しばらく前に、「昨年一年間の治療の経過と記録」をまとめておく、との旨を書いた。
が、なんだかだで、ずるずると来てしまったので今日は、「告知を受けてからの2年間のまとめ」をブログにしておく。
まず、1年前の2021年2月22日のブログには「前年1年間のまとめ」として、告知を受けてからとその後の治療のことが書いてある。
一部の人は私の大まかな変化を記憶されていると思うが、このブログを読んでくださる人の多くが必ずしもそうではないので、まず、【1年目】の一年間の表や説明を抜粋しておく。(詳しくは、今日の後半でつけたリンク先をご覧ください)
そして続きとして【2年目】のまとめを今日初めて、ブログに載せる。
全体として長文だけど、「一人の当事者の進行形の記録」として最後まで見ていただけると嬉しい。
まず、簡潔にこの1年=【2年目】の特徴を言うと次のようであろうか。(詳しくは、後半に述べる。もちろん、表もつける)
(1) 腫瘍マーカー PSAは、年間平均しても、細かく見ても、きわめて「高値」で推移。しかも、ジェットコースターのように上下した。
(2) この1年、薬疹、発熱続き、CRP(炎症反応)の高値が続く。帯状疱疹も出た。
身体・体調にアクシデントが何回か発生したのは、どういう体調を目指すかの目安を示してくれたと受け止める。
(3) いろんな治療薬、治療法をチャレンジさせてくれる主治医と出会って、成り行きは「いつも深刻なレベル」とは言いながらも、先を見ることに余裕がある。もちろん、「さすが」というアドバイス、判断、処置があるので感謝している。
(4) 放射線緩和治療という抜群に自分に合った治療法を的確に行ってくれる医療機関に巡り合えて、これからのことに「強い味方」ができた。
★★★★★★★★★★では、まず【1年目】のまとめの表や説明を抜粋 ★★★★★★★★★★★
【1年目】の1-● 告知
2020年2月12日に岐阜大学病院で「前立腺がん」との告知を受けた。
前立腺がんの腫瘍マーカー PSAの基準値は「4以下」。
対して私のPSAは「2392」。これだけで、「がん」は、ほぼ間違いないと断定される。
その翌日から行われた各種検査。
МRIの画像では、前立腺の本体や周辺でのがんの状況、そけいリンパ節の肥大などが指摘され、他の臓器等への転移はとりあえずは見つからなかった。「前立腺癌、リンパ節転移、多発骨転移 PI-RADS (辺縁域カテゴリー1 移行域カテゴリー5)」。
造影CTでも、「前立腺癌:多発骨転移、右閉鎖リンパ節転移」
骨シンチのAIの判定では「びまん性骨転移。骨転移は90スポット」。
医師は各種の検査結果を見ながら、「あなたのガンはアグレッシブなガンですね」
【1年目】の2-● 3度の「生検」でもがん細胞はみつからなかった
がんの進行状況や性質、悪性度などを調べるための「生検」をするのが基本。
告知日に、医師から、まず「生検」を、といわれたが、
私は、生検すると出血などかあるので3週間は画像検査ができないとされているらしいから、まだ、生検はしたくないと断った。
ちなみに、6月に東京女子医大で行った生検では「すでにホルモン療法を始めているからだろう『焼け野原』で、がん細胞は見つからなかった。」とされた。(私は、自分の調べた範囲での標準療法の病院として、3月に岐阜から東京女子医大に通院先を移していた)
11月には、「抗がん剤治療が必要」と判断した前記医師の勧めで東京から、自宅から1時間圏である名古屋に治療拠点を移した。
名古屋大学病院での11月19日の生検結果は当月末に聞かされたが、「12カ所調べたが、がん細胞は見つからなかった」。
「遺伝子なども調べてほしい」という私の希望で、担当医が整形外科の医師に強く依頼してくれて、11月20日に行った腰の腸骨からの細胞採取手術(2時間)の結果でも、「ガン細胞は見つからなかった」。
医師いわく「まだ、寺町さんの『がん』は誰も見ていない」
つづけて医師は「あなたのガンはどぎついガンですね」
【1年目】の3-● 前立腺がんのステージ
前立腺がんは、局所だけの原発巣であれば、手術とか放射線で治療ができる(俗にステージ1、2)とされ、ほぼ、100% 完治、とまで言われる。他方で、私のように、すでに多数の骨転移がある場合は(俗にステージ4)で、男性ホルモンをコントロールする薬を飲んであとは、進行に合わせた薬を使ったり、さらに進むと抗がん剤(2種類が認可)を使うとかが標準療法。
がんの進み方が早いか遅いかは人それぞれ(癌の活発さ、それぞれ)で、進んでみなければわからない。
【1年目】の4-● ただちに治療開始
告知日に岐阜大学の医師は、「最近の治療の考えた方では、最初から抗がん剤で行くとか、(強くて新しい第2世代の)ホルモン療法を使うとかが良いとされています。」
「(従来からの)ホルモン療法であれば、開始は今日からでも、来週からでもいいですよ」
私は、告知されその日に「抗がん剤」治療、あるいは最強治療薬を使うなんてとても想定の範囲外で、まず旧来の治療をお願いした。
告知日からすぐに、基本パターンの男性ホルモンをコントロールする療法を開始した。
【1年目】の5-● 抗がん剤は効かなかった
12月1日に抗がん剤ドセタキセルを入院して点滴した。が、4週間後の2回目の抗がん剤・点滴日の血液検査で、腫瘍マーカー PSAが下がるどころか、逆に上昇していた。
念のため、一週間後も検査したが、同旨。そこで医師は、「抗がん剤は効かないから、2回で中止する」と決めた。
「告知後、1年もたっていないのに抗がん剤を使う」という事実に自分のがんの進行の速さに驚いている当事者にとって、「あの、抗がん剤すら効かない」がんだと宣告されて、汗がにじむ思い。
【1年目】の6-● BRCA遺伝子変異の検査
冬休み中に、情報収集したら、2年前から乳癌などで認可されているBRCA遺伝子変異患者のためのリムパーザという分子標的薬があり、来る1月からは「去勢抵抗性前立腺がん」にも適用になると決まった、という。
そこで、まず、名大病院はそういうこともすぐに受付可能な施設だったので、1月冒頭の主治医の診察日に並行して「遺伝子検査担当」と面談、数日後に「自費での検査の採血」まで進めた。
後日、「BRCA2遺伝子変異」との結果が示された。
あとは、前立腺がんを担当する泌尿器科の主治医の「保険上の指定の検査」を受けて、その結果で「BRCA2遺伝子変異」とでれば(ほぼ、間違いなく出るはず、との旨)保険適用で新規の治療薬が使える。
ただし、1月から泌尿器科で初めて始まった手続きなので、進行の関係がまだ未確定なところもありそう。すると、2月3月まで、治療開始が延びる可能性もあった。
ともかく実際に、このリムパーザを使うのは、別の治療の関係で4月からになった。
【1年目】の7-● ゾーフィゴ(放射性塩化ラジウム223)を注射して、全身の骨転移がんをやっつける治療
遺伝子変異の検査とは別の進行で、放射線科の担当のゾーフィゴ(放射性塩化ラジウム223)も進めた。
ゾーフィゴは「3週間おきに6回」と決まっている。
だから、1月末から開始できるゾーフィゴに着手するか、前項の2月3月まで不確定なリムパーザ治療にするか、迷い、意見がそれぞれの医師らでも分かれ、私たちも分かれた。
最終的に、ゾーフィゴから開始した。
【1年目のまとめ】
以上、治療開始から最初の「1年間」ことは、2021年2月22日のブログにまとめてある。
≪◆癌の告知から「丸1年」たったのでこの間の整理/7月に最低になった腫瘍マーカーPSAは、その後は上がり続けている。身体になんの痛みも不快も自覚症状もないのに≫ (今日の後半で、図表や一部を再掲し・リンクしておく)
★参考までに、「告知から1年目=2020年の経過など」を整理したブログから転記、抜粋、リンク。
