旧城崎郡竹野町(たけのちょう)は兵庫県の北部、日本海に面した町です。豊岡市、城崎町、日高町、村岡町、香住町に隣接。集落は竹野川に沿って散在しており、昔から海の幸、山の幸に恵まれていました。江戸時代から明治時代にかけて北前船の寄港地として栄え、竹野浜一帯は「竹野の大浜」と呼ばれ、全国の廻船業者が軒を連ねていたと言います。「町の木:黒松」「町の花:椿」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、美含郡竹野村・中竹野村・奥竹野村、気多郡三椒村が発足。
1896年、郡制の施行のため、城崎郡・美含郡・気多郡の区域をもって、改めて城崎郡が発足。
1955年、城崎郡竹野村・三椒村・中竹野村・奥竹野村が合併、改めて竹野村が発足。
1957年、竹野村が町制を施行、城崎郡竹野町となる。
2005年、豊岡市、城崎郡城崎町・日高町・出石郡出石町・但東町と合併、豊岡市竹野町となりました。
マンホールには、江戸時代に活躍した「北前舟」が日本海を進む様が描かれています。
昭和32年4月1日制定の町章は「アルファベットの頭文字『T』を、鷹になぞらえて図案化したものです。」
眼下に竹野海岸を見ながら、急カーブが連続する道をひた走っていると、驚くような場所に、平家の豪勇たちが辿り着いたという伝承の地「田久日の集落」の案内を発見。そこに下りる県道筋の草むらには才の神奉斎の古跡。
昭和40年にこの海岸道路が開通するまでは、海岸沿いの険しい山道を徒歩で移動するか、または船で移動する以外交通手段が無く、陸の孤島と呼ばれた田久日集落。外部との折衝を断って暮らす平家の隠れ部落としては、絶好の立地だったのかもしれません。
撮影日:2010年11月4日
地質マニアとしても興味深いエリア。
ご縁のなかった城崎と異なり、竹野には灯台巡りの際に訪問、休暇村に宿泊しました。
ただ、当時はまだ地質に目覚める前でただただ灯台のみを追い続ける旅。
近くにダムでもあればすぐにでも飛んでゆきたいところですが、それがないんですよねー。
ここまで数字が大きいと、現実感が伴わなくて、例えて言えばSFの世界
いやそれよりももっとはるかに壮大かな?
地質学者の方のお話とか聞くと、もうただただ「ほぉ~~~~~~」。
分かったのかと聞き返されても、多分聞いた事の10分の一くらいしか理解出来てない自信はある(^^;)
・・・そうか・・
マンホールと違って、ダムは無い所も沢山あるのですね。