尼崎市下坂部に鎮座される「伊居太神社(いこたじんじゃ)」。御祭神は『武甕槌神・天児屋根命・経津主神・姫大神』相殿に『市杵島姫命』。摂津国河辺郡の式内社の伊居太神社の論社の1つとされます。
由緒「創祀年歴は不詳。境内にある「伊居太古墳」は、坂合部連の氏族祖神の古墳とされる。その後古墳上に神社を建立して祖神を崇敬。当初は氏族の首長大彦命之及び子孫を御祭神として、長歳月にわたり祀られたが、藤原氏の全盛期、当地域を支配した藤原の祖神である春日大社を勧請奉祀。人皇第60代醍醐天皇が制定された延喜式神名帳に、川辺郡に式内小社伊居太神社とあるのは、当神社である。古老の伝承によれば昔、春日大社より神の使者、白い神鹿が到来したと云う。明治6年、村社に列せられる。」兵庫神社庁HPより
拝殿の前より神域を守護されるのは、ボールのような毛束と波口が特徴の浪花タイプの狛犬さん一対。三つ房付きの注連縄がとてもよくお似合い。
社殿が建つのは前方後円墳「伊居太古墳」の上とされており、墳丘長:約92メートル・後円部 直径:約46メートル・前方部 幅:約53メートルで、墳丘長は尼崎市内では最大規模。古墳時代中期の5世紀末頃の築造と推定されています。しかし墳丘が削平されていたこともあって古墳に関する出土遺物は見つかっておらず、伊居太古墳が確かに古墳であるとする積極的証拠は得られていません。
「伊居太神社」の近く、尼崎市久々知に回遊式日本庭園風の公園「近松公園」があります。目的はマンホール収集だったので、入り口付近をちらっと見ただけで終了(^^;)
近松の名を冠していますが、入り口近くに『近松門左衛門』のブロンズ像があるくらいで、特に関わりのある場所でもないようです。そうそう、公園に隣接した広済寺には彼の墓所があるそうで、知ったのは帰宅後の事。
園内は春先から水仙や桜が、初夏には池の周囲に菖蒲が咲きほこり、また秋には美しい紅葉など、四季折々の風情が楽しめ、芝生広場、休憩所などがあり、季節ごとに多くの人で賑わうとか・・。基本的に駐車場が併設されていない場所ではゆっくり散策は無理・・まぁ市民の為の憩いの場所ですから・・(^^;)
参拝&訪問日:2009年9月19日
tibineko様ならご存じかと思いますが、部とは古代の職業集団。
有名どこでは服部や錦織部等の機織り集団のほか土師部、韓鍛冶部 錦織部 鋳物師などなどがあります。
では境部とは?
諸説あるのですが国造制度成立過程で、その境界画定に従事した集団という見方が有力でのちには集税や法令整備、史書編纂等にも深く関わりました。
そしてこの境部を指揮したのが蘇我氏の一族の境部臣。
蘇我氏が政権中枢で台頭する過程で境界の確定という重要権限を掌握するために境部を創設しそのトップに一族を据えたという見方もあります。
明日香には今も「坂合」という地名が残り、全国的には「酒井」や「堺」の字が充てられる「さかい」姓を見ても近畿、とりわけ奈良では「坂合」姓がかなり見られます。
「新撰姓氏録」に「允恭天皇の御代、国境の標を造立し、因って姓を坂合部連と賜う」とあり、境界を定める技術をもった職業部とされる」の記述があり、
また尼崎市内にある「上坂部・下坂部」という地名に関しては、「中世に「酒部」と書いたものがあり、『摂津志』にも上坂部を注して「坂は一に酒に作る」とあることから、酒部の居住地とする説もある」の記載があります。
単なる地名、単なる苗字が、実は古代からの日本史に大きく関与している事を思うと、最近各地で見受けられる難読・難解地名を、分かりやすい表記に変えるという政策は素直に賛成できかねます。
そのうえでダムを回るようになってから治水のみならず防災全般にもアンテナを広げるようになり、その筋の専門家さんとも交流を持つようになりました。
その入り口にあるのが地名で本来の地名はその地がいかなる場所であるかを示す標識であると。
谷や川、沢、沼、池、窪や久保といった直接的なものから例えば洪水の痕跡を示す竜や蛇がついた地名、古語で水を示す「あか」「あけ」「あく」といった読みの地名は本来そこは人が住むべきではない警告でもあったはず。
それが高度成長期以降の無秩序な宅地開発により河川の氾濫原や土砂崩落斜面、窪地、沢の埋め立て地、谷底にまで開発の手が進み、しかもあろうことか谷底や窪地に『なんちゃらヶ丘』や『ほにゃらら台』というもはやギャグとしか言いようのない地名をつけて分譲しました。
全国各地を回っていると、内心ここは住んだらあかん場所や!!ってところが至る所にあります。
手前みそだけど、少なくともわが終の棲家は東京という相対的に被災リスクの高い地域の中においては防災面では相応に優れた場所を選べたと自負しております。
本分と関係ない内容になり相すいません。
ただの感想コメントを書くのは気がひけますが😅
古墳の上に神社!
