愛知県蟹江町城に鎮座される「銭洗(ぜにあらい)尾張弁財天 富吉(とみよし)神社」。御祭神は『富吉龍大神』。御側神『大松大神』
御神紋は龍の化身とも言われる弁才天に相応しく「波に三つ鱗紋」。
由緒では「室町時代、永享年間北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を粗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。昭和39年、海門寺大池を埋め立てることとなり、約400年ぶりに尾張弁財天富吉神社として祀られました。」蟹江町公式HPより
決して大きな規模の拝殿では有りませんが、日差しを受ける黄金の井戸、何本もの柄杓が並べられた銭洗い場。室町時代からの言い伝えで、この境内の銭洗いの池にて財宝を洗えば、福徳が授かり、また洗った小銭で商売をすると何倍にもなるとの言い伝えがあるとか。小市民の私たちもそれに倣ってみました。
神秘の中に鎮まられる祠の左右より神域を守護されるのは瀬戸焼きの狛犬さん一対。傍らの黄金の井戸には「瀬戸市 龍山窯 電光師 作」の札があるのですが、この狛犬さんが同じ方の作品で有るか否かは不明。それにしても良い意味で個性的で素晴らしい狛犬さんです。
銭洗いの水場近くに祀られている祠には、一抱えの石のようなものが鎮座されています。 どのような姿で鎮座されておいでなのか・・むやみに覗き込むのもはばかられて確認はしていません。
更に境内の一角には、信長亡き後の天正12年(1584)に、徳川家康と豊臣秀吉軍が戦った蟹江合戦の犠牲者を祀る「蟹江城主、先祖代々供養塔」が建立されています。
由緒碑の末尾に書かれた言葉です。「もうかるとは 信ずる者と掛けてもうかる 神を信じ 佛を信ずる者に授かった物が 儲かったである。」
参拝日:17年3月27日
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御神名・他一口メモ
『大松大神』、京都伏見稲荷では、参道の一角に「お酒の神様」として祀られていますが、それ以上の詳細は不明。
「波に三つ鱗紋」、龍神の霊力という魔除けの力を表す。北条時政が江ノ島弁財天に子孫繁栄を祈願したとき、大蛇が神託を告げ、三枚の鱗を残して消えたことに由来するともいわれる。