赤穂市加里屋、木造瓦葺一部2階建のこの建物は、1908年に建設された日本最古の「旧大蔵省赤穂塩務局庁舎」。現在は「赤穂市立民俗資料館」として活用されています。
館内には江戸時代から昭和期までの生活雑貨や祭事用具、美術工芸品や鉄兜などの戦時資料等、多種多数の民俗資料が展示されており、当時の人々の生活を垣間見ることが出来ます。
「赤穂は古くから製塩業が盛んで、明治38年(1905)の塩専売法施行に伴い、大蔵省塩務局の庁舎として、明治41年に国会議事堂を建設した大蔵省臨時建築部技師大熊喜邦の設計、施行は地元赤穂の棟梁である山本近治ほか11名によって建築されました。中央部に屋根窓を持つ主屋と、東に切妻造りの屋根と西に宝形造りの塔屋を大胆に組み合わせた変化のある建物の構造は、木造一部2階建てで屋根は黒色の日本瓦葺き、外壁は淡い白緑色塗装のドイツ下見杉板張りで、現存する日本最古の塩務局庁舎として、また明治の洋風建築として意匠・工法に優れた価値の高い建物として、昭和61年に兵庫県重要有形文化財の指定を受けています。」HPより
専用駐車場から見えたレンガ造平屋建の文書庫。オランダ積みのレンガ庫に黒色の日本瓦葺の屋根が重厚感を出しています。
赤穂城址の一画、かって城内の米蔵があった場所に建つのは「赤穂市立歴史博物館」。水路沿いに立つ西側外観は、かっての米蔵を再現した白壁土蔵の五連造りで、人目を引く外観となっています。
「赤穂の塩・城と城下町と赤穂義士・旧赤穂上水道」をテーマに、1989年に設立。愛称は「塩と義士の館」。今となってはあやふやな記憶ですが、館内は撮影禁止だったのでしょうか・・フォルダには鯱の画像が一枚だけでした。
最後に、これは2006年の画像で、おそらく赤穂城本丸表門の復元工事の風景だろうと思います。こういうのも今となっては楽しい思い出の一枚です。
訪問日:2006年7月16日&2010年8月9日
ひとえにワタクシの言葉足らずが主因なんでしょうが、言葉が足りないと、こちらの本意が全く別のところで反響してしまう恐ろしさを痛感しました。
以後肝に銘じます。
とにかくご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
維新後、塩は専売となりますが昭和46年の専売法改正により価格競争力や品質の安定性が重視され、多くの製塩業者が廃業に追い込まれたと聞きます。瀬戸内海の島嶼ではミカンを中心にした果樹栽培が盛んですがその大半は製塩業者の転換組です。
そんな中、今でも塩の生産量の2割を占める赤穂は品質、価格競争力ともに備えた優秀な塩生産地の証なんでしょうね。
忠臣蔵でも吉良による浅野いじめの原因の一つに製塩をめぐる両者の確執なんて見方なんてのもありますし。
余談ですが専売法改正により製塩から果樹栽培に転じた事業者の多くはその後のオレンジ輸入自由化で再び大打撃を受けてしまい瀬戸内の多くの島では放棄されたミカン畑が多々見受けられます。
この辺り、以前投稿しました有明海沿岸のミカン畑向け溜池の項でも取り上げた事象です。
殆どがミカンの果樹園に様変わりしていますね。
私の故郷にも塩で栄えた地域が有りましたが
今では広大なミカン園に変わりました。
まだ製塩が盛んだったころ
学校の社会見学と言えば、錦海塩業本社に行ったものです。
塩が自由化になり、外国の塩にとって代わり
ミカンがオレンジ自由化で打撃を受ける
消費者は(少なくとも私は)国内で製造された塩を望み
国内で製造されたミカンを食べたいと思います
たかが一主婦の小さな抵抗ですが、ずっとそれを貫いています😊