車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

おかげ横丁~其の一 in 三重県伊勢市

2021年04月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

「江戸時代、伊勢神宮には全国から多くの人々が参拝に訪れていましたが、第二次世界大戦後はモータリゼーションの発達やレジャーの多様化により、このおはらい町に立ち寄る参拝客は激減し、次第に町は衰退していきました。 しかしながら、昭和54年、この町の衰退を危惧する(株)赤福は、住民有志や市・県と共に、おはらい町の電線の地中化や石畳への再舗装など、伊勢の伝統的な町並みの回復に取り組みました。さらに(株)赤福は、平成5年におはらい町の中程の一角に「おかげ横丁」を開業し、内宮鳥居前町らしい賑わいを取り戻しました。」おかげ横丁HPより

伊勢特有の町並みである妻入の建物や、伊勢河崎の蔵などが忠実に再現され、今では、お伊勢参りとは切っても切れない観光地として重要な位置を占める「おかげ横丁」。私たちも2006年にバイクタンデムで一度、そして今回は車中泊での訪問です。

「赤福」によって作り上げられた町並みの建設費用は約140億円。これは1990年当時の赤福の年間売上高とほぼ同額ながら、行政から補助金を受ける等は一切せず、全て自己資金で賄ったと言います。

五十鈴川に架かる新橋のたもとは、いろんな意味で絶好の撮影ポイントなのですが、その主な理由となるのが右手前の建物!

切り妻入りの重厚な店の前は大勢の客で混みあっており、赤福独特の甘い餡の香りが店のまわりを包むように漂っています。これは・・・甘党ならずとも素通は難しいかも😅

「伊勢らしい切妻屋根は間口を広げるために高くし、正面に掲げた横書きの大きな看板には金色で赤福の二文字。妻入りの軒先にかかる海老茶色ののれんをくぐると、朱塗りの釜戸から、湯気が立ち昇っています。」公式HPからの抜粋ですが、そのまんまの情景が展開されています。

こちらは新橋から見下ろした「赤福」の屋根ですが、まるでジグソーパズルの題材になりそうな甍の波。幾何学的でとても美しい情景です。

甍といえば細工瓦、おかげ横丁で見つけたのは「三猿」。何だ「三猿」なんて珍しくないと思ったあなた!そう、そこのアナタ😠 なんと、ここでは見て・聞いて・おしゃべりもする猿さんなんですよ!!

細工瓦の定番は何と言っても恵比寿ダイコク。モミジの細工は屋号か販売品に関係しているものでしょうか?後ろで大黒様がにこやかに往来を見守っています。

恵比寿様はおいでになりませんが、波間から顔を出した大きな鯛が勢いよく跳ねています。

お客様のお越しを心よりお待ちしております・・と、深々と頭を下げるのは「福助さん」。ご自慢のおでこにお日様が当たって光ってますよ~😄

「不苦労」 「福籠」 「福老」 ・・・語呂が同じという事で縁起が良いとされる「ふくろう」。屋根の上では細工瓦のフクロウさんが往来を見守っています。

屋根の上に楼閣を持つのは、創業明治42年の「豚捨」さん。ユニークな屋号の店名は「牛肉に拘って豚を捨てた」という意味だとか。揚げたての牛肉コロッケが人気で、沢山の人が列を作っていました。

おかげ横丁の中心にある「太鼓櫓」。2006年の訪問では力強い「神恩太鼓」の演奏を見学させていただきました。

お腹に響く和太鼓の音を聞いていると、日頃の憂さも吹っ飛ぶような気がします😃 え?お前は年中能天気じゃないかって?・・失礼な!こう見えて色々有るんですよ😡

二年分の思い出が詰まった「おかげ横丁」、まだまだ続きますがそれは明日のブログで。

訪問日:2006年11月5日&2010年4月4日


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