車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

忠臣蔵と大石神社 in 兵庫県赤穂市

2023年09月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

播州赤穂・・と言えば真っ先に思い浮かぶのが「忠臣蔵」。あれは私が小学生になったばかりの頃、市内に住んでいた叔父に連れられて一度だけ、「義士祭」を見に行った事があります。が・・なにしろ気の遠くなるような昔の話で、記憶にあるのは叔父の肩車だけ(^^;)。イメージとしてはこんな風だったかなと勝手に思い込んでいますが、実際は義士の扮装をした人の行列だったと思います。

「忠臣蔵」の詳細はネットでググって頂ければ容易に知れる内容なので省きますが、市内には日本100名城の一つで国の史跡にも指定された「赤穂城」が残されています。

とはいえ、廃城令を受けた城は、当初、石垣と堀を残すのみでしたが、昭和中期から平成にかけ、櫓・門・塀・庭園が徐々に復元・再建され、今は往時を忍ばせる美しい姿が観光客を出迎えてくれます。

市内各所には、城以外にも義士たちに関する史跡が残されており、代表的なところでは、討ち入りの主役的存在となった国家老『大石内蔵助』邸の長屋門(国指定史跡)。

主君刃傷の事を告げる早駕篭は江戸から四日半をかけて『早水藤左衛門・萱野三平』。第二報は、評定もなく罪人扱いのまま、即日切腹の沙汰が下った事を告げる『原惣右衛門・大石瀬左衛門』。この早駕籠のルートは今も赤穂市内に史跡として点在しています。

息も絶え絶えに城下に辿り着いた家臣たちが、主君の無念を伝える為に血反吐を吐きながら叩いた大石邸の門。

大石邸の向かいには、赤穂城を設計した『近藤三郎左衛門正純』の息子で、浅野家の軍師であった「近藤源八宅跡長屋門」があります。他にも細かく歩けば息継ぎの井戸をはじめ見所は色々あるので興味のある方は是非一度巡ってください。

義士に纏わる寺社は、義士たちが葬られている東京:泉岳寺、義士たちの墓がある赤穂:花岳寺。そして今回参拝した赤穂市上仮屋旧城内に鎮座される「大石神社」。

『大石良雄』赤穂義士四十七柱、および中途で自害した『萱野重実』、更に『浅野家三代・森家七将』を御祭神とします。

境内には忠臣蔵に関する絵馬や、藩民の崇敬を受けた摂末社が多く鎮座し、多くの参拝客が訪れています。討ち入りの様子を描いた大絵馬や顔出しなんかも有りました(^^;)

また境内の一隅には、大石内蔵助が所持していた備前長船清光・康光の大小刀、肖像掛軸など義士所縁の品々を展示する「義士宝物殿」も併設されています。

忠臣蔵とは無縁ですが、「境内社・合祀殿山」の一つ「国助稲荷」の前にて神域を守護されるのは備前焼の神狐さん一対。その姿があまりにも秀逸だったのかしっかりと画像に残していました。

最後は、境内に掲げられていた看板と同じく「本懐を遂げて泉岳寺に引き上げる四十七士」。じっと見ていると、それらの場面が映画やドラマの場面と重なり、民衆の喝采から細かな台詞まで聞こえてきそうです。

訪問・参拝日:2006年7月16日&2010年8月9日

 


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4 コメント

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立ちこめる泉岳寺の線香の煙 (onecat01)
2023-09-27 19:24:25
tibinekoさん。

 私が働いていた会社の本社が、慶應大学のある三田通りにありました。

 方向音痴なので、どのような経路で、何時訪ねたのかも忘れていますが、貴方のブログを拝見し、お参りをし線香を一と束備えてきたことを思い出しました。

 すっかり苔むした義士の墓が、並んでいたことを思い出しました。会社帰りの普通の日でしたが、たくさんの人々が訪れていました。雑踏の中を歩き、義士の墓の名前を確かめました。

 寺の入り口の案内所で、線香を束にして売っていて、線香の煙がたちこめ、線香の香りが満ちた墓所だったことを思い出します。

 愚かしい反日左翼の人々が日本の歴史を否定しても、庶民は決してそんなことをせず、今も義士の墓にお参りしています。

 貴方ほど遠い記憶ではありませんが、懐かしく思い出しました。
返信する
いかにも日本的 (まっち)
2023-09-27 21:40:56
ちょっといけ好かないやつだけど、名門今川の直系であり幕閣への覚えも愛でたい吉良さんに、少しくらいおべんちゃらでも言ってうまく立ち回ればいいものを、融通が利かない癇癪もちのバカ殿さま。
刀を抜いては見たものの、切って振り回すだけの独り相撲。
一突きすれば止めを刺せるものを、武士の心も忘れた情けなさ。
義士と言えば聞こえはいいけど、天下泰平の世にいったん浪々の身になれば再就職もままならず。
殿の敵討ちなんてのはきれいごとで、本心は仇討ちで名を挙げていいところに仕官できればという就職活動の顛末。
最後は思惑外れでみんな切腹。
でも名を遺したから良しとするか!
BYおおいし
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onecat様 (tibineko)
2023-09-27 23:50:50
鉄道唱歌の東海道篇で
右は高輪泉岳寺  四十七士の墓どころ
雪は消えても消え残る
名は千代の後までも
 母が良く口ずさんでいて、耳になじみ、私も好きでした😊

赤穂には叔母が住んでいて、
子供の頃、義士際に連れて行って貰った記憶があります。
沢山の人と、肩車をしてくれた義叔父の後頭部を何故か思い出しました(笑)
返信する
浅野内匠頭 (tibineko)
2023-09-27 23:53:17
浅野内匠頭・・癇癪持ちだったとか。
いろんな作家さんが 大石内蔵助の心情をテーマに
赤穂浪士の小説を書いていますね。

まっちさんの「BYおおいし」には思わず笑ってしまいました😅

身近な存在として母や叔母の口から語られる「赤穂義士」の話。
何度か連れられて行った「花岳寺」には
いつも香華が手向けられていました。
主君の仇を討った赤穂の義士たち。
それだけで良いと思っています😊
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