突然飛び込んできた台風15号による被害の全容。千葉県内その他・・あまりにも甚大な被害に、言葉を失いました。人智を超えた自然の猛威に対して、人の力は何と弱いことかと胸をふさがれます。昨年の関西直撃の台風に打ちのめされ、まだ修復も終えられない私たちには、その痛みが苦しいほどわかります。 どうか一日も早く「普通」が戻ってきますように、これ以上、被害が広がりませんように・・
復旧に尽力される、自衛隊・警察・消防その他の方々、本当に有難うございます。
------------------------00----------------------
横芝光町宮川に鎮座される「熊野神社」。御祭神は『伊弉册命・速玉命・事解男命』。
由緒に【貞観18年(876)に紀伊熊野本宮大社より勧請したものと伝えられ、旧号を「宮川入之領境の宮」と称した。その後、天慶3年(940)には『平貞盛』の承平天慶の乱を鎮定せる功により、社殿建築神領十八貫目を寄進され、この時「熊野新宮大権現」と改めた。以来、武門の崇敬も篤く、熊野山領の匝瑳南条荘に鎮座し、近郷十八ヶ村の惣鎮守として江戸時代に及ぶ。明治4年(1871)に「熊野神社」と改号される】
拝殿は弘化年間の改築、その姿は神社の拝殿と言うよりも大寺の本堂のようにも見えます。のっぴきならない事情で😅 拝殿の写真は鳥居の向こうにかすかに見えるこの一枚だけ。
正徳年間の改築とされる本殿は、2019年4月に二年がかりの改修工事が完了したばかり。真新しく美しい木肌は、神社関係者・氏子全ての方々の崇敬の表れとも言えるものです。
拝殿前から神域を守護されるのは、文化13年(1816)丙子建立の、何ともユニークな狛犬さん一対。 阿吽共に宝珠を載せているのですが、まるで何かの罰ゲームのように足を踏ん張っています😄
参道の碑は、江戸時代の米沢藩主『上杉鷹山』が家臣に教訓として詠み与えた歌を記したもの。そう言えば、今は亡き母の口癖でした。
本殿右裏に鎮座される「境内社:甲子(きのえね)神社」。御祭神は『大黒様』。 傍らには、「大黒様をまつり商工業繁栄の守護神として信仰されている」と記されています。
拝殿左裏、朱の鳥居の奥に鎮座されるのは「境内社:子安神社」。御祭神は『子安神』。 説明には、「子安神をまつり安産や生産の育成を祈願する神として信仰されている」とあります。
子安神社の脇に置かれた二つの石は、『子安神』の御神徳から想像して「陰陽石」と思われますが・・・・確証はありません。
手水舎横の祠に関しては、特に何らかの記載もなく社名も、また社名が分からない為、ご祭神も不明。
境外に鎮座されているお社に関しても、社名もご祭神もやはり不明のまま。
拝殿付近には、「第六十二回神宮式年遷宮お白石持行事奉献記念」碑や「梛」の御神木。 ですが今回の参拝では、他に気を取られる出来事に遭遇し、いずれも画像に残していません。何といっても拝殿さえ写し忘れたほどの出来事に遭遇・・ 明日はそのとんでもなく素晴らしい出来事の紹介です😊
参拝日:2019年3月11日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます