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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山口大神宮 in 山口県山口市滝町

2024年01月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市滝町に鎮座される「山口大神宮」

御祭神は内宮に『天照大御神』『天手力男命・萬幡豊秋津姫命』を配祀 。
内宮別宮 荒祭宮に『天照大御神荒魂・瀬織津姫命』。内宮摂社 恵美須社に『事代主命』
外宮 に『豊受大御神』『天津彦彦火瓊々芸命・天児屋根命・天太玉命・建御名方神・八坂刀自命』を配祀。
内宮別宮 多賀宮 に『豊受大御神荒魂・伊吹戸主神』

由緒「大内義興の時代、前将軍足利義植が京都を追われ、山口に来て大内氏にたよったが、義興は、永正5年(1508)にこれを奉じて上洛し、以後11年間、管領代として将軍に代わって幕政を執行。、永正11年に伊勢の皇太神宮に参拝。永正15年、山口に帰った義興は、太神宮を勧請する用意にとりかかり、自らその社地を視察。高嶺の東麓を境内地と決め、社殿建立の御作事始めを行い、永正16年に外宮、17年に内宮が落成。天皇に太神宮勧請を奏聞し、勅許を得て17年6月29日に神霊を遷宮。当初は「高嶺神明」と称したが、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜わり、「高嶺太神宮」「今伊勢」と称せられるようになった。昭和3年に県社となり「高嶺神社」と称する事となったが、昭和22年「山口大神宮」と改称。」公式HPより

鳥居から真っ直ぐに続く石段参道、

その左右より神域を守護されるのは有形文化財指定の狛犬さん一対。「寛政三年(1791) 秋穂石工市宝一族」。物静かな吽形さんには頭上に小さな角、不思議な迫力で参拝者を見守る阿形さん。お目にかかれて嬉しい一対です。

大切に、大切に神域を護ってこられた神獣さん。元の顔立ちがどんなだったか朧になっても、いつまでもこの大切な神域を護り続けて下さいね。

桧皮葺の手水舎で改めて身を清め、石段参道を登って御本殿へ。

石段参道を登って左手に『天照大御神』他:二柱が鎮まられる「内宮」

伊勢に倣い、2000年に式年遷宮を挙行。内宮・外宮の敷地の横には式年遷宮の際の「古殿地」があります。

石段参道を登って右手に『豊受大御神』他:五柱が鎮まられる「外宮」。中央:古殿地後方に見えるのは「別宮」

外宮の社前左側に「籾置岩(もみおきいわ)」「楕円型の苔むした巨岩が置かれている。石の周囲は7.7メートル、畳2枚くらいの広さである。種子にする稲籾や麦などをこの岩において、農作物の厄除け、豊作を祈願したことからこの名がある。」公式HPより

手水舎の近くに置かれた「鷺岩」「江戸時代祇園社は大神宮境内にあった。その神事に鷺舞があるが、鷺舞が終わるとこの岩の上に鷺の頭や羽根を置くことになっていた。それでこの岩を鷺岩という。」公式HPより

奥社:岩戸社が鎮座される「鴻の嶺:登山道」案内。かなりの石段参道を登らなければならないとお聞きしていたので、この場にて遥拝させて頂きました。

明日は山口大神宮内に鎮座される「多賀神社」の紹介です。

参拝日:2013年4月17日&2015年11月11日

 

コメント (4)
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