◆癌の告知から「丸1年」たったのでこの間の整理/7月に最低になった腫瘍マーカーPSAは、その後は上がり続けている。身体になんの痛みも不快も自覚症状もないのに 2021年2月22日のまとめ
(写真をクリックすると拡大)
・・・(略)・・・ 昨年2020年2月12日、前立腺がんの腫瘍マーカーは基準値が「4以下」だけど、そのとき私は「PSA2392」。
「前立腺がん」の告知を受け・・・・ |
★★★★★★★★★★ ここから【2年目】のまとめ ★★★★★★★★★★★
★上記の2021年2月22日のブログに、1年目の末の気持ちの報告のころの「私の希望」が書いてある。
★【2年目】のまとめの書き出しは、まず「その希望に対する結果」から書く。
●-3 ゾーフィゴ ⇒ PSAは上がっていくのに、転移カ所は減っていくという??? な進み具合。
●-4 ゲノム・遺伝子検査 ⇒BRCA2変異陽性が分かった。その患者は、いろんな治療がほとんど効かず、結果として、癌の進行・悪化がとても早いタイプ、そんな旨が明らかになっている。まさに、最後の希望が開きかけた、文字通りその印象。
●-5 ホルモン療法の再開をしてほしい
●-6 現に腫瘍マーカー PSAは更に上昇し続けている |
★ さて、上記のとおりの「告知から2年目に入った時の希望」はどうなっていっていたか・・・そこをまず回答風に書いてから、後半に【2年目】のアクシデントを書く。何しろ、想定外のアクシデントが続いた(正確には、【3年目】に入ったいま、3月現在も続いている)
【2年目】の1-● ゾーフィゴ(放射性塩化ラジウム223)を注射して、全身の骨転移がんをやっつける治療
●-3 ゾーフィゴ ⇒ PSAは上がっていくのに、転移カ所は減っていくという??? な進み具合。 |
1年経過して、今の答えは・・・⇒ 「ゾーフィゴは本来は6回行う、かつ、一人につきワンクールだけ」が保険の定め。つまり、途中でやめるとせっかくの治療の権利を放棄することになる・・・私は、3回の点滴後の4月に「腫瘍マーカー PSA 536」と上昇して、さすがに継続できなかった。当時の主治医も同判断。
今から考えると、PSAが1000でも2000でもいいから続ける、6回行うべきだったと反省している。
ともかく、後日、書くが、「骨シンチ」の検査で、AIの判定では骨転移が大幅に減ってきたところ、相応の貢献をしてくれたのであろう治療法と受け止めている。
【2年目】の2-● ゲノム・遺伝子検査でBRCA2遺伝子変異がみつかった
1年経過して、今の答えは・・・⇒BRCA2遺伝子変異陽性が分かった。その患者は、いろんな治療がほとんど効かず、結果として、癌の進行・悪化がとても早いタイプ、そんな旨が明らかになっている。まさに、最後の希望が開きかけた、文字通りその印象。
1年経過して、今の答えは・・・⇒ BRCA2遺伝子変異の患者であることが保険上も確定して、4月から治療薬「リムパーザ」が使えるようになった喜びは大きかった。
PSAは2か月で「815から212」まで下がった。
では、なぜ、200辺りで下げ止まったかについての私見は、すでに8月以前から「10月に放射線治療を受ける」場所のがんが動いていて、PSAを上昇させ始めていたからだろうと考える。
また、落ち着いたら、「リムパーザ」を使いたいと主治医にお願いしている。
【2年目】の3-● 途中、第2世代ホルモン療法はできず
1年経過して、今の答えは・・・⇒当時の主治医は、「抗がん剤・ドセタキセル」も使ったし、あと寺町さんに保険でできることは「次の抗がん剤・カバジタキセル」を使うことだけ、という旨で、第2世代ホルモン療法を認めてくれなかった。
1月に主治医が交代したけど、2月も3月も、答えは「ゾーフィゴ・放射線治療中だからホルモン療法はダメ」。
8月に交代した主治医は、第2世代ホルモン療法薬も前向きに使ってくれた。
【2年目】の4-● 腫瘍マーカー PSA
●-6 現に腫瘍マーカー PSAは更に上昇し続けている |
【1年目】のPSAは、最低で7月に「2」まで下がったものの、年末は144。
1年経過して、今の答えは・・・⇒ 上昇をつづけ、その後、ジェットコースターの私の腫瘍マーカー PSA。
【2年目】のPSA
2年目に入った「2021年1月の144」から「4月の815」へと急上昇、
その後もジェットコースターのように急降下してくれたと思ったら、また、急上昇・・・を繰り返した。
の全体を示した表の右端、つまり直近のPSAは「2月3日 604」で終わっている。
その後「2月20日のPSA 955」と結果が届いている。
なんと、この一年間の最大値がいま現在の数値・・・と脂汗か
★ さてさて、これからは、【2年目】の期間中は「想定外のアクシデント」が続いたことを整理したい。
【2年目】の5-● まず、一年間の経過の表
その「告知から2年目」の治療のことや、前立腺がんの一番明瞭な指標とされる「PSA」の変化もグラフにしたのが、今日2022年3月19日のブログ。
●(告知から2年目=)2021年の経過 薬や処置、PSA、ALP、CRP (2022.02.末 本人作成)
(2020年2月告知PSA「2392」。PSA最低は同年7月の「2」)
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【2年目】の6-● 「去勢抵抗性前立腺がん」の治療薬や他の身体の不調など
◆ (アーリーダ 2020年6月~
2020年 ①12月1日 ②28日 ドセタキセル 中止 (プレドニン 4月まで) )
ゾーフィゴ(放射性塩化ラジウム223)の注射
(1月26日、3月2日、30日の3回注射したところで、PSAが高値になったので中止した)
★2021年 (アーリーダ 2月7日~22日 1錠/日: てもとに残っていた薬を勝手に飲んだだけ。PSAは下がった)
エストラサイト/2月24日~4月2日 2錠/2回/日
リムパーザ/4月7日から9月26日 2錠/2回/日
エンザルタミド/9.27~10.11
薬疹10.11~20日頃
発熱~11月初頃まで
エンザルタミド/11月9日に再開~ 就寝前・2錠/日
★ 2022年1月~ アビラテロン (+プレドニン10ミリ)/ 1月11日~
1月、帯状疱疹でる
【2年目】の7-● 緩和的放射線治療の道がひらけた
★「痛み」に対する緩和的放射線治療/名古屋市立大学/2回とも抜群に効いた
◆左脇下から腕 2021年10月18日~4グレイ×5日間
◆リンパ節肥大・左胸壁腫瘤/2022年2月2日~4グレイ×5日間
※ この劇的な効果の激痛緩和療法につき、日本語では理解してもらえないようなので、痛みがいかにひどかったか、そして、放射線治療でいかに痛みが超速攻的に改善・解消したかを視覚的に表すために考えた図表がある。もちろん、解説や放射線治療の経過も書いた。今日のブログの末に主要部を抜粋し、かつ、当該「2022年3月12日ブログ」にリンクしておくので、参考になれば幸い。
【2年目】の8-● アクシデント
★ 帯状疱疹 1月14日.18日.24日通院
皮膚科医から、がんの痛み止めとして強い薬が出ているようなので、皮膚科ではこれ以上強い痛み止めは出すものはない、といわれた。
その意味は、通常「激痛」とされる帯状疱疹の痛みにつき、私はがんの痛み止めを(12月から1月)服用していたので、帯状疱疹であるからと考えられる痛みは全く感じなかった。それほど、がんの痛みの方が強いということと認識できた。
★右上の歯の疾患? (2021年秋から)
(2022年1月からランマーク中止) ⇒ 今後の大切な課題
【2年目】の9-● 報告の要点/簡潔にこの1年の特徴を言うと
(1) 腫瘍マーカー PSAは、年間平均しても、細かく見て、きわめて「高値」で推移。しかも、ジェットコースターのように上下した。
