岐阜市(ぎふし)は岐阜県の南部、濃尾平野のの北端に位置する市です。同県の県庁所在地、大垣市、関市、山県市、本巣市、瑞穂市、羽島市、各務原市、羽島郡笠松町、岐南町、本巣郡北方町に隣接。市内中心部を長良川が流れ、北部には金華山がそびえる、自然豊かなまちです。市域の大部分は長良川と支流の扇状地と自然堤防地帯にあり、1300年以上の歴史を誇る「ぎふ長良川の鵜飼」や国史跡「岐阜城跡」など、歴史のまちとしても知られています。斎藤道三・織田信長が登場した戦国時代に、岐阜は天下の要所として全国に名が知られるようになり、江戸時代には中山道の宿場町として、発展の道を歩んできました。金華山の山上には明治43年(1910)に再建された岐阜城の復興天守があります。「市の木:つぶらじい」「市の花:サルビア」を制定。
キャッチフレーズは「人・まち・自然 個性輝く 市民協働都市ぎふ」
明治22年(1889)、町村制の施行により、 岐阜町・稲葉郡富茂登村・稲束村・小熊村・今泉村・上加納村北部が合併、市制を施行、岐阜市が発足。
稲葉郡東加納町・西加納町・下加納村・上加納村・本荘村・日野村・長良村・島村・三里村・鷺山村・則武村・南長森村・北長森村・木田村・常磐村・岩野田村・黒野村・方県村・茜部村・鶉村・市橋村、本巣郡七郷村・西郷村・岩村・鏡島村・厚見村・日置江村・芥見村・、本巣郡合渡村・網代村、山県郡三輪村が発足。
1897年、東加納町、西加納町、下加納村が合併、稲葉郡加納町、が発足。
1958年、岐阜市が稲葉郡日置江村、芥見村を編入。翌1959年、本巣郡合渡村を編入。
1903年、岐阜市が稲葉郡上加納村を編入。
1931年、岐阜市が本荘村、日野村を編入。翌1932年に長良村を編入。
1934年、岐阜市が稲葉郡島村を編入。翌1935年に三里村、鷺山村を編入。
1940年、岐阜市が稲葉郡加納町、則武村、南長森村、北長森村、木田村、常磐村を編入。
1949年、岐阜市が山県郡岩野田村を編入。
1950年、岐阜市が稲葉郡黒野村、方県村、茜部村、鶉村、市橋村、本巣郡七郷村、西郷村を編入。同年12月、岩村を編入
1955年、岐阜市が稲葉郡鏡島村、厚見村を編入。
1958年、岐阜市が稲葉郡日置江村、芥見村を編入。翌1959年、本巣郡合渡村を編入。
1961年、岐阜市が山県郡三輪村を編入。
1963年、岐阜市が本巣郡網代村を編入。
2006年、岐阜市が羽島郡柳津町を編入、現在に至っています。
マンホールには「竹籠の籠目の上で鮎を追う二羽の鵜」がデザインされています。(名古屋市下水道科学館・展示蓋。)
一見、同じデザイン、同じ色に見えるマンホールですが、よく見ると微妙に違った部分があり、それを見つけるのもまた楽しいもの。ただし、微妙ゆえに、見過ごした蓋も沢山有ったようです。
路上のタイルモニュメントに描かれた「鵜」。とても印象的ですが、左右の造形が何を表しているのかは不明。
明治42年8月27日 制定の市章は「本市は往古井の口といい、織田信長公によって「岐阜」の名を全国に広められました。この深き由緒にもとづき、井の口の「井」をもって本市の象徴とし、これを市章と定めました。」公式HPより
市章の中に「水」の文字がある消火栓、一見しただけでは市章とは気付かず、単なる枠と間違えそう。
岐阜市柳ケ瀬商店街の非公式キャラクター『やなな』、四角い頭はダンボールで出来ているからだそうです。隣で見得を切る『みなも』は、「清流の国ぎふ」のマスコットで、岐阜県のキャラクターです。
鵜飼いが行われる長良川は日本三大清流の一つと言われ、1985年には中流流域が「名水百選」に選ばれています。折角の岐阜市訪問でしたが、立ち寄ったのは数社の神社のみ、後はひたすら地面を見て歩き、たまにこんなベンチで休憩してました😄
撮影日:2012年5月14日
違いに気がついてくれる方がいると、もの凄く励みになります。
でも見た目が地味なので(笑)、コレクションとしては今一つですけどね。