっくり奈良の町を散歩してホテルに戻る。
今回はJR奈良駅の近くに宿をとっていたが、今回のように「JRまほろば線」を利用する場合はとても便利だった。空港までの高速バスも始発なので、早めにバス停に行ってもバスは暖房を効かせてすでに停車していた。

帰りの飛行機の中で、思わぬ出会いがあった。出会いといっても一方通行だが、ANAの機内でいつものように「全日空寄席」を聴いていたら、立川談春の「紺屋高尾」が流れていた。はじめは何となく聞いていたが、どんどん話に引き込まれ、最後は一人感動に打ち震えていた。
何というインパクト。家に着いたらすぐにネットで談春について調べた。「最もチケットが取れない落語家」と評してあり、独演会の切符は、発売初日に売り切れると書いてあったが、さもありなんと思った。また、ドラマ「下町ロケット」の殿村役と紹介してあり、「あ~、あの人だったか」と、また驚いてしまった。(単に、私が知らなかっただけである)

奈良はいい。
初めて奈良を訪れたのが10年前の2月で、やはり冬だった。
出張だったので、仕事が済んだ後、奈良の町を一人彷徨った。
どこに何があるのかもよくわからないままに。
特に印象に残っているのは、東大寺二月堂からみた夕暮れの奈良の町だった。モノトーンの風景だったが、侘しくもどこか懐かしく心に共鳴するものを感じた。
それ以来冬の奈良のファンになった。
その後、同じく冬に西の京、佐保路を歩いて訪ねた。今回もそうである。長距離の移動は電車を使うが、それ以外は基本的に歩いている。いたんだ土塀や辻々に祀られた石仏、田んぼの畦道にそこはかとなく旅情を感じるからだ。
歩く旅への憧憬は、私がかってワンゲルだったからだろうか。
もっともっと奈良を歩いてみたいと思っている。









このシリーズ〈完〉
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冬の奈良紀行3 「長谷寺」

2016年01月13日 | お出かけ
冬の奈良、いよいよ後半。2日目の午後、長谷寺を詣でる。



近鉄長谷寺駅で降りて徒歩で長谷寺に向かったが、門前町はガランとしていた。


お土産屋さんも


冬の奈良は人が少ない、寂しいほどに。
ほどなく長谷寺に。

仁王門がデーンと待ち構えているみたいにガイドブックには書いてあったが…
何やら様子がおかしい…


自慢の門は改修工事中でシートに覆われていた。それにしても大きい!


門は通れないかと思っていたら、中には入ることができた


仁王様もちゃんといらっしゃった




登廊(のぼりろう)と呼ばれれ、本堂まで延々と399段の階段が続く


冬ぼたん


登廊の脇で息を殺したようにひっそりと彩りを添えていた


あまりの鮮やかさに、造花かと思い触ってみたら生花だった


登りきったところにあったのは、「紀貫之故里の梅」

「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」 (紀 貫之)

本堂






三社権現





「天平五年」もすごいが、「慶安三年、徳川家光公再建」もすごい。
長谷寺の中では地味なスポットのようだが、私は大いに気に入った。

本堂を後にする。桜の頃に思いを馳せながら…


五重の塔

ここの五重の塔は新しい。昭和29年、戦後初めて立てられた五重の塔で「昭和の名塔」と呼ばれているそうだ。ちなみに,室生寺のそれは平安時代の初期のもの。

製作中の屋根は納骨堂の入口


昔の塔の跡 礎石だけが残っていた





この顔はどこかで見たような気がして、親しみを覚えた


本坊から見た本堂


本坊の中







長谷寺を後にする。門前通りはやはり閑散としていた



法起院


ここにも十三の塔が


途中にある温泉旅館


「またのお越しを おまちしております」 近鉄長谷寺駅にゴール


こうして2日目も無事に終了
今日も一日、けっこうな距離を歩いた。でも,歩くのは苦にならない
だって、元ワンゲルだから


(続く)






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冬の奈良紀行2 「室生寺」

2016年01月12日 | お出かけ
冬の奈良、二日目。
室生寺と長谷寺を訪ねた。

【室生寺 五重の塔】


冬の奈良はいい。
「花ももみじもなかりけり」で
色彩には乏しいけれど、一切の装飾を取り払った本物のよさが、そこに静かに佇んでいる。
人が少ないのがいい。
人が少ない分、いろいろな有り難い話を聞くことができる。
お寺の係の人も人恋しいのだろうか
それとも私がそのようなオーラーを発しているのだろうか
仏像の前でしげしげと眺めていると、向こうの方から寄ってきて説明をしてくださる。
専門的な詳しい話や
ガイドブックに載っていないこと
時には、秘話や裏話なども
今回も、諸仏が祀られている金堂で貴重なお話をしてもらった。
さらに、仏像の光背の色彩が見えるようにと双眼鏡まで借してもらった。
(いつもは単眼鏡を持参するのだが、今回は忘れてきていた)
本堂でも長いこと話をしてもらった。
こういうことは、参拝客が少ない冬ならではのことだろう。