(2) いろんな治療薬、治療法をチャレンジさせてくれる主治医と出会って、成り行きは「いつも深刻なレベル」とは言いながらも、先を見ることに余裕がある。もちろん、「さすが」というアドバイス、判断、処置があることは前提。
(3) 放射線治療という抜群に自分に合った治療法、医療機関に巡り合えて、これからの治療に「強い味方」ができた感じ。
(4) 薬疹、発熱続き、CRP(炎症反応)の高値が続く。帯状疱疹も出た。
身体・体調にアクシデントが何回か発生したのは、どういう体調を目指すかの目安を示してくれたと受け止める。
【2年目】の10-● 2年目の経験をもとに、3年目に臨む
治療や体調の管理には慎重にならないといけないのは当然として、いろんなアクシデントを経験したので、より多面的なとらえ方で自分のがんと向き合っていこう。良いことも悪いことも。 (以上)
(関連・参考データ)
★2022年3月12日ブログの一部
◆「がん」の痛みが消えた、たった5回の放射線治療で。驚くべき効果の「がん・疼痛緩和」の放射線治療/その超即効、劇的効果は言葉では表わしにくいのでエクセルで表現してみた
20. 抜群の「疼痛緩和」の放射線治療「痛みが即効的にほぼ消えたことを鎮痛剤で示す表」を作ってみた
なかなか、具体的に理解してもらえない「超即効的な放射線治療」の痛み軽減。
日本語では理解してもらえないようなので、痛みがいかにひどかったか、そして、放射線治療でいかに痛みが超速攻的に改善・解消したかを視覚的に表すために考えたのが次。
「12月から、毎日、何錠も使用している痛み止めが、日ごとに不要になっていく」ということをエクセルの表にして、つまり、「痛み止めの使用の状況・変化で即効的に痛みがとんだこと」をあらわしてみようということ。
12月中旬から2月に照射が始まる日まで、通常の痛み止めとしては最も強い鎮痛薬を飲用していた。
それが照射の最終・5日目からは、まったく飲んでいないということが、放射線治療の効果がいかにすごいかを表していると私は実感している。
「 表」の見方。
●痛みの期間、
その時の痛み止め薬の使用状況、
その痛み止め薬を簡単に点数化してみた、
次に、●放射線治療の期間や回数、
照射に即効的に反応したのは「痛みの軽減」、
とうぜん、痛み止め薬は「使用減」として反映した、
【黄色線部 約50日、痛みが増加し激しくなっていった。痛み止めも増え、薬剤を点数化すると点数は徐々に上がる。】
●「この痛み期間の薬の多様=痛みの強さと
放射線治療後の痛みの軽減」
【緑色線部 約5日の放射線治療で痛みが激減した。
痛み止めも減り、薬剤を点数化すると点数は激減する。】
このあたりを見てほしい。
念のため、私が今回12月から1月に使用した「痛み止め薬」の概略は以下。
・・・(以下、略)・・・ |
なお、昨日3月24日の私のブログへのアクセスは「閲覧数1,976 訪問者数793」。
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いつも前向きな治療姿勢に勇気づけられています。
PSAは高値ながら上手くコントロールされてるような気がします。骨転移の緩和照射も効いてるようでQOLも悪くない感じですね。
ところで、寺町さんはPSMAについてはいかがお考えですか?
わたし的には、いずれは海外でのPSMA治療を試す時期が来ると覚悟して貯金している状況です(笑)
その被害1日でも遅く来て欲しいとは思っていますが笑笑。
>覚悟して貯金している状況
それは、すごい。なかなかできないですね。
>PSMAについてはいかが
私なんか、すぐに受けた方がいいのでは、という考えもある状況かも・・という思いもあります。
いずれにしても、何年かすれば日本でも・・・とも思います。
まずは、PSMAの検査ができる医療機関が増えることですね。