猪苗代町長田東中丸、町営:緑の村の一画に瀟洒な姿を見せる「旧:翁島駅(おきなしまえき)」。駅開設当時、所在地が翁島村(おきなじまむら)であったことが駅名の由来です。
明治32年(1899)7月15日、岩越鉄道により開業し、明治41年(1908)に翁島駅舎が建設。大正4年(1915)9月、アメリカより野口英世が一時帰郷した折には、翁島駅で地元住民の歓迎を受けています。現在の建物は、大正11年(1922)5月に3代目として建築。同13年に東宮殿下・妃殿下(昭和天皇・皇后)がご成婚後初めてのご旅行で御休息・御乗降される事を受けて改築され、駅舎内に貴賓室が設けられました。
昭和58年(1983)国鉄合理化による駅舎改築にともない、地元の保存会が駅舎を譲り受け、昭和62年(1987)に「町営:緑の村」に移築・復元。「駅舎亭」というそば店として利用されており、貴賓室も食事のスペースとして利用されているようですが・・・扉は固く閉ざされたまま・・いや、朝一の目的地にここを選んだ時点で、こんな事は想定内・・・・😭😭
駅舎の後方高台には、かつて沼尻鉱山の硫黄を運ぶことを目的に、大正2年から運行開始された「沼尻軽便鉄道」が静態保存されています。
鉱山の好景気とともに湯治客、スキー客や沿線の人々の足として沼尻駅と川桁駅の間16km、昭和44年(1969)までの57年間人々の足として、多くの人々に「マッチ箱」「豆汽車」との名称で、親しまれた「沼尻軽便鉄道」。
♪汽車の窓からハンカチ降れば~の歌い出しで始まる『丘灯至夫(おか としお)』作詞の歌謡曲、「高原列車は行く」のモデルとなった鉄道として有名だったそうです。
池尻軽便鉄道から見る駅舎・・流石に午前7時過ぎと言う時間帯の所為か、私たち以外に人の気配もなく、いっそ清々しいくらい静かです。
訪問日:2015年月6日27日