山口市天花、七尾山(ななおやま)の麓に鎮座される「豊栄(とよさか)神社」。御祭神は『毛利元就公』。
創祀「慶長5年(1600年)、長門国に移封された毛利輝元が、萩江向村の春日神社境内に祖父元就の霊(元就公)を祀ったのが前身。同12年に萩城の三の丸に遷座されたが、宝暦12年(1762)、長州藩主重就が萩城二の丸に鎮座していた土地神社を改造して春日神社から元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命と合祀して神性霊社と号す。明和7年(1770)、元就公を「仰徳大明神」と称し、神社名も仰徳社と称した。明治2年(1869)、元就には朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇は元就公に「豊栄」の神号を与え、山口市の多賀神社境内に仮殿を構えて仰徳社を移祠し豊榮神社と改称。明治4年、岩倉具視が勅使として差遣され、現在地に現社殿が造営されて遷座、明治6年に県社に列した後、明治15年(1882)に別格官幣社に列格。」Wikipediaより
「百万一心」の碑「百の字は特に一画を省いて一日とし、万の字は略字によって一力とし、一日一力一心とも解され「日を一にし力を一にし心を一にす」衆人協同の意であるとされる」現地案内より
「征清役戦死者招魂碑」
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山口市天花に鎮座される「野田(のだ)神社」。御祭神は『毛利敬親(よしちか)公』・『毛利元徳(もとのり)公』を配祀。
創始「明治6年(1873)、有志が謀って「敬親公」を祀る社を豊榮神社の境内に建て、神社名を諡号である「忠正」から取って忠正神社と称したのに創まる。翌7年、鎮座地名からとった現在の野田神社に改称して同9年に県社に列格、同19年に現在地に遷座し、大正4年(1915)に別格官幣社に列格した。元徳は死の2年後の明治31年(1898)、野田神社境内に摂社として芳宜園神社を創祀して毛利元徳公として祀られたが、昭和11年(1936)に本殿に合祀された。」Wikipediaより
石段先に幣殿
幣殿の隙間から見る「本殿」
石段参道の下、左右より神域を守護されるのは明治二十四年(1891)四月吉祥日建立の、少しメタボですがとても育ちの良さそうな狛犬さん一対。吽形さんの長くて大きな角と、まるでラッフル(襞襟)のような首周りの毛並みが結構「ツボ」に嵌ります。
豊栄神社石段下、右手にある「絵馬堂」
豊栄神社・野田神社の「社号標」と後方に「能楽堂」
参拝日:2015年11月11日