大阪府高石市高師浜に鎮座される「高石(たかいし)神社」。御祭神は『少名彦名命・天照大神・熊野坐神(くまのにますかみ)』
創建・由緒は詳らかでありませんが、公式HPには「当神社は古くは天神の社として知られ、白雉元年(西暦650年)より大阪府高石市に鎮座しています。 平安時代に編まれた「延喜式」の神名帳に高石神社として記されており、1360年余りの歴史をもっています。」 と記載されています。
二の鳥居の内より神域を守護されるのは浪花系の狛犬さん一対。まん丸いお団子のような鼻と、むっちりと逞しい四肢が中々に頼もしい。吽形さんは頭に角をお持ちです。
平入・入母屋造りに唐破風の向拝を持つ拝殿。両脇の鈴には紅白と青白の紐が結ばれていますが、この異なる色には何か理由があるのでしょうか?
拝殿前より神域を守護されるのは、天保4年(1833)癸巳8月吉日建立の大きな鼻と、びり口が特徴の浪花系の狛犬さん一対。基本的にこのタイプの狛犬さんは何故か私の好み。理由は単に「びり口」が可愛いからですが、それが何か?(笑)
境内には高さ約2メートルの自然石でできた「祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい)」の歌碑があります。聞きなれない「祐子内親王家紀伊」・・調べた所、平安時代院政期の日本の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女である「祐子内親王」の女房と判明。「紀伊(きい)」は夫である藤原重経が紀伊守だった事に由来しています。この当時の女性には固有名詞(名前)が無く、地位・身分、または住んでいる場所が名前代わりとして用いられていました。女房三十六歌仙の一人とされており、ここに詠まれた歌は百人一首でもおなじみです。
【 音に聞く 高師の浜の仇浪(あだなみ)は かけじや袖の ぬれもこそすれ 】
(浮気者だと噂に高いあなたの言葉なぞ、心にかけずにおきましょう。後で涙にくれて袖を濡らすような事になりたくはありませんから)
解読できなかった文学碑・・
「大阪憲友会記念碑」
「忠魂碑」
日の本の国の礎となられた「御英霊」に深く感謝を込めて。
参拝日:2017年4月24日
【 音に聞く 高師の浜の仇浪(あだなみ)は かけじや袖の ぬれもこそすれ 】
「祐子内親王」の女房殿の歌は、気持ちの良い啖呵( 短歌 ) ですね。思わず拍手したくなります。
まさしく(*^^*)
平安時代の言葉のやり取り
形式にのっとっての言葉の応酬・・
とっても面白くて、読みだすと癖になります。
1360年の歴史…。
日本の神社はさらっとそういうこと言いますよね。
なんとなく我々もそういうものかと
とことこ前を通り過ぎたりして日々を送っていますが、
考えてみると、よく残ったな、と感心してしまいます😊
残っている(それも現役で)ということは、
ほぼ絶えることなく、地域の人々の気持ちを集めつづけたのでしょうから、すごいことだと思います。🙏
それと、鎮座されてる方(もしほんとにおいでなら😅)
は1360年の時の流れをどう見ておいでなのだろうと
不思議な気持ちがします🙏
>この当時の女性には固有名詞(名前)が無く、
というのはもちろん歴史の授業で知っておりましたが、
あらためて聞くと、奇異な感じがします。
おそらく私的な場では名前はあったのでしょうが…
ここまであからさまではないですが、
令和の今でも、似たような状況であるように思います。
いつの時代もどの国でも差別があり、暴力があり、
そのなかで人々があがいているのが苦しいように感じます。
善良なtibinekoさんにお読ませするコメントではなかったかもしれませんが、
神社を永く大切にするこの国と人々の心根が大好きです。
新年明けの冬の日を、なごやかにお過ごしください😊🌸(まかろん)
長く久しいこと
国生みによって生まれたとされる日本
神々が大切に守ってきたものを
人々もまた大切に守ってきました。
神様は決して誰かに強要されて崇めるものではなく
自然派生的にそこに在る「何か」だと思います。
だから私は
人間以上に人間臭い神々の存在が愛しく、大好きです(*^^*)
睦月の暖かな日差し
まかろんさんに届きますように