前置きが長くなったが、JRまほろば線で桜井駅、そこで近鉄に乗り換え室生口大野駅で下車。
室生寺行きのバスの待ち時間を利用して大野寺の磨崖仏を見に行く。


大野寺磨崖仏

宇陀川の対岸から見た全景


ズームイン




御尊顔アップ



室生口大野の駅前からバスで室生寺へ


室生川沿いに建つ室生寺

遠目にも目立つ巨大な杉と桜。「花の頃はきれいだろうな…」(心の声)
(冒頭で、「一切の装飾を取り払った本物のよさ」などと気取ってはみたものの、この寺の至るところにある桜やモミジ、何といっても無数のシャクナゲの樹を見たとき、それらが彩ったときの光景を思わずにはいられなかった。)

お手洗いでさえ木々に囲まれている。


トイレの前からの眺め

シャクナゲの植え込みと桜並木
こうなったら前言撤回。花の頃にまた来たい!(この変わり身の早さ、いいね!)

仁王門





バン字池

この池は梵字の「バン」の形をしており「バン字池」と呼ばれている。確かに、看板の梵字と見比べれば納得できる。


鎧坂のシャクナゲの花の蕾

シャクナゲと言えば地元の山多良岳を思い出すが、こんなに花の芯は付いていない。
「シャクナゲの頃はきれいだろうな…」


杉の巨木の下に静かに佇むお堂


そして石仏


金堂

ここには美しい釈迦如来立像や十一面観音菩薩像などに加えて十二神将像が一列に並べてあった。
十二神将像が12体も!
十二神将像だから、子・丑・寅・卯…で12体はあたりまえのことなのだが、そうではなかった。
とても希有なことだという。
いつもなら常時何体かを、奈良の国立博物館の仏像館の方に展示をしているそうだ。
ところが国立博物館の方が耐震工事中で、仏像を元のお寺に返しているそうだ。
(このうんちくは、ここの係の人から教えてもらったことの受け売り)
そして双眼鏡で、仏像の頭の上の十二支をそれぞれに確認することができた。
仏像の写真撮影は禁止されているので、紹介できないのが残念である。

同じく金堂 別の角度から(この建物自体が国宝)


同じく金堂 外から

この金堂は平安時代初期の建物だが、この角度から見ると垂木が継ぎ足してあるのがわかる。後世になって(江戸時代だったかな?)お堂を広くするためにリフォームしたそうだ。(これも係の人から教えてもらったこと)
何?「よくわからない」って。それなら次の写真でどうでしょう。


垂木の継ぎ足しに注目。そして、右下のお堂が弥勒堂。

灌頂堂(国宝)

仏像(如意輪観音菩薩)の前に三つ葉葵の幕が張ってあったので係の人に尋ねたところ、詳しく説明をしてくださった。仏像のこと、花のこと、暖冬でシャクナゲの芯を悪戯しに来る鹿のこと等々。


そしてこれまた国宝「五重塔」


奥の院に続く階段から見た五重塔



門前にあった橋本屋で昼食 名物の「とろろ汁」



バスの時刻にぎりぎりで間に合う(始発なのでバスは既に来ていた)



近鉄室生寺口駅 電車で次の目的地長谷寺に向かう



長谷寺駅


予定通り、午後からは長谷寺へ(続く)


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冬の奈良紀行1 「山辺の道」

2016年01月11日 | お出かけ
冬の奈良に行ってきました。
今回は、以前から訪ねてみたいと思っていた「山辺の道」(やまのべのみち)を歩いてきました。
「山辺の道」は古事記や日本書紀にその名が登場する、記録に残っている道としては「日本最古の道」だそうです。
全域は無理なので、今回は中央部の「石上神宮」から南へ、桜井を目指しました。

石上神宮(いそのかみじんぐう)  奈良時代以前から「神宮」の号が使われていた最古の神社


境内には鶏が放し飼いされていて「神鶏」と呼ばれています


拝殿

内山永久寺跡から移築されたという日本最古の拝殿で、国宝に指定されています。


山辺の静かな古道




冬枯れの灰色の景色が続く中で、ひときわ目についた赤いマンサク(?)




集落の中を抜けて…




取り残された柿 いかにも大和路らしい風景 




土だけの畦道

土だけの畦道で、仕切りにコンクリートなどを一切使っていません。この景色が新鮮であり、懐かしくもあり、そして驚きでもありました。昔の田んぼはどこもこうでした。



内山永久寺跡に建つ芭蕉の句碑

「うち山や とざましらずの 花ざかり」 松尾芭蕉

「今、内山永久寺に参拝してみると、みごとなまでの満開の桜にうめつくされている。土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているだろうが、外様(よその土地の人々)は知るよしもない。」
(パンフレット「『山辺の道』 なら記紀・万葉」 山辺の道美化促進協議会発行より)

本堂池(唯一の遺構)

内山永久寺はかって50余りの堂塔が建つ大寺院だったそうですが、明治の廃仏毀釈で絶滅したそうです。現在は広大な敷地跡にこの本堂池が残っているだけです。
先に述べた石上神宮の拝殿は、廃仏毀釈の難を逃れ、この地の一角から移築したものということがあらためてわかったとき、急に感慨深いものがわいてきました。

柿の木畑に変わった内山永久寺跡  どこまでも広く、その中を道が通っています。





夜都岐神社の鳥居と拝殿

鳥居横の句碑には次の歌が刻まれていました。
「山辺の 道ははるけく 野路の上に 乙木の鳥居 朱に立つ見ゆ」

夜都岐神社の拝殿 

屋根の萱がきれいに葺き替えられていました。




竹之内環濠集落

集落のまわりに濠をめぐらせた中世の「環濠集落」の一部が現存していました。



竜王山

「衾道の引手の山」と歌にも詠まれた万葉人の心の山




衾田古墳(ふすまだこふん) 全長220mの前方後円墳


門柱には「手白香皇女衾田陵」と標記されています。




カラスがついばんであろう柿




道ばたの石仏

山辺の道には野仏が点在していますが、その多くに真新しいエプロンと生花が供えられていました。近所の人たちがお祀りしているのでしょう。




柿本人麻呂の歌碑

「衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けるともなし」 柿本人麻呂(万葉集)

「(柿本人麻呂が)亡き妻の屍を、引手の山(竜王山)に葬り、山路を帰ってくるとき、悲しくて生きた心地もしない」と、人の世の無情を嘆き悲しんだ歌。
石碑の後方の山が竜王山




大和神社御旅所の境内





長岳寺

静かな境内には桜、つつじ、もみじ、あじさい等が多く植えられ花の寺としても有名らしいのですが、残念ながら「見渡せば花ももみじもなかりけり…」でした。
彩りがなかったことが、そこに漂う静寂の気を濃くしてくれていたように感じました。



不動明王

(失礼ながら)石像の素人っぽい彫り方に、かえって庶民の信仰の厚さが感じられました。

十三重の塔

西大寺の中興の祖とされる叡尊上人の供養塔と言われています。叡尊上人については、前回の奈良の時に、西大寺で詳しく話を聞いていたので「あっ、つながった!」と感慨深いものがありました。塔の台座には叡尊上人ゆかりの菩薩が刻まれています。叡尊上人はその生前の高徳が称えられ、二度にわたり興正菩薩の号が贈られています。

興正菩薩叡尊上人については「叡尊を慕う」(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/611)
にわかりやすく紹介されています。

石棺仏 

長岳寺の山手の方に建つ石仏で2m近くありました。古墳の石材を使ったものだそうです。



猫の見送り

長岳寺を後にするとき、受付のお坊さんと一緒に猫も私たちを見送ってくれました。




この時点で4時45分でしたが、九州よりも早く夕暮れが迫っていました。予定では桜井まで、それが無理な場合は三輪までと思っていたのですが、さらに2駅手前の柳本駅にエスケープすることにしました。当初の計画の半分までですが、勇気ある撤退を決断しました。

ここからは、柳本駅に向かう途中の景色です。


黒塚古墳



夕暮れの竜王山



柳本駅



今回は石上神宮から長岳寺までの古道歩きでした。歩き残した半分はまたの機会にということでお宿に向かいました。翌日は、室生寺と長谷寺です。(続く)
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元日・初日の出…

2016年01月01日 | 上山の四季
元日。初日の出を見ようと上山へ。

薄暗い中を登っていきました。天気予報では晴れだったのですが、夜が明けるにつれガスが出ていることに気づきました。


そして頂上の展望台。いつもは閑かな上山に先客がありました。カップル、家族連れ、元気な高校生のグループ、私のような単独行。みなさん考えることは同じです。


ところが、ガスで日の出は見ることはできませんでした。


せっかくですので、昨年の夏のご来迎の写真をアップして初日の出気分を味わってもらおうと思います。

東雲匂う常念乗越、人が集まってきました。


カメラの準備をして、その時を待ちます。


息を飲んで見守ります。








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