旧南河内郡美原町(みはらちょう)は堺市の東、南河内郡西北部に位置した街です。東は分水嶺を境に羽曳野市・富田林市、南は大阪狭山市、堺市、西は堺市、北は松原市に隣接。狭山池と北方を流れる大和川のほぼ中間に位置し、町域は羽曳野丘陵西麓を北流する東除川と、狭山池から北流する西除川によって、東部丘陵地・中部平野部・西部平野部に三分割。総面積の五〇パーセントが標高五〇メートル以上の高燥地であり、西除川左岸を除く平野部でも両除川からの取水が困難で、灌漑用水の多くを狭山池と町内の大小無数の溜池に頼っており、縦横に錯綜する灌漑水路と溜池が、この地区特有の田園風景を形成。地名の由来は、平尾村、黒山村、丹南村の「三つ」の村に美しい平坦な野(原)が広がっていた事から「三原」を『美原』としました。「町の木:クスノキ」「町の花:ツツジ」を制定。
明治22年(1889)、 町村制の施行により、丹南郡平尾村・黒山村・丹南村が発足。
明治29年(1896)、郡制の施行により、南河内郡が成立。
1956年、平尾村、黒山村、丹南村が合併、南河内郡美原町が発足。
1957年、南大阪町多治井を編入。大字丹南を松原市に編入。
1958年、南八下村大字大饗・菩提・石原・小寺の各一部を編入。
2005年、堺市に編入され、美原区となりました。(平成の大合併において、大阪府で唯一の市町村合併)
マンホールには町章を中心に「町の木:クスノキ」と「町の花:ツツジ」が交互にデザインされています。
鴻池水未来センター展示マンホール
昭和35年(1960)3月10日制定の町章は「美原町の「み」を図案化したもので、上部の両翼は、町の飛躍と発展を表し、中央の円は住民の円満平和を象徴している」合併協議会資料より
量水器
左上に「水道」。中央に「サツキ」がデザインされています。花や文字が嵌めこまれた部分が自治体章だと思われますが、自治体不明の越境蓋。
撮影日:2009年6月13日&2017年4月26日
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今日は関西医大にて「核シンチ検査」。レントゲンは平気なのに、体内に「核」を入れると聞くだけでビビってしまうのは、多分、私が古い世代だからかもしれない。それにしても医学の進歩って本当に凄い。さて吉と出るか凶と出るか・・・とりあえず鎮守の神様頼りです。
鎮守の神様がtibinekoさんを護ってくれますように。
それと安倍さんの英霊も。
今日の締切の作品、無理っぽいですー。
休みもお風呂も削って書き続けてきたけど・・
まだ最後まで頑張りますけど。
tibinekoさんに鎮守の神様と安倍さんと日本の神様仏様の守護がありますように🙏
こんな時、私にできる事が何もないのが辛いです。
掛けられる言葉が有るとすれば
無理をしないで
出来るなら、心も体も休めて
そんな言葉なんて何の役にも立たないと分かっていても
それしか言えません。
だから私も鎮守の神様にお願いします。
まかろんさんの健康が損なわれませんように
創作活動が進みますように🙏