●シリーズ 原発事故への道程 / 後編 そして“安全”は神話になった
2011年9月25日(日) 夜10時
NHK 【ETV特集】
原子力政策研究会に集った原発関係者たちの録音テープと新たな証言により、なぜ福島原発事故が起きたのか、その歴史的深層を探るシリーズ。後編は原発が次々に建設された1970年代以降、日本の原発で事故は起きないという「安全神話」がいかにして誕生したか、その過程を明らかにする。
1973年石油ショックの翌年に電源三法が成立し、「安全」を前提に原発建設が加速していった。このとき、日本で初めて原発の安全性を科学的に問う裁判「伊方原発訴訟」が始まっていた。
裁判は原発建設に反対する地元住民と科学者たちによる原告と、建設を推進しようとする国によって争われた。そこでは今回の福島原発で起きた「全電源喪失」や「炉心溶融」などの事態がほぼすべて俎上に載せられていた。公判中にスリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故も起き、安全性の見直しが迫られる状況も生まれた。しかし最高裁は「行政裁量の分野」だとし、反対派の訴えを退けた。
原発の安全性を正面から問うルートが失われるなか、誰も疑問を挟めなくなった行政と業界、学術界により安全神話は膨張していくことになる。日本における最初で最後の本格的な原発法廷の消長を軸にして、安全神話がいかにして一人歩きしていったか、その歴史的メカニズムを検証する。
日本万国博覧会:1970年3月14日、万博開幕に合わせて運転を開始した原子力発電所から電気が送られた。万博のテーマは、「人類の進歩と調和」。.伊方原発:1972年に建設が決まった。反対する住民たちは、許可処分取り消しを求め、国を相手とする初めての行政裁判に踏み切った。.立地審査指針:1964年に策定された「原子炉立地審査指針」。
原発設置にあたり、国がその基本設計を評価する際の指針として使われ続けてきた。どれくらいの規模の事故を想定すべきかなどが議論され続けている。
.伊方原発の裁判で住民敗訴:原子力の専門家たちが、反対住民側と国側に分かれて、安全論争を繰り広げた。深刻な事故の原因となりうる大地震の可能性や、メルトダウンへの道筋など、今日的な課題が出そろった。
.敦賀原発運転に立ち会った浜崎一成さん:「アメリカ製の原子炉は、実証済みの技術だと言われていたが、実際に動かしてみると問題が山積だった」と証言。.元原子力安全委員長の佐藤一男さん
:我が国の原子力政策を推し進めてきた研究者、官僚、電力業界の重鎮たちが、いま重い口を開きはじめた。.
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