それは幾つもの「たまたま」が重なった結果、まさかこんな幸運に出会えるなんて・・・・😍😍
この日の「熊野神社」参拝は、旅の行程のお天気具合とか、予想以上に距離が進んで一日早いけれど参拝しておこうとなった結果。 だから遠くで聞こえていたお囃子が、神社に近づくにつれ次第に大きくなった時の驚きと言ったら😲😲 駐車場に車を停めた後は、一刻を惜しんで楽の聞こえる境内へと、まさに駆け足。
神楽殿の舞台では、古式ゆかしい面の二人が、なにやら可笑しげな所作で笑いを誘っています。 神楽殿の前にある案内には【当社に伝わる神楽は、十三座(十三面)十二舞六曲の謡があり、農作業の安全と五穀豊穣を祈願して春季大祭に(三月十五日)に奉納されています。】
「一、天狗」 「二、細女命」 「三、三宝荒神」 「四、榊葉」 「五、春日社人」 「六、お多」 「七、保食神」 「八、田うなひ」 「九、種子蒔」 「十、八幡大武神」 「十一、恵比寿」 「十二、七五三切」
以上の舞で構成されています。 平成三年三月 光町教育委員会
舞台の袖には「田うなひ」の文字。と言うことは、もう八番目の演目・・ああ、もっと早く来ていれば!! いやいや、それは贅沢! 間に合うように導いてくれた、熊野の御祭神に感謝しなければ🙏🙏
「田うなひ」は漢字で書くと「田耡ひ」、田畑を耕し畝を作るといった意味合いの言葉です。 農耕の民にとって田畑を作る行為は非常に大切で、また、神への供物を得る為にも重要なもの。
田畑を耕し畝を作ったら、次は新しい実りの為の「種子蒔」、大切に、大切に種子を撒きます。
やがて種は芽を出し、田畑には実りが溢れ、人々は五穀の豊穣を寿ぎ、神に感謝を捧げます。
しかし、実り豊かな国を守るためには、時には戦いも必要となります。「八幡大武神」は武運の神。 そこには、綺麗ごとではない生きた人々の暮らしが有り、それを守るための力も必要なのです。
四方を海に囲まれた国では、海に生きる者たちもまた神の存在を抜きにすることは出来ません。 古来漁業の神として敬われ、島根の美保の海底には今なお「恵比寿神」が座すと云います。
おやおや、大きな鯛が!!一人では無理かも知れぬ!そうだ、先ほどの田うないの二人を呼ぼう! おお、来たか!!それでは早速、頑張って竿を引くのを手伝ってもらうとしようかの😄
それそれ、【一つとせ~ 一番ず~つに 積み立てて~ 川口押し~込む 大矢声~ 浜ァ~大漁だね~~】
【十とせ~ 十を重ねて 百となり~ 千を飛びこ~す 万漁年~ 浜ァ~ 大漁だね~~ ~この大漁船~~】
神楽殿の前で身振り楽しく拍子を取る人、お囃子の調子に合わせて一緒に唄う人、笑い声と笑顔。笛の音は高く清らかに境内の四方に響き、本殿に鎮まる神のもとに吸い込まれてゆきます。
御神前に奏舞する神楽も、この「七五三(しめなわ)切り」で結界が切られたら終わり。 『須佐之男命』の面を付けた舞人は、静かに、時に激しく舞いながらその瞬間を迎えます。
『須佐之男命』が持っている剣は「真剣」なんだよと、関係者のどなたかが教えてくれました。 真剣を使っての「七五三切り」は出雲大社遷宮の奉納神楽で一度見ましたが、あれとはまったく違う緊張感。
周りから音が消えてゆく感覚、ぴんと張り詰めた気配の中で聞こえるのは、あれは梛の葉擦れ・・ 神と人が一つになる瞬間があるとすれば、それは結界の中にいる舞人のこの瞬間かもしれない・・
そしてまた、大好きな狛犬もそっちのけで舞人に向かってシャッターを切るご亭主殿も・・ 振り下ろされる刃の下、結界が切られた瞬間、思わず体中の血が熱くなった気がしたと・・後で話してくれました。
このしおりは宮司様から頂いたもので、「宮川熊野神社の太々神楽」等の資料が掲載されています。 そこには、単なる神社の紹介以上の事が掲載されており、今回、参拝できた幸運を改めて感謝しました。
【当熊野神社は昭和61年に神社庁より規範神社の指定(海匝郡初)を受けている神社です。
規範神社:総代、氏子、地域住民が協恭一心敬神の誠を捧げて神威の発揚に努め社殿が清明で且つ端正であり鎮守の杜の護持育成に努め祭祀を厳修し神社の真資顕現に努めていくことが条件であり、他の神社の規範となる神社が対象。三年ごとに指定。】(境内案内より)
ああ、こんなに心の底から参拝して良かったと思える神社だもの、当然過ぎるくらいだよね。 人が誰も・・・・すれ違い言葉を交わす人が誰も、無条件に温かく心地よい神社なんてそんなに多くはない。 その中に身をおき、参拝できた私たちは何と幸運なのだろう・・神のご神徳に心からの感謝を・・🙏🙏
参拝日:2019年3月11日
宮川熊野神社宮司様 神社総代様 社友会理事:役員氏子の皆様方、得がたい経験をさせていただきましたこと、本当に、有難うございました🙏🙏
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます