2015年11月、初めて訪れた瑠璃光寺の五重塔、その言葉にし難い美しさに魅せられ、2017年11月、友人Jさんのリクエストも有って二度目の参拝となった瑠璃光寺。
観光山口のシンボル的存在として知られ、大内文化の最高傑作といわれる「国宝 :瑠璃光寺五重塔」。全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と共に、その美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。
檜皮葺の屋根と上層部に向かって細くなるシルエットの美しい塔は、室町時代中期における優れた建築の一つとして評価され、昭和27年(1952)11月22日に国宝に指定。こうした檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺・長谷寺、広島県の厳島神社にも現存します。
本堂の参拝を終え、境内のあれこれを拝観し、香山墓地の参拝、公園散策を終えて、再び目指す瑠璃光寺五重塔。枯れ芒の向こうに見える塔の「相輪」。ただそれだけなのに、何故だか不意に涙ぐみたくなる。
大内家第九代当主「大内弘世公」騎馬像。
応永6年(1399)足利義満と泉州で戦い戦死した大内義弘の菩提を弔うため、弟・盛見は香積寺に五重塔を造営。しかし完成を見る事なく、九州の少貳(しょうに)勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442)頃落慶しました。兄である大内義弘の菩提を弔う為に建立された五重塔。馬上の貴方の目にはどのように映っているのでしょう。
「相輪」の下に「空(宝珠)」・「風(請花)」・「火(笠)」・・近づくにつれ塔はその美しい姿をあらわにしていきます。
「水(塔身)」が姿を現し
そして「地(基礎)」。柱間:三間四方(5.11m)、高さは31.2m、桧皮葺き。各重の軒の出が深く、屋根勾配はゆるく、各重の屋根は上にいくに連れ小さくなっていき、安定した美しい姿を見せます。
春の雨にけぶる薄もやの向こうに鎮まる美しい互層の塔・・木々の彩に抱かれた景色の中、水に映る姿の美しさに人は何を見るのだろう。特別な宗派を持たない私たちですが、そんなものとは全く別の感覚で「思わず手を合わせて頭を垂れてしまう」。それは宗派にでも、偉いお坊さんにでもなく、連綿と受け継がれ護り通してきたこの地の人々への敬意なのだと思う。
もうすぐ師走12月 雪に備えて雪吊りの準備が着々と進められています。一面の雪景色の中に浮かび上がる瑠璃光寺五重塔・・その姿を見る事は叶わないでしょうが、きっとこの上なく神秘的で美しい景色でしょう。
「画聖 雪舟」像。晩年の雪舟は瑠璃光寺の五重塔が見える山口のこの地に住み、筆をとり作品の製作を続けていたと云います。
室町時代、25代の大内義弘が建立した「香積寺」。江戸時代になり毛利家によって香積寺は萩に引寺。その跡地に引寺されたのは、大内家の家臣であった陶7代当主陶弘房の夫人が夫の菩提を弔う為に建立した瑠璃光寺。陶氏といえば大内義隆への謀反で大内家を滅亡を招いたのは10代当主陶隆房(晴賢)。後に毛利元就との戦いにより陶氏は滅亡。維新後の毛利家三代の墓所と隣り合わせにある瑠璃光寺・・・不思議な縁の糸は絡み合いもつれ合って、歴史を紡ぎ、今は静かに山口市を代表する名勝となって鎮まっています。
参拝日:2012年11月11日&2013年4月17日&2015年11月11日