車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

下津井:町歩きin倉敷市下津井

2021年10月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

旧児島郡下津井町(しもついちょう)は、かって児島半島の西南端に位置した町です。下津井、吹上、田之浦、大畠の各大字からなり、瀬戸内海沿岸の丘陵地にあり、古くから港町として繁栄してきました。東部に名峰・鷲羽山を擁し、1954年に西日本で最初の旧石器時代の石器を発見、さらに古墳時代(6世紀)の古墳が現存し、平安時代(927)創建の「式内社:田土浦坐神社」が鎮座されます。街中には江戸時代に廻船問屋や遊廓が軒を並べた頃の面影が残されており、岡山県によって町並み保存地区に指定されています。

タコ漁が盛んな下津井では、「下津井蛸」を使った料理や、天日干しで作る干しダコが人気。輸入もののタコとは全く別物、一度食べるとその何ともいえない柔らかい味わいの虜になること請け合いです。

水産庁が2006年に発表した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」において、全国の漁村に残る歴史的・文化的に価値の高い施設や史跡などの文化遺産を公募により募集。応募のあった350件から、地域固有の漁業文化や珍しい建築工法・形状などを基準として選定委員会により選定。岡山県では「むかし下津井回船問屋」と「大多府漁港元禄防波堤」が選定されました。

歴史文化財として認定された「むかし下津井回船問屋」。現在は観光の拠点として活用される他、廻船問屋であった当時の建物内部の様子なども公開され、時間を忘れて楽しめます。

天然の良港に恵まれ、古くから「風待ち・潮待ちの湊」として奈良時代・平安時代の文献にもその名が残る下津井。

江戸時代から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄え、金比羅参りの渡し場としても賑わった下津井。地名の由来は「吉備児島の下の津」。かつての中心であった郷内地区からもっとも下に位置する港の意味であると云われています。

漁業で栄えた町並みはどこか懐かしく、角を曲がるごとに遠い日の記憶を静かにゆすり起こして、又ふっと遠ざかります。初めて見た景色なのに、なぜかしら涙ぐみそうになるこの不思議な感じは・・何処から来るのか。

ああ、それはきっとこの町の全部に広がる、漁師町独特の海の匂いの所為かもしれない・・少し油っぽくて雑多な何かが混ざった潮の匂い・・路地の匂い。生まれてから慣れ親しんできた町の匂い、家族の匂い。そう、今はもうなくなってしまった我が家の匂いが思い出されるからなのです。

地域の足でもある「下電バス:とこはい号」のバス停。鷲が描かれているので「とこはい」も鷲羽山に関係のある言葉と思ったのですが・・・・実はこれ、「下津井節」の一節に登場する言葉なのです。かっては大きな遊郭もあった下津井。馴染みのお客とその相手をするお女郎さんが「とこはい=床を這う」・・まぁいわゆるその・・18禁な意味でした😅

刻一刻と夏の輝きを失っていく空の下、遠くに見えるあの瀬戸大橋の袂まで行ってみたかったな。今度来る時はね・・・そんな会話を繰り返して、「今度」の場所はどんどん増えていくのです。夕日に染まり金色に輝く海に見送られ、私たちは家路を急ぎます。

訪問日:2009年9月21日


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