車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

六華苑(旧諸戸清六邸)~Ⅱ~ in 三重県桑名市

2018年02月27日 08時10分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

昨日に続いての「六華園」、今日は諸戸家お抱え大工であった工匠『伊藤末次郎』が棟梁を務めた「和館」の紹介。まずは旧諸戸邸の表門にあたる長屋門から。建物は木造平屋建、入母屋、桟瓦葺。外壁は当時では格式が高いとされた黒漆喰で仕上げられています。

長屋門を潜った先にある内玄関。和館は大正元年(1912)に建てられたもので、木造平屋:一部2階建。入母屋、桟瓦葺で、庭園側と奥庭側に廊下が配されています。

一階は、西側に客座敷、東側に内向きの座敷があり、洋館と繋がる2階に隠居部屋。綺麗に刈り込まれた庭木の向こうには様々な木々が配置され、ちょっとした森林公園の様相を見せています。

庭園の中央には揖斐川の流れを取り込んだ池が配されており、川の満ち引きで水位が変わる為「汐入り庭園」とも呼ばれています。六華苑庭園は「旧諸戸氏庭園」として2001年に国指定名勝に指定されました。

庭園が作庭された当初は、バラの洋式円形花壇があったそうですが、大正末期から昭和初期に和風の池泉回遊式大幅に改修されたとか。洋館には似合うと思いますが、日本人の感性では、最終的には和風庭園がしっくりと落ち着くのかもしれません。

庭から見る洋館、塔屋と煙り出しの煙突がセピア色にかすんで、まるで古い絵画のよう・・

この時代、洋館と和館を併設する場合はそれぞれを別棟として建てるのが一般的とされていましたが、諸戸邸では洋館より広い和館が壁を接して直に接続されており、普段の生活は和館が中心。周囲を巡るように板廊下が配置され、板廊下と各部屋の間には畳廊下が設けられていました。Jさんのデジカメは不思議な鮮やかさ・・メーカーでこんなにも違うんだね。

真っ直ぐに続く廊下の長さに、単純に感動(笑)

窓越しに見えるお庭の景色の素晴らしさに、素直に感動(笑)

贅を尽くした室内のしつらえの美しさにウットリ(笑)。Jさん曰く・・「自分ちに帰るのが嫌になりそう(-"-)」「うん、わかる v( ^-^(ё_ёゝ」

「離れ屋」は二部屋からなり、西側に上段の間を設けて仏間とし、さらに内部には水屋を設け、茶匠『松尾宗吾』好みの意匠でまとめられています。昭和13年7月の上棟で、桑名市の有形文化財に指定されています。

また敷地内には岐阜県海津町から移築された「旧高須御殿」があり、内部の見学もできるとの事。伝承では高須藩の陣屋にあった御殿の一部とも云われ、旧高須藩陣屋の遺構の1つとして、三重県指定文化財に指定されています。生憎とこの日はウエディング撮影中、待つには時間が足りません。

和館北廊下と接続する土蔵漆喰の建物は「一番蔵」。接客用調度品などが収納されていました。また二番蔵には、膳碗・汁器類が収納されていたそうです。

一番蔵・二番蔵ともに、切妻、桟瓦葺。また画像にはありませんが現在ギャラリーとして使われている「番三蔵」いずれも、大正時代初頭に建てられたもので1996年に三重県指定文化財に指定されています。

最後の紹介は、大正時代初頭に建てられた旧諸戸邸の鎮守社「玉舟稲荷社」。玉垣の変わりに石を塗りこんだ土塀が巡らされています。

2間社、切妻造、平入、桟瓦葺、1間向拝付。「旧諸戸家稲荷社」は1996年に三重県指定文化財に指定されています。

留蓋の上から参拝者を見下ろす飾り瓦の獅子さん。表情と言い、ピンと横にはねた両足と言い、良い出会いをさせて頂けました。

さぁ、これで「六華苑」内は あらかた廻りつくしました・・・名残惜しくとも出口に向かわねば

ワイワイと感想を言い合いながら、長屋門が近づいた瞬間、思わず振り返ってしまい・・もう一度回れ右をしたいような、ここから先に進みたくないような・・何ともやるせない気持ちの自称乙女二人 ('◇')ゞ ('◇')ゞ。呆れつつシャッターを押すご亭主殿 (~_~;)

訪問日:2011年4月9日

 

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六華苑(旧諸戸清六邸)~Ⅰ~ in 三重県桑名市

2018年02月27日 08時05分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

揖斐・長良川を望む5500坪余の広大な敷地に建てられた、薄水色の搭屋を持つ西洋館。初めてこの美しい建物を目にしたのは、桑名の観光名所が並んだパンフレットの中。

三重県桑名市桑名にある「国重要文化財:六華苑」。山林王として知られた実業家二代『諸戸清六』の新居として明治44年に着工し、大正2年に竣工。洋館の設計は鹿鳴館を設計した『ジョサイア・コンドル』

「18,000 ㎡の広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの建造物群と「池泉回遊式」庭園で構成されたこの邸宅は、一部の改修と戦災を受けたものの、創建時の姿をほぼそのままにとどめています。桑名市は1991年に土地を取得し、建物は諸戸家からの寄贈を受け、整備工事の後、1993年に「六華苑」という名称で一般公開しました。そのうち、洋館および和館は1997年に国の重要文化財に指定され、他の6 棟が三重県の有形文化財に指定されています。また庭園は、2001年に国の名勝に指定されました。」公式HPより

長屋門風の入り口を入り、ロビーで入苑手続き(一般¥460)を済ませたら、さぁ、腐女子(笑)憧れの夢の世界へ

車寄せの玄関ポーチは・・締め切りで入り口は矢印の向こう。

格天井の美しさは、洋の中に和の凛々しさを取り入れた簡素で気品高い造り。

ポーチの前から見上げる塔屋の窓に思わずときめく乙女心(そこ、笑うとこではありません!)(笑)

玄関ポーチの真上には白い鎧戸付きの窓。室内には、柔らかなシャンデリアのオレンジの灯り。

窓の上には明り取りのドーマ。後ろに聳えているのは、多分暖炉の煙出し。

そのまま目線を横に移動させれば、お伽噺の王女様がふいっと顔を覗かせてくれそうな小窓が並ぶ塔屋・・・。あ、いきなり現実的な説明になりますが(笑)、元々は本館と合わせた高さの設計だったのですが、「揖斐川を見渡せるように」との清六の意向で4階建てに変更されたとか。最上階の窓から見る揖斐川はどんな風だったんだろう・・

庭に回って見上げる瀟洒な建物は、そのままお伽噺の舞台のようで、いくつになっても夢みる乙女心(そこ、以下略)を呼び覚ましてくれます(〃∇〃)

庭園に面して多角形に張り出した1階のベランダ。長いドレスの裾を翻して駆けてくるのは、長い黒髪を夜会巻にしたレディ諸戸。それとも小さなお姫様たち?

外観も素晴らしいのですが、やっぱりここまで来て中を見ないなんて有り得ない!(⌒∇⌒) ねぇ、この玄関ポーチのステンドグラスの暖かな色彩。

柔らかな光を投げかけるシャンデリア

真鍮で造られた装飾的な腕木

天井部には精緻な鏝絵が施された漆喰の・・これは何と呼ぶんだろう?

この部屋は何に使われていたのだろう?きっと主の商談はこの部屋で行われていたに違いない。目を閉じれば大きな取引を成立させて握手を交わす主と客の姿が・・

壁のライトは、満足げに微笑む主を見守るように光を投げかける。

磨きこまれた手摺りを伝いながら二階へ

差し込む光は今日も暖かいね。

柔らかな曲線を描く廊下の大窓から見下ろす緑の庭園。

意匠を凝らした2階のサンルームに立てば、白い窓枠は、まるで額縁のように影を落としそこに写る何もかもを、綺麗なポートレートに変えてくれる。それはまるで魔法の様に!。そうしてレディ諸戸は、愛する人の帰宅をここで待ちわびる。

