「柿本神社」が鎮座されるのは、丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂。境内を含めた一帯は御祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉歌碑公園として整備されています。
拝殿の正面は津和野に向いていると・・境内で出会った御婦人が教えてくださいました。境内前の小高い位置から見る益田市、見える景色がどの辺りなのか、私にはわかりません。
拝殿横の坂道の先に建てられた「宝物殿」。内には霊元上皇を始め、桜町天皇・桃園天皇・後桜町天皇・光格天皇・仁孝天皇が、「人麿影供」を催して歌道の上達を祈念した折の短冊和歌が収蔵されています。
「影供」は神仏や故人などの肖像に供え物をして祭ること、 特に『柿本人麻呂』の肖像を祭って行う歌会を「人麿影供」と言います。
人麿公の歌碑の横には『梅原猛氏』が、著書「水底の歌 柿本人麿論」で、自説を裏付ける為の調査をした事が古地図と共に紹介されています。
傍らには調査の折に鴨島跡から引き上げられたという岩(石段)が置かれていますが、実際のところ、人麿公終焉の地「鴨島」については諸説があり、いまだにその論争に終止符が打たれていません。
楼門を出て右手に朱塗りの千本鳥居
赤く染まる神域の中に鎮座される「境内社:稲荷社」。拝殿額には『稲荷大神』『北辰(ほくしん)大神』の御神名。
稲荷社拝殿の左右より神域を守護されるのは、弘化三年(1846)建立の神狐さん一対。やっぱりこの頃の稲荷の神狐さんは優しく良いお顔をしています。切れ長の狐目がチャーミングだったので、今回はお顔のアップで。巻物を咥えた神狐さん。
宝珠を咥えた神狐さん。稲穂や鍵はよく見ますが、宝珠を咥えた神狐さんは殆どお目にかかった事がありません。
更に石段を下って左手に鎮座される「八幡神社」
拝殿左右より神域を守護されるのは「弘化三年(1846)八月吉祥日」建立の狛犬さん一対。
長い年月が流れて、頭上の角も少しずつ小さくなってしまいました。阿形さんが実は立派な男子であった証も・・・って、何を言ってるんですか😣😅
参道途中に建立されていた文学碑
【石見路に 歌の神あり 月の秋】 山崎蓼村(りょうそん)
【椎の実を 拾いし子ら 足早に 石段くだる 日の暮るるころ】浅井喜多治
【石見のや 高角山の木の際より わが振る袖を 妹見つらむか】(石見の高角山の木々のあたりから 私が振っている袖を妻は見ているだろうか)
赴任先の石見の国から大和へ戻る際に、石見に残す『依羅娘子(よさみのおとめ)』を思って詠んだ一首とされており、江津~益田市内の多くの場所で幾度となく目にしました。
参拝日:2012年11月10日&2019年4月19日
明日からは島根県のお隣、「山口県」のマンホール・神社仏閣・名所に旧跡&迷所の紹介。今年もよろしくお付き合いお願いいたします 🙏🙏
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