卯之町で一番に見たいものと言えば、やはりこの「開明学校」。明治15年(1882)、町民の寄付により、地元の大工によって建築された擬洋風建築で、四国最古の小学校。
維新を経て迎えた明治と言う時代、人々が子弟に託した教育への思いは切ないほどに真摯なものでした。日本と言う国を背負って立つ為に・・・・大国の干渉の中、当時のアジア諸国のようなみじめな植民地にならない為に・・・何よりも人々が諸外国を相手に対等に渡り合える為に、学問を身につけることは必須だったのです。
各地を旅し、当時の姿のままに残された・・言葉は悪いですが身不相応とも思える旧学校校舎を見るたびに、胸が熱くなります。それは、校舎の建築に関わる人々の想いが、心に真っ直ぐに響いてくるからなのです。
白壁やアーチ型の窓も当時のままに現存し、長野県の「旧開智学校」とは姉妹校関係にある「旧開明学校」。建築史上、また教育史上においても非常に価値が高いものとして、1997年5月に国の重要文化財に指定されました。
黎明期の日本人が何よりも大切にしたのは、個々の権利ではなく「日本人」としての誇りでした。今、自国を愛する事を、まるで悪い事のように教え込む、負の勢力の存在を見聞きするたびに、先人への申し訳なさに歯噛みし、反日を是とする愚か者たちに対し、憎しみにも似た思いを感じずにはいられません。
ジジババ世代になると、最近とみに愚痴が混ざって涙もろくなっていけません😅。校舎の横にある「申義堂」は、明治2年(1869)に建てられた、開明学校の前身。『左氏珠山』の門下生や、町民の有志により建てられた私塾で、これを見ても卯之町の人々が、いかに教育を重んじたか、窺い知る事が出来ます。
卯之町のもう一つの学校関連の建物は、重伝建の町並みから車で10分ほど走った所。「米どころ・宇和」を伝える「宇和米博物館」として一般に公開されています。
元々は宇和町小学校の旧校舎だったものですが、遠目で見てもわかるように、相当に長いです。 どれぐらい長いかと言うと・・・何と廊下が109メートル!・・・・と言うことで、この長さを生かした雑巾がけレース「Z-1グランプリ」が毎年行われているそうです😄
雑巾がけ・・・なんとも懐かしい響き😄 板目に沿って真っ直ぐに走るのですが、男子たちにとっては遊びの延長だったようで、たまに先生に見つかってお小言を貰っていました😊
訪問日:2011年6月14日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます