旧都窪郡清音村(きよねそん)は岡山県の南部に位置した村です。岡山市・倉敷市・総社市・都窪郡山手村・吉備郡真備町・浅口郡船穂町に隣接。「清音」の由来は、高梁川の清流を間近にみる所に位置する事から、「山水有清音」の古語にちなみ命名。高梁川の左岸、小田川との合流点に開け、古くから交通の要地であり、山陽道における高梁川の渡河地点として発展してきました。「村の木:マツ」「村の花:ツツジ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、窪屋郡黒田村・古地村・軽部村・上中島村・柿木村・三因村が合併し清音村が発足。
1900年、郡制の施行により、都宇郡と窪屋郡が合併、都窪郡となる。
2005年3月、総社市、都窪郡山手村との対等合併により新たに総社市となりました。
マンホールには「村の花:ツツジ」と「高梁川の流れ」・「二匹の鮎」がデザインされています。
村章の制定年月日は不明「「き」というかな文字を象ったもので、「き」の第一と第二画を鋭角的なV字形とし、ここに未来への限りない躍進の意味をこめています。」合併協議会資料より
------------------------00----------------------
旧都窪郡山手村(やまてそん)は岡山県の南部に位置した村です。岡山市・倉敷市・総社市・都窪郡清音村に隣接。南部は山林となり北部は平地。古代吉備王国の一部であった事から古墳が多く、村の半分が「吉備路風土記の丘」県立自然公園に指定。角力取山古墳や福山合戦の舞台となった福山城跡など、数多くの遺跡が残されています。画像は明治時代に種油業を営んでいた富裕家の屋敷で「山手村郷土館」として公開されています。「村の木:マツ」「村の花:モモ」「村の鳥:ウグイス」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、窪屋郡西郡村・地頭片山村・岡谷村・宿村が合併し、山手村が発足。
1900年、郡制の施行により、都宇郡と窪屋郡が合併、都窪郡となる。
2005年3月、総社市、都窪郡清音村との対等合併により新たに総社市となりました。
マンホールは村章のない自治体名のみが表記された規格品が2枚のみ。
昭和51年3月制定の村章は、「「山て」の文字を図案化したもので、自然と史蹟に恵まれた郷土と村民の和と将来の発展を表したものである。」合併協議会資料より
撮影日:2009年9月20日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます