車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

総社宮(そうじゃぐう) in 岡山県総社市総社

2021年10月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

総社市総社に鎮座される「總社宮(そうじゃぐう)」。御祭神は『大名持命 (おおなもちのみこと)・須世理姫命(すせりひめのみこと)』。

相殿神に『高御産霊神(たかみむすびのかみ)・神産霊神(かみむすびのかみ)・魂留産霊神(たまとめむすびのかみ)・生産霊神(いくむすびのかみ)・足産霊神(たるむすびのかみ)・大宮売神(おおみやのめのかみ)・事代主神(ことしろぬしのかみ)・御膳神(みけつかみ)』『備中国内:延喜式神名帳記載の神社三〇四社の神 、官社十八社、国司の神名帳記載の田社:二百八六社。』備中国は現在の岡山県西部を指します。

歴史「当地には総社ができる以前、仁徳天皇の皇妃・八田皇女の名代として八田部(八部)が設けられたという。のち御友別(応神天皇妃の兄)の子孫が当地に移住し国造となり、野俣神社(現 境内社の沼田神社)を建て周辺一帯の総社とした。大化後、当地に備中国総社が創建。室町時代には戦火に遭って社殿が焼失、1429年に再建。天正年間(1573年-1592)に再び焼失、貞享4年(1687)に再建され、彩色二十四孝の絵馬が奉納された。」Wikipediaより

南参道鳥居の左右より神域を守護されるのは、文化2年(1805)乙丑冬12月建立の狛犬さん。備前・備中地方の神社ではお馴染みの、扁平頭と波口が何とも可愛い一対。

日本の律令制において、国司着任後の最初の仕事として、赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することが義務付けられていました。しかしその為に要する時間・人員はかなりの負担であった事から、平安時代になってこれを効率化するため、国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化されたのが「惣社(そうじゃ、すべやしろ)」の始まりとされています。

やがて国司が力を失うとともに多くの国々で総社は廃れていきますが、備中国の総社は、全国的にも珍しく現代までその姿が維持され、祭られている祭神の数や社殿規模は全総社中、最大とされています。・・三百二十四社への参拝が一社ですむ・・これ以上の効率化は無いですね😊

東参道回廊の前より神域を守護されるのは、ちょっとふくよか系で扁平頭の狛犬さん一対。体系の所為か顔立ちの所為なのか、ずいぶん幼く見えます。

南参道から拝殿へと続く回廊。ここは人気の撮影スポットなんだと、居合わせた人が教えてくれましたが、確かに美しい。多分そこに居るのが誰であっても絵になる光景だろうと思います。

回廊の中ほどに作られた随神門

拝殿正面、回廊の梁に奉納された「天ノ岩戸開キ神々」の神楽面。ちなみに神楽での「天ノ岩戸」は私の大好きな演目の一つ。神楽団によって微妙に違いはあるものの、桶の上で軽妙に拍子をとりながら踊る『天宇受売命』に魅了されています。

後楽園の築造に際して参考とされた三島式庭園:沼田池。古代の様式を今に伝えた佇まいは、木立の影を落としこむ水の色とあいまって、神秘的でさえあります。

石橋の先に祀られるのは「境内社:厳島神社」

沼田池南に鎮座されるのは式内社・野俣神社の論社とされる「境内社:沼田天満宮」。その右手に鎮座されるのは「笑主(えがす)神社」。「えびす」ではなく「えがす」とカナがふられていました。

後になって見返してみれば、参拝できなかった境内社のなんと沢山残された事・・大好きな狛犬さんでさえ撮りこぼしています。前もって下調べをしていないと往々にしてある事なんですが、それにしてもねぇ😅

1994年10月24日、総社宮境内は「史跡:総社跡」として、総社市指定文化財に指定されました。

参拝日:2009年9月20日


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