山口市(やまぐちし)は山口県のほぼ中央に位置する市です。市域は南北に長く南は瀬戸内海に面し、東は防府市、周南市、西は美祢市、宇部市、北は萩市と県を跨いで島根県津和野町、吉賀町に隣接。
北部の山地から、山口地域は椹野川が、徳地地域は佐波川が、盆地、南部の臨海平野を経て瀬戸内海に流れ込んでおり、阿東地域は阿武川が「名勝長門峡」を経て、萩市より日本海へと流れています。
南北朝時代、大内弘世が大内氏の本拠地を現在の山口市中心部に移したのが始めとされ、応仁の乱以後には京から乱を逃れてきた文化人を歓迎した事から、いわゆる「大内文化・西の京」として栄え、戦国時代には大内義興、大内義隆が市街を整備し栄華を極めました。天文21年12月9日(1552年2月24日)に山口の宣教師らが、司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスの祝を催した事から「日本のクリスマスの発祥の地」としています。「市の木:イチョウ」「市の花:菜の花」「市の花木:桜」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により吉敷郡山口町・上宇野令村・仁保村・小鯖村・大内村・宮野村・吉敷村・矢原朝田村・平川村・秋穂村・鋳銭司村・秋穂二島村・名田島村・陶村・小郡村・嘉川村・井関村が発足。
1898年、矢原朝田村が改称し、吉敷郡大歳村となる。
1899年、井関村佐山地区が分立、吉敷郡佐山村が発足。
1901年、小郡村が町制を施行、吉敷郡小郡町となる 。
1905年、 山口町、上宇野令村が合併、改めて山口町が発足。
1915年、山口町と下宇野令村が合併、改めて山口町が発足。。
1929年、山口町と吉敷村が合併、市制を施行し、山口市(初代)となる。
秋穂村が町制を施行、吉敷郡秋穂町となる。
井関村が町制施行・改称して吉敷郡阿知須町となる。
1941年、 宮野村が山口市に編入。
1944年、大歳村・平川村・秋穂二島村・名田島村・陶村・小郡町・嘉川村・阿知須町・佐山村が山口市と合併、改めて山口市(二代)が発足。
1947年、山口市阿知須が分立し、吉敷郡阿知須町が発足。
1949年、山口市小郡上郷・小郡下郷が分立、吉敷郡小郡町が発足。
1955年、仁保村・小鯖村・大内村が合併、吉敷郡大内町が発足。
1956年、鋳銭司村が山口市に編入。
1963年、大内町が山口市に編入。
2005年、秋穂町・小郡町・阿知須町が山口市、佐波郡徳地町と合併、改めて山口市が発足。
2010年、阿武郡阿東町を編入、現在に至ります。
マンホールには「山口七夕ちょうちん祭り」の様子が美しくデザインされています。
「山口七夕ちょうちん祭り」は、室町時代、大内氏が笹竹の高灯籠に火を灯し、先祖の冥福を祈った事に由来するもので、山口市民の盆行事として定着しています。
撮影日:2012年11月12日&2015年11月11日&2017年12月1日
種類の多い山口市のご当地マンホール、明日は其の二へ続きます
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2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「山口市A」のマンホールカードは、「山口観光案内所」でいただけます。
1987年に設置開始されたマンホールには「山口七夕ちょうちんまつり」がデザインされています。
「このマンホール蓋は、毎年8月6日、7日の旧暦七夕に開催される「山口七夕ちょうちんまつり」の様子をデザインしたもので、カラー版は市内の歩道を中心に設置しています。 山口七夕ちょうちんまつりは、室町時代の守護大名大内盛見(おおうちもりはる)が先祖の供養のため、お盆の夜に笹竹に高提灯を灯したのが始まりとされています。 その歴史は現在に至るまで約600年続き、山口市の夏の風物詩となっています。 メイン会場の一つ、商店街のアーケードを飾るちょうちん笹飾りは、まるで光のトンネルのよう。 神輿や山笠などを含めると、使用されるちょうちんの数は数万個にのぼり、会場全体を幻想的に彩ります。」
訪問日:2017年11月30日