車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

銭洗(ぜにあらい)尾張弁財天 富吉(とみよし)神社in蟹江町

2018年04月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県蟹江町城に鎮座される「銭洗(ぜにあらい)尾張弁財天 富吉(とみよし)神社」。御祭神は『富吉龍大神』。御側神『大松大神』

御神紋は龍の化身とも言われる弁才天に相応しく「波に三つ鱗紋」

由緒では「室町時代、永享年間北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を粗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。昭和39年、海門寺大池を埋め立てることとなり、約400年ぶりに尾張弁財天富吉神社として祀られました。」蟹江町公式HPより

決して大きな規模の拝殿では有りませんが、日差しを受ける黄金の井戸、何本もの柄杓が並べられた銭洗い場。室町時代からの言い伝えで、この境内の銭洗いの池にて財宝を洗えば、福徳が授かり、また洗った小銭で商売をすると何倍にもなるとの言い伝えがあるとか。小市民の私たちもそれに倣ってみました。

神秘の中に鎮まられる祠の左右より神域を守護されるのは瀬戸焼きの狛犬さん一対。傍らの黄金の井戸には「瀬戸市 龍山窯 電光師 作」の札があるのですが、この狛犬さんが同じ方の作品で有るか否かは不明。それにしても良い意味で個性的で素晴らしい狛犬さんです。

  

銭洗いの水場近くに祀られている祠には、一抱えの石のようなものが鎮座されています。 どのような姿で鎮座されておいでなのか・・むやみに覗き込むのもはばかられて確認はしていません。

更に境内の一角には、信長亡き後の天正12年(1584)に、徳川家康と豊臣秀吉軍が戦った蟹江合戦の犠牲者を祀る「蟹江城主、先祖代々供養塔」が建立されています。

由緒碑の末尾に書かれた言葉です。「もうかるとは 信ずる者と掛けてもうかる   神を信じ 佛を信ずる者に授かった物が 儲かったである。」

参拝日:17年3月27日

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御神名・他一口メモ

『大松大神』、京都伏見稲荷では、参道の一角に「お酒の神様」として祀られていますが、それ以上の詳細は不明。

「波に三つ鱗紋」、龍神の霊力という魔除けの力を表す。北条時政が江ノ島弁財天に子孫繁栄を祈願したとき、大蛇が神託を告げ、三枚の鱗を残して消えたことに由来するともいわれる。

 
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甘強(かんきょう)酒造株式会社 in 愛知県蟹江町

2018年04月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県蟹江町城4丁目、蟹江川沿いに本社を置く「甘強(かんきょう)酒造株式会社」。創業は文久2年(1862)、みりんや日本酒、焼酎の製造・販売を行う酒造会社です。

「初代『山田平八』が濃尾平野で収穫される豊富なもち米を原料とし、縦横にはしるクリークによる便利な舟運を利用してみりんの製造を始めたのが最初です。昭和29年(1954)には、清酒四天王の醸造を開始。現在でも、地元濃尾平野や国内産のお米を原料に、本物と呼ばれるみりんや日本酒を醸造しております。」公式HPより

屋号である甘強みりんに名称変更したのは、昭和10年(1935)。甘みや旨みの強い本物のみりんを造り続けるという想いから「甘強みりん」と命名されました。

道路側向かって右に昭和13年(1938)建設の、スクラッチタイル貼りの「事務所」。愛知県西部に残る数少ないRC造の建物です。堤防敷き(いわゆる土手)の斜面に建っており、住宅側から見ると3階建てで地下部分は倉庫。1階は事務所、2階は会議室と和室で、渡り廊下で住宅の2階につながっています。

住宅母屋は大正11年(1922)ごろに柱などの構造材、材料を蟹江川から運びこみ、数年かかって建設されたものです。突き当りの建物は明治38年(1905)ごろ新築された土蔵造の「味醂蔵」。右に工場の建物が見えます。

明治から昭和初期に建てられた同社の建物のうち、2005年に登録有形文化財に登録された「旧本社事務所・工場・住宅主屋・住宅土蔵」。生憎とこの事実を知ったのは車泊旅から帰宅して調べた結果。知っていれば車をどこかに置いて、もう少し丁寧に画像に残したのに・・。

訪問日:2017年3月27日

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一言メモ

登録有形文化財とは・・ 貴重な建造物をより多く残すための制度。建築後50年を経過したもので1. 国の歴史的景観に寄与している。 2. 造形の規範となっている。 3. 再現することが容易でない 。この3つの基準を満たす建造物を国が指定するものを指す。

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