そういう由来の神社もあるのですね!!
確かに祖先崇拝は世の常。
(と書いたものの、西洋ではどうだったのだろう・・?)
その上から今度は藤原氏の神を勧請・・。
うーん、この辺から由来が摩訶不思議に・・。😅
どのみち庶民には関係ないご縁の神では、
いや土地の権力者の神は、その土地の平民をも護ると思われていたのか。
それとも庶民は関係なく、
ただ権力者が祀っていただけだったのか・・?
などと思いながら、読んでいくと、
今度は古墳と言われているが、出土がないと。
もう、不思議だらけですね、
ワクワクします。
そしてそんな不確かな由来であっても
おそらく日本の人々にはどうでも良く、
神社の姿をしていればそこには神が居るだろう、と
人々は手を合わせるのだろうな、と
(私が地元の人なら、そうすると思うので💦)
当地の信仰に思いを馳せました😊
狛犬、カッコいいですね。
鳥取のスナバ発言、笑えますよね。
ナイス県知事です。👏
確かこれで数億円の宣伝効果があったとされて、
しかしこのスナバ発言関連で県が使った費用は、
えーといくらだったかな、
笑っちゃうくらい少額だったのですよね。
(いま手元に資料がなくて、すみません💦)
そんな額をわざわざ会計帳簿に載せたのだろうなと
、なんだか笑える話ですね😄
>学校で一番好きな場所は「図書室」で、
わぁ、気が合いますね!
私も中高は学校になじめなくて、休み時間には
図書館に通い詰めていました。
毎日本も借りていたので、中学卒業時に返された
図書カードは、学年一、分厚かったと思います😊
辞書や辞典はその頃には読まなかったかな。
幼稚園の頃は、愛読書でした。
tibinekoさんの博覧強記ぶりは、
ティーンの頃に辞書辞典を愛読されたからでしょうか😊
あ、そしたら、本屋で寝泊まりしたい、って
思ったことがおありなのでは??
いただいた返信に、ティーンの頃のワクワクを
思い出しました。
辛いこともたくさんあったけど、
ティーンの頃って、いろんなことが光輝いてましたよね。
明日も元気にお過ごしください😊
「本来の地名はその地がいかなる場所であるかを示す標識である」
その言葉、全国のご当地マンホールを探して歩く中で、しみじみと感じさせられました。
一般的に、自分たちが住む土地は吉祥名、瑞祥名のついた土地で有る事を願うのが普通。
なのに何故、人が忌み嫌う縁起の悪い名前の土地があるのか?・・
私にはまっちさんのような深い知識はありませんが、何故?という疑問を持つ事が多々ありました。そして私なりに思い至りました。
ここに住んではならないと戒める為に、あえて忌み嫌われる名前を付けた事を。
それでもそこにしか住めなかった人のいた事を。その結果は・・・
自らの痛みと引き換えに導き出した先人の知恵を、ただの迷信と笑い、あっさりと「今風のおしゃれな地名」に変えて、過去の戒めを塗りつぶし、押し隠す。
その結果が、土砂崩れや土石流となって、先人に学ばない人の傲慢さを嘲笑うのではないか。
まっちさんの博識は、私にとって大好きだった辞書・辞典です。これからも色々と教えてください。
たまにご丁寧に「石棺」の類が奉納されていたり。
時には石棺の蓋に「碑文」を刻んでいる事も有ります。
きっと大昔の人は、
自分たちの世界には有り得ないような
不思議なものが出土しているのを見て、
これはきっと神様が住んでいた場所だろう・・
と、思ったかどうか(笑)
(私なら多分そう思う)
で、神様の鎮座される場所として社を建立。
そこからは、もう素直に神社として祭祀され、
祀られる神様は時代によって変わっていった
・・と、tibinekoの仮説、
お気に召したでしょうか?😊
図書室って、良いですよね。
あの独特の紙の匂い、
見渡す棚の一面に並ぶ重厚な背表紙、
そんな背表紙には
小難しい文字が並んでいてドキドキして。
で、学年が進んで「な~んだ」って(笑)
本屋で寝泊まりは考えた事、無かったわ
と言うか・・私の住んでいた地域は「ド」がつく田舎
一軒だけあった本屋さんは、
駄菓子屋さんの間口よりも小さかったの。
ゆっくり座って本も読めないくらい。
それから、やっぱり一軒だけあった
古本屋さん、大好きでした。
まだ立ち入ってはいけない世界が
大きな顔をして棚に並んでいてね。
ドキドキしながら😅
タイトル文字を見たのも懐かしい思い出。
さて・・今夜は久しぶりに
本棚の本を手に取ってみようかな
私の本は優秀だから
きっと半分も読まないうちに
枕に変身してくれる筈🌸
今宵も良い夢に包まれて、
おやすみなさい