車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

出石町歩き~ 其の一 in 兵庫県豊岡市出石

2023年09月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

但馬の小京都と謳われる兵庫県「出石」。車泊で各地の観光名所を尋ねるようになって一年。迎えた年のはじめの車泊計画で最初の候補地に決まったのが、出石を含めた丹波方面の旅。結局一度では飽き足らず3年後に再訪をしたくらいお気に入りの場所となった訳ですが・・まぁ、一つには家からそんなに遠くないという事も大きな理由だったと思います。ともあれ、車中からこの光景を見た時の感動は、今でも忘れ難いものが有ります。

憧れの「辰鼓楼」の前でひとしきり記念写真に興じた後は、何を置いても城下町の散策。「鶴萬一休庵」の屋根の上にコウノトリを見つけてドキッとしたり😲 でも作り物とわかって「そうだよね」と妙に納得したり(笑)

重要伝統的建造物群保存地区の町並みは、どこを見ても「ホォ~~~」とため息の出る素敵さ😀 まず最初は、昭和初期の旧出石郵便局を改装した老舗皿そば店「大門」

入り口の暖簾を見ながら目線を上に進ませると、そこには確かに見慣れた「〒」マーク。こうした形でもちゃんと残されている事にとりあえず感動。内装はどうなっているんだろう?こんな建物で食べる皿そばも良いかも。

目的地にたどり着く道々に見かける素敵な佇まいのお宅に思わず足を止める事も数知れず(笑) 最終目的地にたどり着けるのは何時になるのか😓

江戸時代後期の上級武士の居住区であった内町通りに面して門を構える、白亜の土塀と長屋門の「家老屋敷」

仙石騒動の中心人物の一人『仙石左京』の屋敷跡にある事から「左京屋敷」とも呼ばれており、内部には、仙石騒動の資料をはじめ、無形文化財の大名行列諸道具など出石藩に関する資料が公開されています。

家老屋敷に隣接する建物は「豊岡市立美術館:伊藤清永記念館」。実際に家老屋敷が建っていたのはこの位置だったとか。

旧出石川のすぐ側にはかつて船着き場の灯篭であった「おりゅう灯篭」がありますが・・残念な事にブルーシートに覆われていました😥  ちなみに私「おりゅう」と「おりょう」を間違えていました。「おりょう」は無論、幕末の英雄『坂本竜馬』の恋人の『おりょう』。実物が見られなかった事と、近くに『桂小五郎』の史跡があった事から、深く考えず、説明も読んでいなかったのです。

そんなわけで、何が何でも見たかったと言う訳ではありませんが、折角再訪の機会を得たのですから、ここはやはり押さえておかなければ(笑) という事で「おりゅう灯篭」アゲイン😊  

「その昔、身分違いの恋に仲を引き裂かれた男女、男は戦で死に、女はそれを儚んで川に身投げ・・以来、大雨のたびに「おりゅう」の悲しみで川は氾濫し、人々はおりゅうの悲しみを鎮める為、船着き場に、祠と灯篭を建てた。灯籠に寄り添う柳は二人の姿なのです。」 綺麗に修復された「おりゅう灯籠」を見る事が出来てミッションクリア(何のミッション??)。

「出石・幕末」のキーワードで必ずヒットするのが「桂小五郎潜伏地」。元治元年(1864)に起きた禁門の変で朝敵として追われる身となった桂小五郎(木戸孝允)は、出石の町人・広戸甚助という人物の助けを得てここ出石に逃れます。出石の町歩きの折々に見かける碑が物語る歴史・・興味は尽きません。「すし梅」様の玄関わきに建てられた碑には、「維新史蹟 桂小五郎 后(後の) 木戸孝允潜伏セシ畳屋戈七屋敷跡」と刻まれています。

他にも同じような碑を見つけました。「維新史蹟 桂小五郎 后 木戸孝允 潜伏セシ角屋喜作屋敷跡」。右の碑は「料亭 桐吉」様の角。「維新史跡 木戸孝允公潜伏セラレシ遺跡 志水重兵衛屋敷跡」と刻まれています。

そして最後の潜伏地の碑が「そば屋:本家よしむら」様の横に建立された「桂小五郎居住跡」の駒札と、「維新史跡 桂小五郎再生之地」碑。

「桂小五郎居住跡桂小五郎居住跡(荒物屋跡) 元治元年(1864)七月禁門の変に敗れた長州藩は朝敵となり桂小五郎も追われる身となりましたが、出石の町人甚助・直蔵兄弟の義侠により京都を脱出し町内各所にかくまわれていました。当家は荒物屋を営んでいた跡です。愛人の幾松も訪れています。潜居九ヶ月、九死に一生を得た小五郎はやがて回天の大業を為し遂げ木戸孝允と名を改め、維新の三傑と仰がれましたが、この出石こそ桂小五郎の再生の地となったのです。」現地駒札全文

出石町宵田の一画に建つ豪邸は、明治時代の豪商「旧福富家住宅」を1977年にリニューアルした「出石資料館」。館内には仙石騒動や藩政の記録をはじめとする出石藩関係の史料、古地図、武具、茶臼山古墳からの出土品等が展示され、江戸時代を中心に古代から近代までの出石の歴史が紹介されています。

出石城下町の80%以上を焼失した明治9年の出石大火の直後に、生糸を商う豪商:福富家の本邸として建てられた近代和風建築。建設にあたっては遠く京都から職人を招いて工事に当たらせ、当時流行の数奇屋風に仕上げられています。

土台の石だけで家一軒の価格に匹敵するなど、まさに贅の限りが尽くされた豪邸。1987年に兵庫県住宅百選に選定。旧出石町指定文化財(現:豊岡市指定文化財)に指定されています。

史料館近くの小公園で見つけた、出石お城祭り「槍振り」の碑。大名行列の中で演じられる槍振りは、どこで・いつ見ても・心躍る光景。真剣に「見たい!!」😍

🌸まだまだ続く出石の町歩き、長くなるので続きは明日(^^;)

訪問日:2011年3月31日&2014年11月21日

 


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4 コメント

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Unknown (まかろん)
2023-09-01 12:44:17
お久しぶりです。
ブログ、白くなりました?

とても明るくさっぱりとして見えて、
気持ちが良いです。

日本は歴史ある場所には事欠かないですね。

奇しくも記事は桂小五郎の再生の地・・。

なにかの応援のご縁をいただいたような気がします🙏

どうぞお元気にお過ごしください。
真っ先のご鑑賞、有難うございました🙏😄
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Unknown (tibineko)
2023-09-01 18:39:43
ブログの設定は何にも変わってないです。
もしかしたら明るい写真が多かったのかな?

それともgooが色々と規約変更をしている加減で、微妙に何かあったのかな?
昨日からのgooの仕様変更で、この先どうしようかと悩んでいる所です。
無料会員だから仕方ないのかな・・

もしかしたら・・潮時かな・・😔"
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おりゅう燈篭 (まっち)
2023-09-01 19:09:22
このおりゅうさん、漢字にすれば当然「お竜さん」でしょう。
そして身を投げた彼女の悲しみで川は氾濫。
こちらへのコメントで何度も触れているように竜や大蛇伝説はその大半が洪水や土石流が起源。
身を投げた女性の名前がお竜さんという段でその逸話は後付け感がプンプン。
もとはありきたりな竜伝説をちょっと筆の立つ誰かが脚色したようなしてないような…
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後付け (tibineko)
2023-09-01 19:58:53
私なんぞ、「大雨のたびに「おりゅう」の悲しみで川は氾濫」って
なんて迷惑な悲劇のヒロインなんだ😠と思っておりました(笑)

それにしても「筆の立つ誰か」って・・
もしかして、それって「言ってはいけないお約束」だったりして😅
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