喜多郡内子町(うちこちょう)は愛媛県のほぼ中央、南予地方に位置する町です。伊予郡砥部町、上浮穴郡久万高原町、西予市、伊予市、大洲市に隣接。肱川の支流小田川、中山川、麓川の合流地点にあるわずかな盆地に市街地が開け、町の総面積の72%を山林が占めています。 江戸時代から明治にかけて、木蝋の生産で栄えた八日市・護国地区の歴史的町並みが、昭和57年4月、国の「伝統的建造物群保存地区」として選定を受けて以来、内子町独自の歴史的景観、文化を次代に残し得る町づくりを進める為、町並み保存運動に続く村並み保存運動を展開、新しい町のあり方「エコロジータウンうちこ」を目指しています。町の中心部から少し足をのばすと、棚田や屋根付き橋、水車小屋など美しい里山の風景が広がり、寺社信仰や祭礼など、特色ある地域文化が点在、その営みが現代まで継承されています。「町の木:カシの木」「町の花:サツキ」を制定。
キャッチフレーズは「町並みから村並みへ、エコロジータウンうちこ」
2005年1月1日制定の町章は「「エコロジータウン内子」をイメージし、左側の水色部分は小田川を、右側の黄色部分は太陽、緑色部分は植物を表しています。また、全体で内子町のUchikoの「U」の文字を表しています。」公式HPより
明治22年(1889)、町村制の施行により、喜多郡内子町・大瀬村・五城村・立川村・満穂村が発足。
1955年、大瀬村、五城村、立川村、満穂村と合併、改めて喜多郡内子町が発足。
2005年、喜多郡五十崎町、上浮穴郡小田町と合併、新たに喜多郡内子町が発足しました。
マンホールは旧内子町時代のもので、町章を中心に「町の花:ツツジ」、「エコロジータウンうちこ」の文字がデザインされています。
昭和30年7月29日制定の旧町章は、「内子町の「内」を図案化したもので、合併した5ヵ町村の頭文字、内(内子)五(五城)大(大瀬)立(立川)ミとホ(満穂)を内側に包み込んでいます。」合併協議会資料より
撮影日:2011年6月13日
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白壁と木蝋のまちづくりに一定の成果を得た内子、現在は農村景観保全や農産物の直売、農村民泊、交流人口の受け入れや、第一次産業の活性化などの取組みで、全国的にも知られてきました。
国道379号沿いに立地する「道の駅:内子フレッシュパークからり」は、某tv番組「カン○リア○殿」で、成功した道の駅として取り上げられた事があります。番組の中に登場した内子の農家の女性たち。彼女たちが語る言葉の端々に、肝っ玉の太さと底力を余すところ無く見せてもらった楽しい内容でした。2011年と2013年の二度、ここに立ち寄りましたが、店頭に並ぶ一つ一つに農家のおばちゃんの工夫とアイデアが溢れていて、最高に素敵な道の駅でした。
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(※)旧喜多郡五十崎町(いかざきちょう)は愛媛県の南部、南予地方の内陸部に位置した町です。大洲市・喜多郡内子町・肱川町・河辺村に隣接。町の西にはパラグライダー基地のある神南山が、南に大登山が横たわっており、地理的・自然条件的にも西日本最高のコースの一つとして知られ、テイクオフポイント及びパラグライダー練習場も整備されています。「町の木:クスノキ」「町の花:サザンカ」を制定。
旧キャッチフレーズは「清流小田川と大凧合戦の里」。
1889年、町村制の施行により、喜多郡五十崎村、天神村、御祓村が発足。
1920年、五十崎村が町制を施行、喜多郡五十崎町が発足。
2005年、喜多郡内子町、上浮穴郡小田町と合併、内子町五十崎となりました。
昭和44年6月20日制定の町章は「五十崎町の「い」を図案化し、三本の横線を表したものです。」
(※)旧喜多郡五十崎町は未訪問の為、マンホールの有無は確認できていません。
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