移動するその折々に浮かんでくる物語は、美しい佇まいの建物に色を添え、香りを添えて私に話しかけてきます。

扉の向こうに広がる世界は、私たちには無縁だった煌びやかな世界。それをこうして自由に見られる事に単純に感動できるって、幸せだね。

あぁ、そういえば面白いと言うか、とても素敵な物を見つけました。今なら部屋の入口に当たり前についている照明用のスイッチ。この洋館の入り口にもありました!!「入る」と「切る」がそれぞれに設置されているのは、この時代ならではの事でしょうか。

流石は大正初期に、既に洋式の水洗トイレを備えた邸宅。何もかもが想像の域を超えて(笑)こういう時はやっぱり「ワンダフル!」って言うのかな(^▽^)

そうそう、もう一部屋「資産家の邸宅とはかくあるものか」と感嘆させられたのが、洋館なのに押し入れがあるこの部屋・・・何と女中部屋。

見所一杯の「六華苑(旧諸戸清六邸)」。明日は粋を凝らした和館の紹介です。

訪問日:2011年4月9日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧桑名市(桑名市)

2018年02月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

古くより「鋳物の街」として知られる桑名。江戸時代、桑名には朝廷より鋳物製造を許可された、三軒の「御鋳物師(おんいもじ)」が存在していたと伝わっています。「勢州桑名に過ぎたる者は 銅の鳥居に二朱女郎」と里謡に歌われたという、春日神社の青銅鋳物の鳥居。高さ約7m、幅約6mで、その堂々たる威容は、 旅人の目を驚かせたと伝えられています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、桑名郡桑名町・赤須賀村・益生村・大山田村・桑部村・在良村・深谷村・城南村、員弁郡七和村・久米村が発足。

1923年、桑名郡桑名町が赤須賀村を編入。

1929年、大山田村が町制を施行・改称して桑名郡西桑名町となる。

1933年、桑名郡桑名町が益生村を編入。

1937年、桑名郡桑名町が西桑名町を編入。市制を施行し桑名市となる。

1951年、桑名郡桑部村・在良村・員弁郡七和村を編入。

1955年、桑名郡深谷村、員弁郡久米村大字坂井・赤尾・友村・島田・志知を編入。

1956年、桑名郡城南村を編入。

2004年、桑名郡多度町・長島町と合併、(新)桑名市となりました。

旧桑名市のマンホールには、市章を中心にキャラクター化された「はまぐりファミリー」がデザインされています。

その昔、大名貴族のお姫様が、お嫁入り道具の一つとした、蛤の殻を装飾した雅な「貝合」。さて・・桑名が蛤の特産品というのは大昔の話になってしまいました。現在日本で流通する蛤のうち、桑名産天然蛤はわずか2%・・よほどの老舗で供されるもの以外「中国産の冷凍蛤」だと、地元の知人から教えられがっかりした思い出が・・(^^;)

昭和12年(1937)4月1日制定の旧市章は「「桑」の略字体「桒」を図案化し、中央に「太陽」を配置したものです。」合併協議会資料より

バルブ

制水弁

バルブ・ガス

桑名市今中町に門を構える「専正寺」の一画に建立された、市指定文化財「蛤墳(こうふん)」碑。

「昔この辺りは漁村で、付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていたので、文政六年(1823)に今一色に住んでいた谷氏が蛤の供養のために、この碑を正念寺(現在専正寺)に建てた。碑文は。桑名の狂歌師黒沢行業(一雲山人)に依頼したものである。行業は国学者・歌人として有名だった桑名藩士黒沢翁満の父。今でも時雨蛤の業者が毎年、供養を行っている。

【あまおふね  のりのみ声に はまぐりの  貝の耳にも とめてしのばむ】」

公式HPには「もとは1m足らずのものであったのを、大正年間、時雨蛤の同業8人が現在のように改築したものである。」と紹介されています

撮影日:2011年4月9日&2017年3月26日

 

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