房総半島・最南端の野島崎に鎮座される「厳島(いつくしま)神社」、通称「野島辨財天」として親しまれています。
参道の突き当たり、二の鳥居の向こうに拝殿、拝殿の屋根の向こうには、白亜の野島埼灯台が重なります。
創建は不詳ですが、安永四年(1776)に安芸の厳島神社から御分霊を奉斎したと伝えられます。
ご祭神である『市杵嶋姫命』は海上神であり、『弁財天』の本地垂迹(ほんじすいじゃく)として同一視されています。
境内には、安房の名工『武田石翁』が19歳の時の「七福神」が静かに佇んでいらっしゃいます。 大きな鯛を小脇に抱え、満面の笑みを浮かべているのは「恵比寿様」、見ている方もつられて笑顔になります。
この無邪気な顔の福の神は「布袋様」。やっぱり大きなお腹で、大きな袋を持っておいでです。 金太郎飴のように同じ顔、同じ姿の「七福神」を見慣れた目には、どのお顔もお姿も最高。
身の丈三尺(約90センチ)といわれる『寿老人』、延命長寿、福禄の神とされるお方です。
打ち出の小槌を高く掲げているのは『大黒様』、二つの俵の間にある丸い小さなものは何でしょう?・・・・もしかしてネ・・ネズミさ・・ん😣
「福(幸福)・禄(身分)・寿(寿命)」の全てを兼ね備えた『福禄寿』、人徳の神ともされます。
七難を避け、七福を与える北方守護の神仏『毘沙門天』、古くから武人たちの厚い信仰を得た神。 『毘沙門天』の顔は、俗に憤怒の相と云われますが、目の前にあるのは涼やかに美しい顔立ちです。
七福神のラストは『弁財天』の筈ですが、置かれているのは名前が刻まれた丸い石だけ。 どうやら『弁財天様』だけは、こちらの社殿に祀られて鎮まっておいでだというのです。 主祭神と同じお姿なので、当然と言えば当然でしょうが、紅一点の弁財天様が不在で、他の六神は心なしか寂しそう😓
境内に並んだ二つの石祠は「薬師如来」と「浅間神社」。「薬師如来」は仏様のはずですが・・ 説明版には「目の神様 すべての病気に御利益があります」と言う事で、一応神様扱いのようですね。
上記の石祠の横に建立されている黒御影石の芭蕉の句碑は【あの雲は 稲妻を待つ たより哉】。 境内には同じ句が更に二基建てられており、右が天保4年(1833年)、左は明治19年(1886年)に建立。 三基全部が同じ句と言うのはこれまでの経験で初めての事ですが、建立者はこの句がよほど気に入ったのでしょうか?
朱塗りの鳥居の奥には、やはり朱塗りの可愛い社殿の「境内社:稲荷社」が鎮座します。
その朱塗りの鳥居、右側の足元には、「矢鏃(やじり)の石」なるものが置かれています。 うっかりその部分だけを写し忘れたので、紹介できる画像が不鮮明なのが悔しいところ😥 南房里見八犬伝の祖『里見義実』が武運を祈願して、「野島山」の三文字を記したという伝説の石。 子供の頃読んだ「里見八犬伝」、女とみまごう美しい『犬坂毛野』が一番のお気に入りでした。
境内に建立されていた「日露戦争記念碑」
境内から野島埼灯台に至る通路の片隅に、お世辞にも立派とは言えない小さな祠があります。そこに収められているのは、一見何の変哲も無いような丸い石ですが。はてさて、その正体は?
最後の紹介は、二の鳥居脇に鎮座する「子宝の祠」・・・良い子は見てはいけない○○が鎮座されています。 「元気の泉:子宝、金運、縁結び、幸せに恵まれます」という事で、「優しくなでて下さい」😅
参拝日:2014年5月24日&2019年3月6日
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